高校生のときなんかは「世の中の人は『責任』にどう耐えているのだろう」とよく思っていた。あらゆる「責任」に自分は耐えられる気がしていなかったので、責任を負って対価を得ること、つまり仕事ができないと思っていた。なので一切のアルバイトもしたくなかったし、想像されるような「責任」に耐えて仕事をしている自分を想像することができなかった。

今思うと、当時の自分は「責任」を無限にあるものだ、と無意識に考えていた節があり、そのために過度の責任を想像しすぎていた。「責任の量」という考えかたがなかった。実際の仕事では、アルバイトにはアルバイトの責任の範囲があるし、社員なら役目に応じた責任の範囲がある。当たり前のことを知らなかった。

「果たすべき責任には上限がある」という気付き (大学生以降、働きながら気付いた) は、多少仕事に対して楽観的になれるきっかけになった。ずっと気付けてなかったら今ごろ死んでいると思う。

WEB+DB PRESS 総集編 [Vol.1~60] - 森田 創

森田 創

3.0 / 5.0

来週発売の WEB+DB PRESS 総集編 にエッセイを寄稿させて頂きました。内容的にはすごく個人的な話中心ですが、読んでもらってインターネットで情報発信をするのは面白そうだとか、エンジニアリングが面白そうだとか、クズでもどうにか生きていけるんだとか、何かしら思って頂けると嬉しいです。

僕以外の人の名前を見ると、この中に並ぶのがすごく恥かしいのですが、まだ成功していない人間の立場で (「Topエンジニアが」と書いてあるけど、自分はそうなれていないので、そうなるためにどうするかを) 書いたつもりです。

ちなみに僕は森田さんのエッセイを読むのが特に楽しみです。

時間というのは決してとりもどせないものだ。どんな人間だって時間を経れば死ぬ。ときどき「生まれたときから何かを失いながら生きているのかもしれない」とか言う人がいるけれど、その失なっているものというのは時間だ、と僕は思う。時間を消費して何かを得る。何もしなければ時間を失う。何かを得たとしても、時間は二度と戻ってこない。失なった時間よりも価値のあるものを得られなければ、本当にただ死ぬためだけに生きていることになってしまう。

四六時中考えていられること、例えばプログラマであればプログラミングのこと、デザイナであればデザインのこと、それぞれがそれぞれの貴重な時間をかけている。貴重な時間をかけて考えられたことについて、そこまで時間をかけていない人が言えることは何もない。真剣に時間をかけて考えられたことというのは、その人の、生の一部であるから、それをないがしろにするということは、部分的に殺人をしていることと一緒だ。

YAPC に今年も行って喋ったけれども、今回は早く喋りすぎたのがよくなかった。それはともかく、いろいろ久しぶりに面白いことを面白い人達を話せてよかった。割と最近、精神的に余裕がないので、個人的には完全にふりきって楽しめなかったのはもったいなかった。

行くたびに思うけれど、この規模の運営が大変なのはあきらかだし、スタッフのみなさんには全く頭があがらない。せめておもしろいコンテンツを提供したいので、もっといろいろ普段から面白いことをしておきたい。

抹茶オレを飲んでいたら、近くの人がツボにハマること (治験って死ぬんじゃないですか?) を言って、漫画ばりに吹いてしまった。しかし吹いただけでおわればよかったものの、なぜか胃の中身が逆流して大変なことになった。抹茶オレで吐くとかやばい……