そういえば、ものすごくイライラしているときは掃除すると多少気が紛れる (やる気になった場合だけだけど)。すこし前にイライラしたときは、ひたすらトイレ掃除をしていた。
掃除には良い点がいくつかあって
- 満足するまで終わりがない
- 頭を使わない (普段使っている回路を使わない)
- 目に見える成果がある
一定の「満足感」は手に入ることがほぼ保証される。そんなものは他にあるか? ネトゲとかは瞬間的な満足感はあるが社会的には虚しい。掃除は同居家族がいるなら社会的な利益もある。
しかし、どういった種類のことでも「やらされている」と思った時点ですべての利点は失われる。他人のために働くということをすると、自分で満足するということがなくなる。成果評価の裁量を他人に奪われた時点で生きてる実感はなくなる。