要は撮影用のライト。下に置いて使うタイプ
バッテリーとかは特になく、ただのライト。Type-C 給電。
特に箱とかを用意して組み立てる必要もなく、本棚に置いておいて出してさっと使えるのが良いところかな。上からもライトあてる必要はある。
光っているので背景を完全に飛ばせる。
まぁ横置きできる液晶モニタがあればそれで上位互換なのだが……
要は撮影用のライト。下に置いて使うタイプ
バッテリーとかは特になく、ただのライト。Type-C 給電。
特に箱とかを用意して組み立てる必要もなく、本棚に置いておいて出してさっと使えるのが良いところかな。上からもライトあてる必要はある。
光っているので背景を完全に飛ばせる。
まぁ横置きできる液晶モニタがあればそれで上位互換なのだが……
少し前まで反AIなんて笑い話の一つだったのに、すっかりそういう派閥が「変な人」ではないカテゴリになりつつある。AIの進化と表裏一体にすすんでいるように思う。
この反発の根底にあるのは「人間は知性があるから特別だ」という素朴で傲慢な感情なんだろう。これは「日本人は〇〇だから特別だ」という集団帰属による優越感と同じ構造。仮にその属性が真実だったとしても、それと個人としての価値は無関係なのに、努力なしに得られた属性に自己の価値を求めている。生まれながらにある失われない属性が優れていると信じることで、自分の存在価値を確保したいという心理が働いているように見える。
今、AIは既に大部分の人間よりも知的な振る舞いをしている。「人間は知性があるから特別だ」と素朴に信じていた人たちは、自分の生まれながらのアイデンティティを直接攻撃されたと感じているのだろう
「自分で考えた」と思っているアイデアも、実際には既存の知識や経験の組み合わせだ。言語を学び、概念を学び、文化を学ぶ。すべては外部からのインプットを基に構築されている。天才と呼ばれる人々でさえ、先人の積み重ねた知識の上に立っている。「巨人の肩の上に立っている」。
インターネットの普及は、この構造をより明確にした。かつては一部の人間しかアクセスできなかった知識が、誰でも瞬時に手に入る「知の高速道路」が整備された。現代人の多くは、この高速道路を走ることで先人の知恵に素早く到達し、恩恵を受けてきた。その同じ高速道路をAIはただより効率的に走っている。
創造性についても同じ。新しいアイデアとは、既存の要素の新しい組み合わせに過ぎない。完全なゼロからの創造など存在しない。今のところは人間のほうが(まだ)よりマルチモーダル、つまり他の分野から越境した知識を混ぜて創造しているかもしれないが。
そもそも、人間自体がDNAのコピーと組み替えによって生まれ、環境からの学習(これもまた情報のコピーと組み替え)によって自我を形成している。それなのに、自分の自我がまるでゼロから発生したかのように振る舞う人がいる。
真の「オリジナル」なんてこの世には存在しない。すべては先行するものの組み替えと再構成だ。
外国人の顔の見分けがつきにくいように、もし異文化の宇宙人が地球に来たら、人類の「著作」なんてすべて同じように見えるかもしれない。宇宙人はその些細な差異に「著作権」なんて名前をつけて必死に保護している様子を滑稽に思うだろう。
「人間は特別ではない」という認知によって傲慢さを手放すこと。それでもなお、個々の人間同士の関係性は唯一無二であるという事実。この二つを同時に理解することが重要だと思う。
人類という種が特別なのではなく、環境との関係が特別なのだ。これは属性による優越ではなく、関係性による価値だ。
AIの進化は、こうした正しい認識へと人類を導く。