Category thinking.

デザインの輪郭を読み終わって、なんどか読み返して思ったこと。

高校のときにちゃんと自分の世界観を構築しようと思って (日記に書いたはずだけど、tDiary のころの日記みたいだ) から、結構時間が過ぎた。この世界の構築作業と、デザインの輪郭の話がなんとなく重なって面白い。世界観を考えるとき球形にひかれた境界を想像するんだけど、それの境界の決め方もそうなんだなぁとかなんとか。でも、他人とシェアするものじゃない。

しかしでも、まだ大部分が穴があいている球だから、その辺ちゃんとハッキリさせないと、現在位置を自覚せんと、ちょっとこれじゃ曖昧すぎるから自分の中では明確にしたい。

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あーそうか。

いいと思えるものを作る人、あるいは作品として好きなもの、って、侘び寂びが関係してるのか。

いつか終わることを考えられるもの、朽ちる過程を見ているもの、とかそういうことか。負けることの重要性ってのもここに含まれているのかもしれない。


人間ごっこを抜きにしても、客観視は絶対に必要だなぁ。でもなんていうか、主観 vs 客観っていう感じの客観視じゃなくて、とここで辞書で「客観」「主観」をひいてみると、そもそも主観 vs 客観なわけじゃないんだなぁ、そうそう、メタ主観か、なんでもいいけど、とりあえずメタメタ


分かってみれば簡単で、世の中には「楽しく生きたい」と思う人ばかりじゃないってことで、例えばかたっぱしから恐ろしい議論をふっかっけたりする人とは、そもそも求める先のものが違うから、一緒に生きていけないし、前提が違うから、話にならない、っていうすごく当たり前のことに、今さっき気付いた。

最近どうも、ある種の人たちは、ほかのある種の人たちを、人間だと思っていないんじゃないかってなんとなく感じていて、今考えてみれば、それぞれがそもそも根底で違うから、人間だと思えないというだけなのかもしれない、みたいなところについた。いやよくわかんないんだけど、不毛なんだなって思った。不毛なのが悪いわけじゃないけど、この不毛は本当に不毛ですありがとうございました。


だから、あるもので満足しているのが一番なんだなぁ。前もってわかることはない。

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なかなかうまく人間ごっこができない。

人間ごっこについて考え始めてから、Syrup16g の一部についての解釈が少し変わった。ので、人間ごっこに関係するあたりを引用してみる。

全てを喜びに変えろ

君は死んだほうがいい 外の世界はどんな風

人間ごっこを自覚しろ、という風に解釈するようになった。

頭はハピネス いつもハピネス 多分ね 一生 俺はハピネス 不幸もハピネスだろう

「ハピネス」はまさに人間ごっこ


例えばシロップ以外でも 現在位置の自覚をせんと だとか、「愚か過ぎた」と神様ごっこしよう だとか、ART-SCHOOL の木下氏が日記でいう「客観視」だとか、結構ある。

客観的な自分の位置と、それを見て楽しむことができること、が重要だった。


透明の日々って、少し前までは、特に学生生活のことを指しているんだと思っていたけど、実際は別にそうとも限らないことに気付いた。確かに学校内だと特に透明の日々が強調されやすいんだけど、逆にその程度だった。

透明の日々といえば、やはり「鋼鉄の朝 (BURGER NUDS)」がメインだけど、他にもでてくる。日々はにぎやかな孤独。syrup16g における やっているのは誰かの代わり。ユメミルクスリとかいうエロゲーでは透明の日々というのがそのままでてきた気がする。


極めて簡単なことをいろいろ考え直す必要がある。

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