先週 MacBook を購入しぴこぴこいぢっております。一ヶ月ぐらいは四苦八苦するかと思ったのだけど、使ってみるとそんなに思いっきり迷うのは最初の一日ぐらい。

結局、今まで Windows で使っていたソフトウェアもオープンソースのものが多く、ついでにターミナルをメインに使うようになってきたので、あんまり違いがあるわけじゃない感じ。

ただ Cmd キーが自分的に便利で好き。Terminal.app とかでペーストするとき、gnome terminal だとマウス右クリックして P 、putty だと右クリックとかやっていたのが Cmd+V でできるので気持ちいい。

GNU 系のツールは darwinports で入れて、あとは Firefox, Thunderbird, Vim をさっさと入れました。


しかしながら Terminal.app がなかなかくせ者で、デフォルトだと使えない。

  • 「エミュレーション」の「非 ASCII 文字をエスケープする」のチェックをはずす
  • 「ディスプレイ」のオプションを全部チェック。フォントを Osaka-等幅 14pt に。「文字セットエンコーディング」を UTF-8 に。
  • 「キーボード」のオプション二つをチェック
  • TerminalColors を入れて色を設定。

でもって、なにやらこれで screen を起動して vim 編集すると表示乱れて困ったりした。screen の man をぼーっと眺めていたら (課題やれよ) 、-O をつけたくなったのでつけてみると一応大丈夫っぽくなった。


あと、typester さんの影響で irssi を使い始めた。ターミナルを半透明にして、後ろに screen -x でアタッチしたターミナルおいとくと眺めながらできてよろしい雰囲気。

デフォルトだと共通全ログがないっぽいので、script を書いて突っ込んだ。全ログの発言に window 番号つけてあげて Alt-N で移動だぜどーん。Alt-P でバックログだぜどーん。って感じに楽しんでおります。


  • SSHKeychain (intel 版を検索して入れた)
  • VirtueDesktop
  • iScrobbler (Last.fm クライアントはうまく動かなかった)
  • CoreDuoTemp
  • Gimpshop (とりあえず)
  • Parallels

SSHKeyChain は SSH を使ってなくても、キーチェーンのロック状況を確認できていい感じ。でもスリープから復帰すると落ちたりする。

Parallels には今は壊れた PC の XP Home を入れて遊んでみたり。レジストはまだしてない。と、いうか、メモリ1Gだときつい。

Office をどうするかと、画像処理をどうするかがめがっさ問題です。

ちょっとまえからシコシコ準備してたのをとりあえず入れ替えた。

トップページは /blog/ のコピーになり、/logs/ は /blog/ へリダイレクトしてる。フィードも、/logs/latest.{rdf,atom} に関しては /blog/index.{rdf,atom} にリダイレクトしている。

それ以外はスルーしているし、Taglibro も削除していないので、URL の恒久性は一応保たれてる。気持ち悪いけど仕方ない。だんだんごちゃごちゃしてく。

adsense のことでごたごた考えるのが面倒くさいので、xhtml フレーバーも現時点では text/html で配信してる。要改造

入っているプラグイン一覧。括弧は今はたぶん使ってない。

  • (config)
  • negotiation
  • redir
  • section
  • entries_kache
  • alternate
  • atomfeed
  • better_title
  • (breadcrumbs)
  • categories
  • flatarchives
  • list_title_at_year
  • Markdown
  • paging
  • rss10
  • push_if_first

section 用に他のプラグインをいぢってるのでかなりアレゲ。


Template::Toolkit を使うようにしようと思ってたのだけど、とりあえずやめた。XREA に入っていない (頼むのがめんどい) のと、既存 flavour を書き直すのがめんどかった。

Taglibro に XML 簡単に編集できるオンラインな画面つければよかったような気もするけど、どうしても作る気が起きなかったっていうダメさ。なんにしてもタグ打つのが面倒くさくて仕方ない。

日常に生きることの重要性について、最近よく考えるし、誰かの言葉や、誰かの言動によって考えさせられる。

普通の日常がどれだけ大事かってことには、なかなか気づけない。一旦気づけても、すぐに忘れてしまう。すごく「慣れ」というのに弱い。

その日常や、普通が、すごく重要なのに、遠くを見すぎて、「普通」じゃないほうがいいという思考で、忘れてしまう。個性/アイデンティティを考えるとき「普通さ」は悪く感じる。でもたぶんそうじゃないんだよなぁ。

少し前に電車内で見かけた女の子の普通さになんだかすごく心を打たれた。すごく普通だった。ちゃんと、日常的だった。それが逆に違和感になって、自分に入ってきた。

たぶん自分が考えている「普通さ」は、想像上のもので、多数決的な普通とは違うのかもしれない。できるだけ「普通」っていう言葉を使わない人もいるぐらい、曖昧だし。

アイデンティティを「たった一つの特徴」みたいに誤解しているような感じ。実際には、ただその人の「普通の日常」を気取らずに過ごせばいいのに、余計な、過剰なアイデンティティを求めて、凡庸になってしまう。もったいない。


関係ないけど、慣れっていうのは、逆もまたあって、悲しいことがあったとき、嫌なことがあったときのことも、いつのまにか忘れてしまう。人によっては、悲しいことを忘れられるのはいいことだと思うのだろうけど、自分はこれを良いことだとは全く思わない。思えない。そういう感覚をしっかり持ったまま生きていたい。

悲しい感覚や、嫌な感覚を忘れてしまうと、ある時必要な、誰かの感情に気付けないことに繋がる。そういうのは出来るだけ無くしたい。