やばい。まじほんとはてなムラ界隈が全然わかってなくてうける。ホッテントリとかに入ってても、女子がどうとかって読まないんだよなぁ。ほんと興味あるトピック/人、しか追ってない……

いちにんしょーかえるのはめんどい。

おれ怒られ/叱られ耐性ないよなぁほんとうに……すげー凹むんだよなぁ。なんでだろう。物心ついたときからずっとだなぁ……何が原因だかよくわからない。うちの親は小中高ってけっこう厳しい親だったんだけど、そういうのがあるのかなぁ。

おこられたときって、他の人ってどうなるんだろ。どうなるんだろ、っていうか憂鬱にはなるだろうけど、どうやって/どのぐらいの期間で通常のレベルまで戻ってくるんだろう。自分は、おこられたりすると視野がすごい狭くなって、腹のあたりになんかもやもやした重いものがたまる。副作用として集中力はあがって (でも憂鬱にさせているものに対するやる気が本当に全くなくなってしまう)、言葉が頭に浮かび、腹痛になりやすくなる。あと、おこられる前段階も全く同じ状況になる (おこられそうな要素があるとき、いろいろなことがうまくいかないとき)

あと、同時に、同じような立場にいる人がおこられてるのを見るのも、ものすごく、憂鬱になる。その順番って、必ず、絶対に、時間が続き限り、人間として完全完璧ではない限り、自分にもくるじゃないですか。その「いつかおこられる」っていうのがすごい憂鬱になる。これってどうにかなんないのかなぁ、まだきてないことに対して不安になってもしかたないってのは解っているんだけど、実感できない。ピコーンって感じの発想の転換があったら教えてほしい限りだなぁ。

なんかほんとうに、今とかから考えると、高校に行っていたときの心持ちとか、大学に行っていたときの心持ちとかって、かなり恐しいんだよなぁ……なんであんなに憂鬱だったんだろうって感じだ。でもあれでもたぶん、憂鬱の入口程度なのではないかという感じで、ほんとうに底無しなんだろうっていう。

今日は唐突に 2ch のどっかのスレを一気に読んでしまって (ネタ系じゃないのを)、なんか病気な人に辛辣な言葉を投げかけるようなレスがあって、すげー凹んだよ。病気になってまであんな言葉を投げかけるんだとしたら、おれみたいなのはどうなるんだろって感じだ。(おれが、嫌なコメント、批判ではない中傷みたいなものを、フィルタリングしているのは、誰かに投げられた批判ではないことで、必要以上に自分が凹まないようにするためだ)

昔の日記を読みなおそう。日記はチェンジログだ。今この世の中には考えていることをそのまま完全に保存していく装置が発明されていないから、リポジトリは存在しない。

http://d.hatena.ne.jp/brazil/20070112/1168549641

またこれよんでたらぐっときた。これを読むとちょっと幸せになる。すごいやばいよ。なんか、ブクマコメントで一部だけ、過去のおれは引用していたけど、それはちょっと違うんだよなぁ。これは全部ふくめて面白いエントリだ

いろいろ考えている中で、一番理想的なのは、BURGER NUDS -> GDHM みたいな変化なんだよなぁ。すごいおもしろくなった。というかこう、ライブで内田氏の笑顔をみると男のおれでもズッキューンですよ?

今日から僕は、また新しい僕です。なにもわからない。JS も Ruby もなにもわからない。

むかしの日記をよんでて、同意できないエントリに出会うのは楽しい。確かに違う自分、っていうのが実感できる。

あぶないあぶない。このタイミングで日記よみなおしてよかったお……

アイデンティティを「たった一つの特徴」みたいに誤解しているような感じ。実際には、ただその人の「普通の日常」を気取らずに過ごせばいいのに、余計な、過剰なアイデンティティを求めて、凡庸になってしまう。もったいない。

http://lowreal.net/blog/2006/09/20/1

どこまでをリキッドにすべきか、どこまでが自分か、みたいなのを考えていたけど、少し気が楽になった。全部リキッドで良いのだ! 過去の自分++ さりげなく切羽詰ってたなぁw

なんかもっとさー、過去の自分を分断するサービスがあってもいいよなー はてブとかさーなんで一回しかブクマできないの? おかしくない?
リビジョン129の cho45 さんとかがいてもよくない?

dull 系の色がすきすぎる (青緑+灰とかすき)

おwwれwwのww歴史wwwはwww自己www正当化wwwのwwwwwれきwwwしwwwwwwwwwwww

これからおれはどうなってしまうんじゃろう。ぼくはいまだにぼく自身のことがよくわからないのだよなぁ。

とりあえず、ソリッドであるよりはリキッドのほうがよいと思う。それは絶対に確かだと思う。


ちなみに自分が高校で学んだ最大のことは「ひたすらが我慢すること」で、大学で学んだ最大のことは「我慢しないこと」だった。俺が一番嫌で、絶対に避けなければいけないと思っていることは、そういった、高校や大学であった、完全に心の底から憂鬱な日々の繰り返しであって、中学のような、嫌なことはありつつも、全体としては良いこと、楽しいことのほうが多い、というのは問題ないと思う。このバランス、嫌のことと、楽しいことのバランスの境界をどこに落とすのかが、まったくもってよくわかってない (それって感じてみない=経験してみないとわからないことだからだ)。