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時間は自動的に過ぎるし、社会的な役割・立場は、刻々と変わっていってしまう。表層的な部分の変化は拒むことができず、受け入れていくしかない。その中でも、根本的で個人として最小の部分について、見極めないといけない。
そういう、どうあっても変化しない最小構成の人格を取り出して、言語化するためには、どういう方法があるだろう。例えば、環境に変化を与え続けると、変化しない部分は見えてきそう、ないしは、急激に変化を与えれば、もっと小さいものが取り出せそうだとは思うが、いずれにしても環境要因で表層を変えてしまうので、普段の中ではとりにくい方法に感じる。非破壊的なもっといい方法が欲しい。
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自分の頭の中でぼーっと考えていることを、自分で信用できない。考えているときは確かさを感じるのに、言葉に実装しようとするとうまくいかないことが多いし、書き下しながら整然と考えると確かでないことのほうが多い。
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土曜日は、キヤノンギャラリーS(蜷川実花と野鳥の会)、ニコンサロン、ニコンサロンbis、コニカミノルタプラザをまわった。メーカーのギャラリーはどれも行ったことがなかったけれど、入場無料だし、現代系の人の展示が多いので面白い感じだった。京都で神社巡りする感じで東京はギャラリー巡りしたらコストパフォーマンス良さそうだと思った(電車賃も安いし……)。しかし基本都会なので人が多くてしんどい。
日曜日は、王子の紙の博物館と北区飛鳥山博物館にいった。渋沢史料館(これら3つ隣あってる)とセットのチケットを買ったんだけど、意外とボリュームがあって、時間が足りず全部見れなかった。紙の博物館はカジュアルな感じのから歴史まであっていい感じだった。スタッフに親切なおじさまが多かった。北区飛鳥山博物館はあんまり知らない東京における奈良・平安時代あたりの歴史が面白かった。奈良・平安時代だとやっぱ舞台が奈良・京都になることが多いので、東京が視点になっていると新鮮だった。
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Ruby の構文を見たとき (当時ろくにプログラミングができなかったので) イテレータ (というかブロック引数) がどういう挙動をするのか理解できなかった。これは実際、puts を各所にしこんで、動かしながら実行順を確かめることで理解できた。
Cのポインタは昔は理解できなかったけど、Ruby をしばらくやっていたら、何が理解できないのかわからない感じになっていた。
再帰はわからなくて苦労した経験すら覚えてない。
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プログラミングは、読めば読んだだけ、書けば書いただけ、すなわち時間をかけた分だけ報われるというのがはっきりしているのが、本当に良いと思うのだけれど、微妙に役に立つからといって仕事にしたりなんかすると、報われないケースが露呈するのが面白くない感じがする。ネトゲも時間をかけた分だけ報われる点では似てる一方、一切役に立たないので、「一切役に立たない」ことを許容できさえすれば、報われ続ける感じがする。
報われないケースがあるのは、いわゆる常識人(笑)にとっては当然のことかもしれないが、だからといって、まだ何かできる状態で、仕方ないというのは、思っても言ってはいけないことだと思った。
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努力したら報われるのが当然だったら誰でも努力するのだから、そういうふうになるようにしていきましょう、っていうのは当然に思える。
それに、たとえ声がでかくなくとも、やる気がある人や、やるべきことを一定にこなせる人がちゃんと評価されて、報われるべきだ。自分はそういう点で全く劣っていることを感じるし、しばしば過大評価をうけている感じがする (あるいは単に皮肉なのかもしれないけど)。
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日記書かないと現状認識が甘くなるので良くない。













