何度か書いたりしているけど、僕は数学ができなくて文系に進んだ気があるので、そこにコンプレックスがあるんだよなぁ…… でもって、なんかこう、ぷろぐらむのえらいひととかは、体系的に数学を勉強しとかないのが許されるのは web 2.0 (笑) までだよネーっていう感じなので、そういうのを見るたびに、(それはたぶん正しいから) どうしようもない心持ちになる。

情熱を売ることをしたりすると、定期的にそれがなくなる周期でとてもとても大変なことになる。

宇宙はいつか消えてなくなり、人生は一瞬で終わってしまう。そこまで言わなくとも、あらゆるものはすぐに変わって形をなくし、流行は流行でしかない。そんななかで、声高に「生産性!」「労働!」などと叫び、誰かにそれを強制させようとするのはとてもバカみたいだ。人生は人間ごっこという遊びで、あるキャラクタをそこそこに演じているにすぎない。もちろん真剣に遊ぶのは間違った遊びかたではないからいいけれど、そのバカバカしいほどのマゾさを「これが楽しいんだよ!」などと他人に押しつけるのはヘンタイかつ悪い意味でのオタク的だと思う。「人生オタク」っていうのは、どんなオタクよりもタチが悪く、救いがたいバカで、害だと思う。

なんか判断力がなくて困るよーーーー 行動の指針を見失ってる。もともとあったのかすらなぞな

ちょうしこいてて ほんとに さーせん

もっとこう、ゆるい wot が欲しいんだよなぁ。普通の人でも使えるような。

既に信頼できる人が保証人になって、隣の人を知るっていうことは普通に昔からあることだろうけど、こういうのこそ安全なネットワークに必要なのにあんまりシステムとして取り入れられてないのはなんでなんだろう。

と思ったけど SNS が近いのかなぁ。でもあれは信頼の輪としては働いてないよなぁ。mixi での FOAF はそんなに信頼できない。なんでだろう。保証人がどれほど保証しているかがわからないからかなぁ。人によってはマイミク申請をかたっぱしから許可していたりするし、そういう人の保証人としての信頼度はすごく低いはずだけど、そういうのはパっと見わからない。


あと、インターネットの場合、信頼の輪の一番最初が難しいよなぁ。誰を信頼したらいいかなんてわからないし、誰も自分を保証してくれたりはしない。オフラインであれば親が最初の輪になるけど、ネットだとそういうのない。今は信頼の材料として、日記やブログの継続や、所属が明かなら所属による保証ぐらいしかないよなぁ。既に輪があったとしても、クラスタが違うとそれは効かない。