この日記、エントリごとに公開を30日遅延するという良い機能をつけていたことを忘れてた。公開された時点で旬じゃなくするって本当にいい機能ではないか。

神社に行くのは好きだが別に神道に強い信仰があるわけではない (普通の日本人ぐらい)。なんとなく神道的な考えかたには共感があるなとずっと思っていた。本質的にこれは人間も自然の構成要素として特殊化していないところにあるのだろうなと気付いた。

神道の「神」については、自然とか災害とか、人間の理解が及ばないものを擬人化して捉えるためのツールみたいなものだと理解している。自然をとらえる1つのツールなので、自然に含まれる人間と神のあいだに絶対的な断絶はない。人が死ぬと祖霊になって、やがて「ご先祖様」に融合していって、最終的には土地の神みたいなものに合流していくという。自然から来て、自然に還る。人間もその循環のなかにいる。

AIの議論とかでも「AIには魂がない」「人間の意識は特別」みたいな話が当然のように出てくる。人間だって自然が生んだ情報処理機械の一形態でしかないわけで、十分に複雑なAIと質的に違うと言い切れる根拠ってなんなんだろうと思う。そこまで人間は特殊ではないだろう。

AIは人工知能の略ということになっているが、「人工」と「自然」を分けること自体が怪しい。蜂が巣を作るのは自然で、人間が都市を作るのは人工。この区別の根拠って「人間が作ったから」というだけで、人間を自然から切り離して見てる前提がある。人間も自然の一部なら、そこから生まれたものも自然の一部だろう。

基本的にAIに対する議論でイライラさせられるのは一種の前提が共有できていない (信仰が違う) からなのだろうなと気付いた。