今日、起きて、窓あけたら風が結構強くて、それが涼しくて、そのせいで、妙に現実感を失くした感覚になった。草の花の後半で、戦争が起こっているなかの日常みたいなのがあって、それがやたら静かに描写されるけど、ああいうのを、スケールの違いさえあれ、実感した。

位置決めとか、金とか、時間の節約とか、そういった戦争に関わる全てのことに、本当にうんざりしてる。

やっぱ TAMRON の 90mm MACRO が欲しい。買わないけど

紫陽花は終わりかけがいい感じだと思う。

紫陽花って、見るたびに、小学校低学年のときの、旧校舎に咲いていたのを思い出す。小学校のときの記憶って、雨の日のことばっかりだなぁ。校舎の立て直しが丁度在学中にあって、プレハブで授業を受けていたことがあるんだけど、そのときあたりの記憶も全部雨の日だ。

日本語のヘッダ画像も修正中

サイトデザインのデータとか普通に公開できるサイトがあったらいいんのになぁ。ガイドとレイヤー情報だけ先にウェブからみれて、興味があればダウンロードできる、みたいな。ガイドのひきかたとかどうやってんのか謎すぎる。

日記という形をとれなくなったとしても、言葉が続かなくなることはないだろう。

知っていうのは、分類していくことだと思う。「分かる」ことは「分ける」ことだと思う。僕等、僕等自身に知があると思っているけれど、もともとは宇宙の中で、誰かによって、分かられた存在なのだろうと思う。分けられると知になる。孤独なのはあたりまえだ。そうでなければ知にはなりえない。

僕等、普段の生活の中で何かを分けている。何かを分断して、孤独にしていく作業をしている。その過程で、何か分けられたものは、なんだろう。

「洗濯機から女の子」ってうまく英訳できないんだよなぁ…… 誰かうまいこと訳してほしい。というか日本語でもうまく略せない。。洗濯機娘 が限界? でもニュアンスが違うんだよなぁ。

一言で表現できたらいいのになぁ。「洗濯機から女の子」を一言で表現できないのが許されるのはオンドゥル語マデダヨネー