よくある、平凡、同じような感じ、おもしろい

写真撮ってなかったら世界の美しさみたいなものにもっと鈍感だっただろう。そういう意味で、写真を撮ろうとすること自体が、感受性の喪失にある程度歯止めをかけているといえる。

太陽の光の強さや、持っている色にも気付けなかったかもしれない。眼に入ってくる光と頭で感じている光の大きな差にも気付かなかったかもしれない。

と、いいこと探しをした。

なんか自分の写真みかえしてみてたけど、ことごとく「京都っぽい」という感じの写真がなくてうける。

  • 鷺森神社
  • 南禅寺
    • 天授庵
    • 金地院

白川通りを下っててきとうに…… 鷺森神社は周りの森がいい感じだった。南禅寺は行くつもりがなくてもいつのまにか行きつく…… 去年いって印象に残った庭が天授庵なのか金地院なのかわからず、どっちも入った。ちなみに金地院のほうが強く印象に残ったほうだった。

金地院は「金地院にいこう」と思って行かないと入りそびれそうなところにあるのがもったいない。

プログラム書いても写真撮っても何か得られるわけではない。その先何もない。


目標がなくなっている。安心しきったやつらがどうにかするだろう。

リア充、心底イライラするけど、根本的に自分にはどうもできない問題なので、イライラしないようにだけはしたいものです。


想像力のなさなら僕だって負けていないと思うのですが、それにしてもどうしたらあんなに無根拠に安心していられるのでしょうか。