日記に、日記として、どこまで記録するか、みたいな。
なんでブログじゃないかって、それは、ブログだと啓蒙しないといけないから。でも、啓蒙するほどのものを持っていないから、ブログというものを書けない。
曖昧な正確さみたいなのをちゃんとやりたい。どこまでを曖昧にしておくかを正確にしておきたい。
なにが楽しいことなんだろう、ってここ数日疑問が続いてる。すなわちなんも面白く感じない。プログラム書くってのは、それ自身がそこそこ楽しいんだけど、その程度で、CSS を書くっていうのは、前も書いたけどそれ自体はそんなに楽しくなくて、その結果の先が楽しいだけだ。
と、いろいろ考えた結果、やっぱ、楽しいことには可愛い女の子 (外見がとかではなく) が関わってないとだめだなって結論がついた。だってさ、可愛い女の子に認められたら、嬉しいし楽しいじゃないか。だけれど、それじゃあやっぱ一生楽しいことができないなって気付いて、あーそっか確かに一生楽しいことなんて無理だなって、思った。なんていうか、これからそういう女の子 (と限定する意味はないのだけれど) と出会ったりとかっていうは無理というか、面倒くさくてすごく嫌だから、もう無理なんです。
だって、また最初から、何もないところから、いちいち相手の輪郭を掴みなおさないといけないし、相手に自分の輪郭を教えないといけない。これってすごく面倒くさい。果てしなく面倒くさい。これって報われない。輪郭ってすごく曖昧だし、流動的だから、毎回やりなさないといけない。それだけの時間がいる。でも実際に使える時間は、もっと全然少ない。
例えば日記 (ブログに非ず) を書いて公開している人ならまだマシなんだ。その人が書く周りの事情とか事象とかから、ある程度輪郭が逆算できるから、少なくともこっちからの気負いが減らせる。その逆算結果が間違っていたとしても、とりあえず大きな不安要素は減らせる。だからなんていうか、みんなが日記を書いてくれればいいのにって思う。
少なくとも、貴様は全く持って使えないやつだ、と分かりきったことを何度も何度も繰り返す人とは、できるだけ関わりたくないんだ。
君はいらない人だ、と言って自分の位置を確保しようとする人を、心から軽蔑する。
ちなみに、長門さんの眼鏡はいらない派です。あとハルヒに限っては制服ではなく私服のほうが好きです。何のはなしだ。