誰にも嫌われたくないみたいなのは全くなくなったけど、しかし限定した範囲ではまだそういうのがあってしばしば困る。それによって書けないこともでてくる。良くみられようとするってのはそれ自体が醜いことだし、言葉の節々に本性というのはでるので、百害あって一利もない。

知らない人とのコミュニケーションの仕方についてはよく考えるけど、知ってる人とのコミュニケーションの深め方みたいなのは全然考えていないなと思った。基本的に後者って「会って話せばいいじゃん」というものなので、インターネットでやる意味は薄いかなと思いつつ、そうはいっても物理的な距離があってどうしようもない場合もまたカバーすべきケースであり、しかし解決方法がさっぱりわからないので、困ったもんです。

神社仏閣図集 1 /神社建築編 1 - 建築資料研究社

建築資料研究社

3.0 / 5.0

なんか、面白そうなので買ってみたけど、すごく買ってよかった。値段が高いのがネックですが、なんかもうわけがわからない面白さがあっていい。中身は淡々と図面で、殆ど説明とかは入っていない。

自分はその、展開図とか、意味もなく眺めたりするのが好きなんだけど、そういう面白さです。

どうするんだこれ……

ポカーンとしてる……

自分が保守的なためにウェブ側に集中しているのか、それとも単にウェブ側の技術が好きなのかってのはちょっと自分では判断できない感じです。

外に出ないものを作る気ってのはむしろ全くといっていいほどないんですけど、これはこれの問題があって、表に見える形を想像できないと手をつけられないとか、外に出ない可能性が高いだけでスピードが落ちるとか、特に後者は面倒です。

その外に出ない可能性っていうの、特に自分の裁量にないところでそれが起こったりするの、例えば iPhone アプリの審査とか、ああいうの、全く嫌で仕方なくて、とにかく質よりも量だと思うので、ヘタクソと罵しられようが、何も考えていないと言われようが、とにかく人の目に触れるところに何かがなければ何の意味も価値もないし、何の可能性も生まない感じ、外に出さないのはインターネット的じゃない。ゴミでもなんでも置いときゃいい。重要なものは勝手に浮いてくるのだ。

検索しきれないぐらい大量のリソースがあればいい。あるいは検索エンジンがしっかり成長して、人ごとに個別の検索結果を表示できるようになればいい。Google なんてもう SNS 作らなくなって、それよりもっとでかい SNS をインデックスしているのだから、誰かが見たい情報だけじゃなくて、誰かが見たいと思っていても、誰かがそういう人に見られたくないと思うことを考慮できたらいい。Analytics でユーザ傾向はとられているし、悪意のあるユーザやゲストユーザにはもはや感情の入らない情報だけが検索できれば良い。とにかく見つかりさえしなければ、強固なセキュリティやプライベート設定なんていらないのだ。広告属性が設定できるなら、ある属性の人の検索結果にだけページを表示させたい、というのは今だってできるだろう。

建国記念の日、せっかくなので橿原神宮 (神話上で建国したことになっている神武天皇が祭神、橿原は建国の地ということになっていて、この神宮の創建は明治の、まぁ想像通りの時期です) にいってみた。とにかく右翼が多くて怖かったんだけど、外拝殿のところでそういう人ら並んで記念写真とってて「はい、チーズ」とかいっていたのがシュールだった。他もろもろ含めて面白かったけど、割と異様な雰囲気なので (祭なのでそういうもんだけど、それにしても)、あまり他人にはおすすめできない。

といってもそっちはメインではなくて、橿原考古学研究所附属博物館に展示されてる大型内行花文鏡を見たかったのでした。が、ピンポイントにその鏡は九州国立博物館に3月まで貸出中とのことで展示されておらず、小さい内行花文鏡しかありませんでした。日本最大の内行花文鏡は福岡で見れるみたいですけど遠すぎるので、鏡見るためにそのうちまた行きたいです。

土曜日は雨が降りそうだったので、御苑にちょっといっただけだった。

日曜日もだいぶぼーっとしてしまったが、午後遅くなってから住吉大社に行こうという気持ちが高まったので行ってきた。久しぶりに行ったことない神社を開拓した気分。

住吉大社は今まで見てきたどの神社とも社殿の造りが違うので面白かった。平面的で力強い感じなのでその点で神明造りっぽい感じもしつつ、本殿の床が低く妻入りで拝殿が直結してるので全然違う印象になっていた。それと、本殿4つあるうちの3つ(住吉大神3柱)は直線に配置されているのに、4つ目は特に対称性がないところに建っていて不思議な感じだった。

赤髪の白雪姫1 (花とゆめCOMICS) - あきづき空太

あきづき空太

3.0 / 5.0

欲しいなー と思いつつ amazon に在庫がなくてなかなか買えなかったんだけど、ふと書店に立ちよったら普通に全巻売ってたので即断で買って、amazon 側をキャンセルした。

期待以上に良かったので買って良かった。主人公の女の子は意志が強くて可愛いし、薬剤師ってのも良いし、全体的に甘ったるさがただよわず、一貫して距離感がすっとしていて気持ち良いです。

この主人公の場合、意志の強さが過去の経験からきており (明確に描かれないけど多少辛いこと)、いろいろ考えた末にそう振る舞うのを良しとしているように感じられるので、単に意志が強いとか気が強いとかという生まれ持った性質ではなくて、むしろ形質によって崖に一度立たされたこその心持ちが見えて心にきた。

赤髪の白雪姫 2 (花とゆめCOMICS) - あきづき空太

あきづき空太

3.0 / 5.0


赤髪の白雪姫 3 (花とゆめCOMICS) - あきづき空太

あきづき空太

3.0 / 5.0


赤髪の白雪姫 4 (花とゆめCOMICS) - あきづき空太

あきづき空太

3.0 / 5.0


赤髪の白雪姫 5 (花とゆめCOMICS) - あきづき 空太

あきづき 空太

3.0 / 5.0

今日は朝からずっとイライラしてしまった。低気圧のせい(他人のせい)にしておきたいと考える。

ある種の、ちょっと変わった程度のろくでもない属性 (例えばある学校とか、ある世代とか、ある地域とか) を自分にラベリングすることで、何らかの個性を出そうという気持ちがすけてみえている感じ、ただそれだけなら、まだ求個性没個性なだけで気持ち悪くとも害はない (無意味で、無個性な誇りだ) けれど、その大して価値のないちょっと変わった程度のろくでもない属性を守るために、他人に対して攻撃的だったり、排斥しようという感じになってくると、一体なんなんだろうという感じに見える。

こういうこと、他人に対し、内側から強い気持ち悪さを感じるときは、大抵自分の中に何かしらそういうものがあるときだ。じゃあ、どんな類に対して自分がそういった馬鹿げたことを思うかと考えてみると「○○な人はクソであって欲しくない」みたいに言葉にするとき解りやすく表に出てくるのかもしれないと気付いた。「プログラマは」「日本人は」「Perl が好きな人は」「あるアーティストが好きな人は」とあてはめてみると、自分の中からわさわさと出てくる。結局これでは人のことが言えない。

他人に対するイライラは、日記にまとめているうちに、自分の普段の行いによって相殺されるか、自分にふりかかる。日記に書いて落としこむ時点で、自分のクズさに要約される。

何かしら書いてしまえば一貫性を求められる。破れば糾弾されるから、矛盾には先に自分で気付かなければならない。日記は読みかえされないといけない。でも考えかたが変わったら変わったと書けば良いだけだ。強い口調は、他人の機嫌を損ねるというより、自分の逃げ道をなくすから良くない。

高校・大学と人間が心底嫌いになるばかりにコミュニケーション能力を得る機会の多くを失なって、いろいろと困ることになったということも、それによって他人のコミュニケーションの仕方を冷静に観察できるようになったのであれば別にいいような気がするけれど、自分で考えて造れる良いものが、殆どの他人の望むものとは違うという話であるなら、全くなんのこともなくて、自分が価値 (他人が必要とするもの) を生み出せないことにほかならない。

そういう気概で一体どうして何か造れようかと思う。

こういったこと、他人ではどうしようもないので、仕方なく、未来の自分である他人が楽しければいいと考えるしかなくなる。

何かしら日記に書いていると、明日誰かに責めたてられる気がしてならない。クソだクソだと誰かが言っている声が聞こえてくる。おれがどんなにそういう人達に重さを感じないように努めても、不意うちでも何でも、視界に入ったら終わりなのだから、いよいよ、書くことで損することは認めないといけない。当たり前すぎるけど、インターネットは全然安全ではない。

やる気のリハビリというの頑張ってやろうとしてもすぐ無駄にされるので、やる気なくなる悪いループにハマってる。

やる気のリハビリというの、どういうことかというと、大きなものを作ろうとすると大きなやる気が必要になるけど、それだけのやる気がないとき、小さなものを小さなやる気で作ってフィードバックを得て、小さいやる気をちょっとずつ増幅させていくということです。

これ、継続的に減衰させるような要素があると (例えば不安・不信とか) 全然次の段階に進まないし、永遠に小さいものを小さなやる気でつくるしかなくなる。あるいはやる気ってのは外敵に著しく弱いので、何かしらの刺激でゼロに戻ると、また最初から、つまり小さなものを作ることからやりなおしになる。

一旦育ててそれなりに大きいものを作れて、フィードバックを適切にうけられれば、さらに大きいものを作っていける一方、ゼロになると長い時間が必要になってしまう。

こういうこと、体内にやる気の永久機関を持っていて自己完結している人には理解されないのだろうなあと最近思った。

強烈なやる気を持って何か作ってるときは非常に幸せなのだから、やる気は徹底的に保護したいと思っているけど、うまくいかないもんですね。

モチベーションを保つのってめちゃくちゃ難しいことだと思うし、特に人から「やれよ」といわれてやることに対してのモチベーションなんて、二日持てばいいほうなんじゃないのかなぁと個人的に思う。

http://lowreal.net/blog/2006/09/27/2

なんかすんごい何度も書いてる気がするけど、モチベーションの維持が一番難しいのだ。だから自分はモチベーションがあるときは失わないように必死だし、モチベーションがないときはどうすればモチベーションがでるか考えている。

http://lowreal.net/blog/2007/01/02/1

成長してなくて笑えないです。体内にやる気を生成する機関がうまく作られなかったのでもうどうしようもない感あります。

悔しいって気持ちあんまり感じないんだよなあ…… ないし、感じるけど、人に対してはあんまり感じなくて普通にすごいなぁとしか思わない。あるいは悔しいと思っても、別にそれが行動に繋ったりしない。「残念だったねぇ」としか思わないし、「悔しさ」自体はモチベーションには繋がらない。

一番悔しいって感じるときは、アイデアがあって、実装もしてあったのに、先に誰かに同じアイデアの何かを出されたときですよ。例え同時多発的なアイデアであっても、後発は永遠にパクりの嫌疑をかけられるんですから。

この場合、そのとき「悔しい思いをする想像」っていうのは、早く実装して早く出したいという気持ちになるけど、もちろんそれは「これはおもしろいし先をこされたくない」っていう強い感情に基いてる。

インターネットで情報を直接受け取って判断できるようになったんだから、もう「メディアが煽ったせいで」なんて言い訳は通用しなくなる。