自分のことを知るために他人をミラーとして利用するのは、悪くはないけど、良くもないと思う。自分でやれることはやったらいいのに

ひどい夢をみた。

かなりボロいアパート、鍵がかからないところに、自分は住んでいて、生活をしている。なんか特別なことがある日に、バスでどこかにでかけて、帰ってきたら、自分の部屋がない。部屋がなくて探しまわっていたら、廊下みたいなところに、自分の持ち物の一部があることに気付く。泥棒に入られたようだ。(部屋がなくなる説明がつかないけど)

お金がないから、大抵のものは取り戻せない。もうなにもないなーと思ってダメだこれ、って思ったところで、これがプログラムだって気付く。適当に終了処理をすると元のプロンプトに戻る。好奇心でなんかそういう疑似体験っぽいプログラムを実行していたっぽい。

夢の中の夢の派生っぽい感じ。説明できない。

リスクありすぎる気がするよね。でもちょっとやってみたいなと思う。わからんね。結果どうなるか、全然わからんね。

セルフリブログ。なんかやたら「バランス」って使うなーっておもってサイト内検索かけたらひっかかったので読んだりした。なんでこんなこと書こうと思ったんだろうなぁ。わからない。ほんとキモいなー今も昔もキモい。キモイキモイキモイ

自分でその最上級にくだらなくて、つまらなくて、つらい「努力」とやらを望んでやっているのに、「俺はつらい努力をしているから偉い」みたいな考え方をするのはさけたい。意識的/無意識的に関わらず、さけたい。だから時々自分をチェックする必要がある。

http://lowreal.net/blog/2006/12/19/3

人間が生きていることになんて、なんの意味も、価値もない。意味も価値も、見いだしているのは人間/自分そのものだ。だから、「つらい」ことをやっている自分、というのは、自分がそれを望んだからそれをやっているに過ぎないと思う。いくらでも、楽しい方向に考えることはできるはずだ。でもそれは殆どの場合うまくいかない。ちょっと「つらい」ことをしたあとに楽しいことをしたほうが、より楽しいことを知っているからだ。でもって人によって、この「つらい」ことをするのと「楽しい」ことをするのとのバランスが違う。殆どずっと楽しい人もいるし、殆どずっと辛い人もいる。

http://lowreal.net/blog/2006/12/19/3

「辛いふり」をしたり「楽しいふり」をしなければならない。くだらない人間ごっこをしなければならない。みんな楽しいことをしていればいいのにも関わらず、「みんな楽しいこと」をしている状況になるためには、既にみんなが楽しくなければいけない。誰か一人が壊れていると、それが人間ごっこをはじめるせいで周りが巻き込まれる。誰がこのクソマゾゲーを始めたか知らないけど、だいたい今生きている人は巻き込まれてるだけだ。しかも連鎖的に確実に悪化していくので、救いようがなく、そのうち必ず終わってしまう。

http://lowreal.net/blog/2006/12/19/3

そういえば「人間ごっこ」について、この頃と今とではちょっと考えかたが変わっていることに気付いた。2年ぐらいまえ「人間ごっこ」は、生まれたときからやっているものではないと思っていたけど、今は生まれること自体が人間ごっこの始まりだと思ってる。2年前に知っていた、人間ごっこを辞める唯一の方法は、本当に唯一の方法なんだなぁと思う。

いろんなことがとても退屈なことに思えてくる。よくわからない。

再読しない日記に意味はない。それと書き捨てに価値を持たせたいわけじゃない。手が動くように、好きにさせたい。

頭の悪い人の書く文章は一目瞭然すぎてとても憂鬱になる。おれのが全部そうだからだ。

セルフリブログ楽しいなー このキモさがたまらん!!!!!

テンションあがってきたwwww

なんか、ヘタにモテようとしているのはほんと嫌だなー (女の子から、とかに限らず)。もっと心の底から DNBK させるような、グロテクスな感じがいいんじゃないのかなーーー 結局演出してるんだもんなぁ。気付かずうちにってことですか? 結局日記をいくつかに分散させているのもそれなんだろ。エロゲやりたいなー

「あーこの id だと、誰誰さんが読んでるからちょっと自重しよう」みたいな、ね。そういうのがダメなんだよねーーー それがコミュニケーションを円滑にする? ですよねーwww

しかし! おれは! これだけ暗めのことを書いているにも関らず、「しにたい」と書かれたエントリがとてつもなく嫌いなのである!!!! おまえ「しにたい」じゃなくて「にげだしたい」と正確に書けよ!!!! 本当にしにたくないくせに

こうやってぼくは、おれが尊敬するような人物像から、離れていくのだな

とても面白い日記を書く人ほど、プライベートモードとかにせずにそのまま消えていきやがるので、フィードリーダに上ってこなくてそのまま忘れる。

どっかで 1965 の女性ボーカルカバー (コピー?) を拾って mp3 だけ手元にあるんだけど、これいいなー

一週間ぶりにヒゲをそった

こういう写真があると、なんか奇妙な感覚になりませんか。なりませんね。

なんで現実世界の継続はファーストクラスじゃないん?

単純作業について、そんなに嫌いではなくて、なんでかっていうと、そこには機械化の余地があるからだと思う。どうすれば綺麗に今やっていることを一般化して応用可能な機械にできるかっていうのが思い描けるのは面白い。単純作業したほうが早いことはいくらかあるけど、それは楽しくない。単純作業を単純じゃなくする方法を考えて実行するのが楽しいのだ。単純作業を最適化して仕事をなくしたい。

みんな仕事をしなければならない、っていう洗脳が消えさらない限り、自動化なんて意味がない。

「将来が餡の雲」だと響きがイマイチなので似たような言いかえにしました。(もともと将来が不安をリスペクトしたものでしたがイマイチリスペクト感もなかったですね)

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  3. 一寸先は餡の雲

自動化して仕事が減った結果、仕事を失くした人は、どこから金を得るんだろう? 仕事を減らしたんだから、何もしなくていい人がたくさんでてくるはずだ。実際今そういう人達ってたくさんいるよね。世間はそういう人達を悪者にするし、本人も「働かなければ生きていけない」と思ってしまう。お金がないと生きていけないし、現状では働くこと以外でそれを手にすることができない。「生きていてもいい」っていうシステムがない。その状態で仕事を減らすってことは、プログラマは人を殺してるんじゃないか?

不思議なことにみんな、お金を持ってない。誰がもってるんだろう?

お金以外の何かを提示していいのはそっちじゃない。バランス・バランス。

mabinogi やりたいなー 木刀で4連したいなー

あーーーー 24時間だと足りないよーー

ちゃんと眠りたい。ほんと寝ないと調子悪くなるからやばい。でもあれもこれも中途半端で眠れない……

あらあなた、関係性に縛られて何も言えなくなることが大人になることだと勘違いしていらっしゃるのね

少なくとも先2年ぐらいの見通しがたってからじゃないと他のことに手を出したりできないとおもうんですよ!

僕の人生初片瀬江ノ島は寝過しですよ。

本当に全くの初心者だったとき、僕には時間があり余っていたので、試行錯誤ないし試行錯誤のための試行錯誤を、いくらでもできた。周りにはコンピュータに詳しい人はいなかったから、独学するしかなかったし、掲示板での初心者的な質問は、すると殺される類ものだと思っていたから、質問したこともない。

誰かに教えてもらったことがないから、基本的なことについて、どうやって伝えたらいいか全くわからない。頭のなかでなんとなく考えた言語化するまえのものを抱えながら、実行してみて答えあわせしていただけで、そこには単純に、試行錯誤しかなかった。カリキュラムなんてなかった。言語について纏まった本は殆ど購入したことがない。作りたいものドリブンの学習しかしたことがなくて、(困ったことに) その方法でしか学習できない。

初心者のときに、周りに教えてもらえる人がいなかったというのは、よかったことなのかもしれない。でも遠まわりをしている。そしてゴールは見えない。いまだ安定しない。わるかったのかもしれない。一定までは、誰しも孤独に試行錯誤をせざるを得ないから、下手に誰かがまわりにいないほうが、集中できるのだと思うけれど、どっちがいいかは 一生でどちらかしか経験できない以上、わからない。

検索したらでてきたのでセルフリブログ

環境に求められている能力がないということは、つまり自分が自分でないことなんだよね。で、その差がいまいち釈然としなくて気持ち悪い感じ。じゃあその自分でない自分っていうのは、誰なんですかっていう、よくあり気な問答があるわけで、問答とか言いつつ答えがない罠が待っているわけで、なにこれ、みたいな。

アウトプットしないといけないのに、どうもアウトプットする能力が明らかに足りていなくて、あるいはモチベーションとかも足りていなくて、結局何もアウトプットできない。作れない。

どういう人がすごいかっていうと、なんだかんだでアウトプットが大きくて、それなりにフィードバックが (DIS であれ) ある人なんだよなぁ。そしてそのフィードバックを次に生かすことができるような、なんか、無理だな。

もちろんそのアウトプットは、適切な基礎があってこそで、あるラインを越えるまで、絶対的に孤独な向上作業であるはずだけれど、何か間違ってラインを越えないうちに誰かと何かをやったりするのは、困ったことになる。不安定なものを余計不安定にしてどうするんだ。しっかり基礎をやるべきだ。前も似たようなこと書いたなぁ。

http://lowreal.net/logs/2006/08/05/1

よく、ある程度熟したアーティストが、他のアーティストとコラボレーションして「いい刺激になった」とかいうけど、あれはそのアーティストが既に一つ山を越えていて、ある種完成されている (つまり、完成=安定の状態を崩すための刺激) からであって、その山を越えるまではずっと孤独なんじゃないかって

http://lowreal.net/logs/2006/04/14/1

そういえばコンピュータ関係で、最初にとても悩んだ疑問は「アップロード」の概念だったけど、今も昔もダウンロードの反対としか説明できない。なんでダウンロードが理解できていてアップロードが理解できていなかったのかが今となってはよくわからない。サーバ・クライアントモデルだとクライアントはダウンロードしかできないと思いこんでいたのかもしれない。サーバ・クライアント、みたいなモデルをいつ学んだかはわからない。

「自分」が書いたものは、誰かのコピーをシュレッダーにかけたものをかきあつめた断片みたいなものだから、もとはといえば他人のものなのだ。どれひとつとして、自分自身の言葉なんてものはない。過去の自分がとりあえず纏めあげたものは、頭に残っていて、検索しやすい。所詮過去の自分なんてのは他人で、しかも死んだ人間だから、好きなようにできる。特別な意味なんてないのだ。

サブセッションの自分の発表、みなおしたけど、とりあえず纏めがなくて dnbk した。30分は途中で冷静になって、全く見当外れのことを言っているのではないかと憂鬱になる。動画の記録が残るのは本当にいいなぁ。会場で感じた自分の印象と、客観的に見てみた印象ってのは結構違う……

本当に、あの程度の発表をするのにもなかなかしんどいのに (もちろん言いたいことを伝えるためにはしかたないのだ)、スピーカーをやって、スタッフをやって、普通に働いているなか、金・土・日と動けるのには本当に尊敬しかできない。

うんこ! うんこ!!!!!!

書き捨てているから何でも書けるにすぎない。あらゆる失敗がつまっている。

シュレッダーにかかったものだって、かきあつめて繋ぎあわせればなんかになるんじゃないかと思う。おれは本当のことを書けない。本当のことを知らないし、本当のことだと信じていることもないからだ。一人称がころころ変わるのはパッチワークの証しである。

いいなー すげー かっこいいなー よくわかんないけど「敬礼返しながらこっそりベロ出した 一番最高の笑顔で」のところがめっちゃいいなー

そういえばつくばから帰ってくるときの片瀬江ノ島行きの電車の中で、なんかこう、不思議な女性がいたのを思いだした。顔を伏せて寝ていたから顔は見えなかったけど

中継されるからそれでいいや、っていうのは、それはそれでいいのだけど、CD あるからライブ行かなくていいやってのと全く同じだと思います。物理的な距離、場の共有っていうのは、すごく重要なんです。ネットばっかりやってる余計感じます。大学の講義のように形式知を効率的に得るための場ではなくて、空気の振動から、何かを感じとる場だと思っています。

眠れないけど、頑張って寝よう……

みなさん、お疲れさまでした! 特にスタッフの方々は動きまくっていて本当にすごすぎる……

今回初めて RubyKaigi に参加したので、「あーあの人が、あの人かー」というのをふむふむと眺めつつ、チキンなので話せなかったりしたりなど、とても普通の人っぽい楽しみかたをしていました。

いろいろ整理できていないのでちまちま書いていきます。

なんか、あれ、全部嘘だから気を付けたほうがいいと思いますよ

RubyKaigi というか、カンファレンス系のイベントは、帰ってきて、ネットに書かれた感想とかを、行っているからこそわかる空気感を想像しながら読めるのがとてもいいのだよなぁ。そういうのがあると、例え外にでて電車に乗って憂鬱になりながら帰ってきたりしても、よかったなぁと思えるのだ。

1日目から参加します。2日目のサブセッションで net-irc について話をする予定です。ちょっと内容がいまいちなのでブラッシュアップ中。すごい緊張する……

ここ数日ふとんで寝ずに床に寝たりしてる。割とこっちのほうが寝心地が悪いので起きやすい気がする。