レイヤースタイル厨すぎる

なんか、過去の自分がやっていたこと、やろうとしてできないと、恐ろしい。あのときの気持ちみたいなの、よく覚えているのだけれど、それを再現できない。経験が生かされていないような感じがする。そうだろうか?

物理的な距離、断絶

うしろむきライフスタイル、そうそう、これはライフスタイル。

空気読めない人に「空気読め」って言ったって無駄だし、空気読める人にそういうと萎縮するし、全く意味がない。コミュニケーション不完全なことの象徴だと思う。コミュニケーション不完全なおれがいってもしかたないんだけどなー (例え言っても意味がない。空気読めとか言ってる時点で空気読めてない)

他人の性格に関することは何言ったって意味がない。だから何も言わない。ぼくは誰かの親友ではないし、誰かがどう育ってきたかもよくしらない。縁がないのだ。

最初っから日記書ける人とか、デザインできる人とか、なんか想像できないんだよなぁ。そういうセンスが羨ましい。意味がわからない。必要にかられて日記を書きはじめて、日記さえまともに書けやしないもどかしさなんて逆に理解できないんだろうなぁ。べつに何が問題ってわけじゃなくて、とても単純に、おれはうまれつきダメってことをよくよく実感せざるを得ないでしょう?

BURGER NUDS は何度聴き返しても無駄な曲が一切ないのがすごいよなぁ。

なんかやっぱ、明かに右耳の聴力が落ちているっぽくてボーカルとベースが若干中央に定位しないので右寄りに音量調節してる。けど、実際はそんな単純じゃなくて、音域ごとに違うっぽくて、定位がハッキリしないって感じだ。モノラルにするとハッキリ左寄りだなー (ステレオの LR を逆にしてもおなじ、ポータブルプレイヤーでもそう感じるからたぶん間違ってない)

やーほんと、いいモノをみると、素で泣けてくる

mabinogi の初期チュートリアルクエストってよくできていて、実際のシステムとちゃんと連動していろいろ嬉しいことがある (結構長くて、慣れてないと3日ぐらいかかりそうな内容、慣れれば1日で十分、っていう適切なバランス) んだけど、ああいうのってなんでネットサービスにあんまないんだろうなぁと思う。mabinogi に限らず、ネトゲはだいたい割と複雑なシステム上で、割とアレなユーザがたくさんいる、みたいな構成だから、チュートリアルが結構まともになってることが多い。

もっと徐々にできることが増える、っていうスキームができててもいいのになぁ。例えば、nowa のノワエンとか、それ自体には何も意味ないけど、なんかして増えると嬉しいし、あとシャウトとかで消費できるとか、おもしろい。でもそれ自体が何なのかわからない。チュートリアルがない。例えばはてなダイアリー市民の30日書き続ければキーワード編集権限、みたいなのを、もっと細かくして、カスタマイズ項目が分離されててもいいよなぁ。1エントリ書けば簡単デザインが変えられて、7日書けば CSS いじれて、みたいな。それ最初っからカスタマイズすればできるよ、とか、意味がない。ユーザがその存在しれないと意味がない。