hatena-textarea-scroll.user.js
はてなの編集画面を開くたびにいちいち下までスクロールするのが面倒くさいので作った。ついでに編集画面開いたらキャレット位置を最後にしてフォーカスさせるようにした。すぐ書ける。編集しやすい。
Ajax でインラインエディットできたらいいんだけど
過去のページでもいけるように @include を書き換えました。
hatena-textarea-scroll.user.js
はてなの編集画面を開くたびにいちいち下までスクロールするのが面倒くさいので作った。ついでに編集画面開いたらキャレット位置を最後にしてフォーカスさせるようにした。すぐ書ける。編集しやすい。
Ajax でインラインエディットできたらいいんだけど
過去のページでもいけるように @include を書き換えました。
*t* 記法で書かれた日記やらブログを、新しい順にソートしなおします。
殆どテストしてない。*t* 記法使ってない場合どうなるかは知らない。
((..)) 記法) が上にきます。ひたすら appendChild しかしてないせいです。解決法:別によくね?今時
らしいです! 編集設定の「見出しの時刻」を「保存する」にすると勝手に保存してくれるらしい。知らなかった><*t* とか書かねぇよプププ
このぐらいのスクリプトで30分かかってます。10分で開発とか普通に無理です。
ハッシュ指定で飛んでくると見失うので自動スクロールさせるよう修正した。
「続きを読む」を展開して表示します。それだけです。完成度が低いです。複数の「続きを読む」が一日の中 (日記モード) にあるとまざります。
このスクリプトも30分ぐらい。どうすればいいか微妙に悩んだ。
諸事情により XMLHttpRequest 版も作りました。機能も何も変わりません。XPath は使えるけど GM_xmlhttpRequest は使えないという特異な環境ではこちらが動くはず。hatena-kill-seemore-XHR.user.js
GM_xmlhttpRequest のほうが名前以外はいいなぁ。
ブログモードかつその日の最後のセクションの場合余計な展開をしていたので修正
学校の階段はどういう方向に進めたいのかが謎い。ウチュウジンはあとがきが面白かった (謎)
学校を出よう!って主人公が変わるんだね。2のほうが面白かった。というか時間ネタが好きなだけな気もする。いやでも実際面白かったのは時間ネタというより
あと4冊
だいたい、ドラマとか小説なんかで「誠実」な人間が主役で頑張っているっていうのは、すごく共感するもんだ。でも現実は違う、誠実な人はうまく腐りきった「普通」に溶け込めず、周りはそれを悪意をもって笑う。(まぁ本当に完全に誠実な人なんて現実で見たことないけどね。)
この二つ何が違うってたぶん距離なんだ。ドラマとか小説っていうのはすごく遠くて傍観者としてそこに自分を重ねられる。でも現実として、そういう人が目の前にいても、自分はそれに向かい合っているいわば出演者で、しかも「脇役」になってしまう。だからその人に自分を重ねられないし、むしろ無意識に嫉妬したりして悪意を向ける。(実際はその時点で「脇役」にもなることができない存在であることを分からないことが多い)
普通の人は他人が共感できるような見かけの誠実さと、本音の悪意を同時に持っていて、使い分けている (それが悪いわけじゃない。程度の問題なんだ)。誰かがいなくなっていきなり饒舌になって悪意を出し始める人、そういう人たち。それが普通だから、そうしないとうまく生きていけない。でもたぶんその見かけの誠実さの中で何か感じてそういうモノガタリに共感するんだろうけど。
その上で、よくわからないことがいくつかある。なんでドラマとか小説なんかで、そういう誠実さが報われるストーリーが多いのか。つまりおそらく「望まれている世界」がそういうものにも関わらず、なぜ現実はそうじゃないのか。モノガタリのヒーローはできるだけ全ての人を救おうとするのに、なんで現実では誰かを蹴落としてヒーローになろうとするのか。
ずっと昔からこういう (こういう?) 悪意ドリブンなシステムがこの世界で動いているからには、おそらくそうなるのが自然だった、ということなのだろうけど、その自然さってどっからくるんだろうって思う。どっかで変えられなかったんだろうか。これから変わっていくだろうか。何千年たっても変わらない気がする。むしろ今より悪意に満ちるんじゃないかとか漠然と思う。
というか、モノガタリでも未だに「俺が一番になる」とか「屈辱を晴らす」みたいな悪意ドリブンでネガティブな動機なのも腐るほどあるから、あーというか、そういうののほうが多いのかもしれない。っていうが多いのかな。多いからこんなシステムなのかな。いや逆だけど
一通り weblogin.rb でも実装してみたけど、アイコンとプロフィールぐらいはかけるようにならないと使えない。
hmac_sha1 って何だよとか思った。他の実装をみながら以下のように実装 (拡張性皆無)。
def hmac_sha1(key, str) key = Digest::SHA1.digest(key) if key.length > 64 key << "\0" * (64 - key.length) ipad = "\x36" * 64 opad = "\x5C" * 64 (key.size - 1).times do |i| ipad[i] ^= key[i] opad[i] ^= key[i] end sha1 = Digest::SHA1.new sha1.update(ipad) sha1.update(str) str = sha1.digest sha1 = Digest::SHA1.new sha1.update(opad) sha1.update(str) sha1.hexdigest end
なかなか実装できない。いろいろ考えすぎかなぁ。頭悪いからなぁ……
今日考えたメモ
人間から見た無脳の楽しさ
「人間」はつまらないが、「無脳」が面白いということ。なぜか?
知能のトップダウン開発ではなく、面白い「無脳」の開発
逆に、つまらないこと
意味不明な発言の徹底排除がまず重要
普通に /watch のアクション部分に Save Video のリンクをつけるのと、/results の画面のビデオ一覧からも直接ダウンロードできるように。ポップアップ許可しないとだめ。
諦め悪いのはよくない。
いまいちやっていることがよくわからない。全部やりたくない。でもやってる。
真面目な話は本当につまらない。このバカをちょっと見てみろ 俺は楽しけりゃいいんだ
頭のいい人たちの話にはまじでついていけない。そしてロジック中毒者の、とにかく理由を求める「普通さ」が気持ち悪くて仕方ない。
ACIDMAN の「今、透明か」がすごくいい。綺麗だなぁ。でもこれ最近の曲じゃないんだよなぁ。やっぱ結構勘違いしていたみたいだ。
置いて来た白 身についた黒 それを包みこむ青 太陽はふと目を閉じた
なんか、頭の中で映像がチカチカ高速にきり変わっていって、世界の終わりの少し前の光の中にいる感じだ。
とかいう料理のレシピをデザインする課題なんだ。
母親に何かいいレシピはないかと尋ねたら「私が作るのは簡単なものだけだよ」と言われて、なるほどって思った。複雑なことを理解しようとするんじゃなくて、根本的に単純にしてしまっているようだ。
そして課題が進まない。眠い。すげぇ眠い。
ちょっと前に流行っていたみたいで、NULL::colors とうまく連携できないかなぁと思っていたんだけどうまくいかなかった (なんなんだ)
で、もうちょっと小さい NULL::colors が欲しいなぁ、とそれとは別に思っていたので NULL::colors*del.icio.us を作った。canvas 版のやつなので Fx のみ。
使い方はフィーリングってことにして、これだけだと del.icio.us に投稿済みの色を読み込むのが面倒くさいので、del-the-color-scheme.user.js という GreaseMonkey を作った。save this の横に NULL::colors へのリンクを出す。
気分的には「del.icio.us でいい配色みっけたー -> でも一部が気に入らん -> これ開いて書き換える -> send でブックマーク」と使いたい。が、しかし、はてブがメインなので割りとどうでもいい。
del.icio.us の color: って面白いんだけど、色の値とかがコピペしにくいとか、微妙に使いにくい。
GRAPEVINE の光についてを聞いていると BURGER NUDS の逆光と神様ごっこが思い浮かぶ。
魔王 より。メインのほうを答えます。サブは前のときとあんまり変わっていません (ただしマシン自体は ノートからSC430 になり、xfce ではなく Gnome になってる。って全然違う気がしてきた)。
まっさらだと寂しいので作業中っぽい感じにしてあります。見えてない部分のデスクトップはなんもないです。
学校のグループワークで一緒の人のデスクトップがアイコンで矢印を作っていてかっこいいと思った。
こういう日記を付け始めた時、他の人のようにうまく長い文章が全然かけなくてすごくアレだったんだけど、最近は無駄に長いばっかりのを書いてるなぁ。そしてやっぱり長いだけでうまく書けない。
思ったことをできるだけ書くことができるようになったかな。ちゃんと、理路整然とした文章を書けるようにならないと……ってことを前にも書いたなぁ。
っていうか、学校のほうのブログ (笑) にも書いている (課題関係・先生のブログへの反応とか) わけで、思いついたこと書きまくるととまらねーとまらねーって感じ。それに加えて未だに書きたくても書けないことが沢山ある。
逆に、何も書くことがないときって、何も考えていないんだなぁと分かる。
人によって「(笑)」の受け取り方が違うのが面白いので、少し多めに使ってみるよ!
そういえば否定するのをよく忘れるんだけど、このサイトはブログサイトじゃないよ! 日記だよ! ブロガーじゃないよ!!
今日の講義でポインタの説明があって、その中で先生がポインタを理解するまでこんなに苦労した!みたいな話を聞いた。
それを聞いたときから、自分はいつポインタっていう概念を理解したんだろうって考えているんだけど、どうも分からない。
C/C++ とかを殆ど書いたことがなかったので、実際にポインタに触れる機会は今までなかったといってもいいと思う。でもいつの間にかどういうものかっていうことは理解していて、なんか不思議な感じがする。
いろいろ過程を辿ってみたんだけど、もしかしたら Ruby 触り始めてからかもしれないなぁと思った。Ruby の破壊的メソッドの理解の過程で、「変数」に対する考え方が変わった (箱という理解から、名前・ラベルという理解へ) とき、ポインタを理解したのかもしれない。メソッドに渡される引数が参照で渡される云々の理解かな。あとは拡張ライブラリの作り方とかでかなぁ。やっぱり正確なところはわからない。
で、先生の場合「ずっとわかんなかったんだけど、ある日起きたら理解していた」とか言っていて、ねー……あるあるwwとか思った。ポインタとかに限らず、なんか寝て起きたら視点が変わってて、あーなんだ、もっと簡単じゃーんみたいな。あれって結構感動的というか、好きなんだけど滅多にない。
時々すごく集中してプログラムを書くことがあって (滅多にない)、そういうときはもうずっと頭の中にある完成形まで突っ走ろうとする (寝ない) んだけど、アルゴリズムとか苦手だからちょっと難しくなるとすぐ躓く。それでもう諦めて、いいやーって寝て、起きるとなぜか思いついてコードが書けるっていう不思議現象。面白い。
一週間がめちゃくちゃ長い。やりたくないことをたくさんやらないと次の週にいかない。
一週間がめちゃくちゃ短い。やりたいことをたくさんやろうとすると次の週になってる。
可能なら、定期的なこと (学校とか) をすべてリセットしたい。
やりたくないことって、本当に、内容に関係なく、やらないといけないことが全てやりたくないことだった。せっかく内容は楽しいはずのことなのにさ、やらなきゃいけなくなったとたん、全部そういうのがなくなって、嫌な気分になるわけだ。
よくこういうのをみんな耐えているよなぁ。すごい不思議なんだよね。何でやらないといけないことを笑ってやってられるのか。責任とかの類のプレッシャーばっかりで、楽しさのゲージがそれを超えない。なにが楽しいのかよくわからない。
例えば学校の課題とかをやっていても、「やらないと単位を落とす」っていう脅しばっかり感じて、何かを学んでいる気が全くしない。何かしら役に立っているんだろうけど、全く感じない。何も変わった気がしない。ただたんに、「どうにか今回も乗り切ったか」っていうのがあるだけで、その課題が終わった直後から「ああ、次の課題がまた出るんだな」って思う。これ、どこに楽しさを見出すスペースがあるんだろう?
学校に限らないで、定期的に何かやらないといけないことって、全部このループにはまっている。一過性なら、乗り切ればそれで終わりだからまだ畳み掛けるような気持ち悪さはないけど、それだって本当は嫌なことだ。
何してるとき楽しいのか分からない。幸せだなぁって感じる瞬間を想像することはできるけど、心から楽しいなぁって思う瞬間ってちゃんと想像できない。幼稚園のときとか、なんで楽しかったんだろう。
工作するのが好きで、そういうのしてるときは楽しかったと思うんだけど、今やろうとしても、違うんだよなぁ。歳相応のクオリティを出せなくて嫌になる。その行為自体は面白くなくなってしまった。結果が全てだもんなぁ。誰も過程なんて見やしない。
何がやりたいのかと聞かれれば、「何もやらなくていい」ってことをしたいんだけど、やっぱりそれはダメみたいなんだよね。憲法にも勤労の義務って書いてあるしね。
結局大学なんて就職のための踏み台にすぎないんだけど、心から就職したくない (今よりもやりたくないことに対して責任を求められるなんて本当に悪夢だ) とか思うし、そこで、大学をやめるって言ったとき、じゃあどうするの?って聞かれて答える言葉を持っていない。
何でこんな世界にいるのかなぁ。
そしてやっぱり、何かとケチをつけたがる人に囲まれて、何かと全てを否定されながら、なにもしたくないのに、無駄に生きていくんだなぁ。死にたくないのになぁ。
それで、喧嘩売るのが楽しみな人に、喧嘩売られて、とことんニヤつかれて、それを我慢するわけだけど、そういう悪意でドロドロしてる社会に、自分から突っ込んでいくっていうのを、ほんと、尊敬する。でもそういう人が今度は、喧嘩を売る人になって、ドロドロとしていくっていうのが、嫌すぎる。
話すとき、いろんなことを前提にして話すけど、前提が違うともう面倒くさい。
普通の人たちに「じゃあ私はウェブデザイナーになるわ!」って言ってもどこが笑いどころ以前に意味がもうわからないだろう。
もちろんそれに限らない。他にも Web2.0 とか、ツンデレとか、わたなべさんとか、ドギャーンとか、そういう既に頭に最優先で浮かんでくることが殆ど通じない相手っていうのはすごく話をし難い。
逆の場合もある。俺に対して雑誌とか、流行のドラマ・俳優・アイドルの話をされても殆どわからない。こういうのはすごく居心地が悪い。
あるいは前提がそもそもいまいちわからない場合もよくある。何に反応をするか、どこまでのネタが可とされるかっていうのを一人ひとり確認しなければならない。俺が時々よくわからない発言をするのは、そういう確認の意図が少しある。
例えばネットワークゲームのギルドなんかだと、誰がどういう「前提」を持っているか、殆どわからない。
RO のときのギルドは少人数から始まり、長い期間をかけて人が増えていったので (ついでに俺自身が「時期」の中にいたのもある) だいたいどういう人がどういう前提をもっているかっていうのを、キャラ名・サブキャラ名も含めて覚えている。こういう場合は特に問題がない。
でも今の mabinogi のギルドは初期~中期の数名ぐらいしか前提を確認していない (しかもちゃんとじゃない)。というかできない。ろくにログインしてないのもあるし、人数が多いのもある。後になるともう誰が誰のサブキャラかもわからない (いちいちフレリストで確認してる)。
こういうところで発言するのは難しい。普通の「雑談」がしにくいのだ。ネットワークゲームにおいては、ゲーム内容についての話があるから、見かけ上の発言数は多いのだけれど、普通のコミュニケーションは殆どないといってもいい。スキルがどうとか、狩場がどうとかという業務的な話になる。十分だと思うかもしれない。でも十分とは思えない。空っぽで誰と話しているかわからないのは気持ち悪い。誰かがそこにいる感じがしないのは気持ち悪い。