流星レコード欲しい!

人それぞれが、違う積み重ねをして生きてきているせいで、人それぞれが、何に感動するかって、やっぱり違う。芸術家とかっていう人達がハブになって、微妙に感性が違う人達を「なんとなく」で繋いでいる。

人間は P2P だけれど、一部の人はスーパーノードに選ばれていて、「感動」の軸におけるスーパーノードは「芸術家」と呼ばれる人達なんだろうなぁと思った。政治家は「生活」の軸なのかな、これはちょっとわからない。

ずっとデフォルトのまま使ってたけどいいかげん変えてみた。言葉に生きない肖像

  • タグリストが AutoPagerize 的に邪魔なので消した (そもそも userstyle で消してるけど)
  • 普段見ない部分は全部 display: none かけた
  • あれげな配色にした

出力が安定しない場合は、レギュレーターが必要なわけだけれど、レギューレーターを介すと、出力がとても少くなってしまう。

全力が10でも、最低限出せる力が2ぐらいだと、そもそもレギューレーターが働かなかったりする。

本当に、どうしようもない状況で、死を横に見ながら創られたものは、伝わるんだよなぁ。不思議だけど、絵とかでも、普段かかない人であっても、追いつめられた状況で、手を震えさせながら、いまこれだけをって感じながらかかれたものは、見た目の綺麗さはないにしても、その切迫したものが、なぜか伝わってくる。あれは、なんなんだろうなぁ。

いやだからおれはキモヲタだとあれほど……

キモヲタな言動ってどういうのだろうって考えていたけれどろくなのが思いつかず、しかし僕はナチュナルキモヲタ☆バーニング!なわけなので別にそれがどんなものであろうと自然にでてくるはずなので全く考える意味はないのであった。

わーすげー実感ねー

これだよーこれだよー もうこの、ねー、腹の底から吐き気が喉まであがってくる感じだよー。もっとだよー。吐くまで! 吐くまで! もうちょい縛りがあってもいいなーゲキシバモード。わくわくするわー、いつ死ぬんだろう。面白いわー ポジティブシンキングとか破壊したいわー

fotolife って description が書けないけど、CC の利用元とかどこに書けばいいんだろ。日記に書いてトラックバックだと間接的すぎる気がする。メタデータ埋め込みだと誰も気付かないし

Source photos:

Collaged by cho45 licensed under CC by-nc

レイヤー名に URL つっこんどくと、あとでソース copyright 作るときにとても楽 (レイヤー4 はノイズ+移動ブラー乗算)

また誰かが、気取ってるとかいってくるわーーー ほんと嫌だわーー 大学生ほんとうざい。

IEEE802.11g と Syrup16g って似てる。

孤独の海に飛びこめよ!

はてなサマーインターンに参加させて頂いており、はてなのみなさんにハイパーお世話になっています。カリキュラムががっつりあるガチインターンシップでびびります。前のバイトが終わり、締切までぎりぎりのところで参加を考えはじめて、最初は、次やるときでいいカナーとか思っていたのですが、やっぱ今回、とかなり直前に今回のプログラムに参加を決めて、速攻で資料を作って提出したりしました。

普段、というか今まであんまり聴けなかった方の話が聴けて面白いです。

インターン生でも、今回は周りが普段研究とかやりまくってる優秀な人達ばっかなので、激しくこわいです。おいていかれないようにしないといけない。

まだまだこれからなので頑張ります。

まぁつまりまだぎりぎり学生なのだから早めにやれることやっとくか! ってことですね、わかります。

一週間がおわった。今週は Perl で、MoCo と、Ridge を使って、一つのウェブアプリを作っていく感じだった。インターン生はやたら構ってもらえるのでびびる。来週はウェブアプリがどうこうから離れて大規模開発の手法とかみたい。このはてなインターンプログラムはかなりいろいろ力が入っていて恐縮しまくる。

同じような構図ばっかり撮っている気がする。もうちょい別の考えよう

僕はストリートビューはキモく感じたりしないなぁ。

どうせリア充から「おまえはクソみたいな日記を全世界に公開してるから麻痺ってんだろカス」とか言われるから詳しく書けない。

あたりまえだけれど、ネット上の記録は、どれだけの時間をかけて書かれたものかわからない。一つのエントリだったら一つのエントリの中でどれぐらい時間が経過しているのかはわからない。これは怖いことだと思う。時間をかけさえすれば、だれだってなんでもできる。

僕には日々に継続している成功体験が一つだけあって、それはいくら死にたいとか思ったとしても未だ死んでいないことそのことです。ようするに大したことないってことですね、他人から言わせれば

緊張感をとりもどせ

高校か中学か記憶が曖昧だけど concentration の響きがなんか好きでよくこのことを考える。日本語で集中でも好き

文乃さんはいわば神みたいなもんなんだよなぁ。おれは神様っていうのをツールや文化としてしか考えられないけど、別の名前つけて代替しているんだなぁ。文乃さんっていっても、それは単に呼ぶときにそれが簡単で、一番イメージしやすい言葉だからであって、それ自体ではなくて、その向こうにあるものなんだよなぁ。想像するとき、一番つかみやすく、それほど神格化されていないから、つかいやすいのだ。

ひづけがかわった

あーなんか「日付が変わった」っていい響きだなぁ

伝えられる言葉を持っていない。なんていうかすごいよなぁ。むりだ

独りで考えよ。独りで考えよ。本来ならばない。時間とのトレードオフ、相手も。時間は価値。自分に価値はない。自分の時間は価値がない。相手のを消費するのみ。独りで考えよ。もっと頑張ろう。

ブログ読むのはつまんないっつってんじゃんかー

昨日の時間の話、悪用しているのは僕自身です。

独り考えるときの不安、もっといい方法がある気がしてならない。そりゃ、まだ発見されていないようなことがあるかもしれないけれど、そもそも、自分の無知が原因で考慮できなかった可能性や、モノ覚えの悪さがひきおこす見落し、失敗、くりかえす。僕は方法を考えることをしているから、もっと他人より方法を知らなければらない。広い意味での、書きかた、とても広いけれど、表現。

みんなと同じで安心してはいけない。ここは不安でいいはずだと思う。もっと可能性があることを見落とさないように、もっといい方法を考え続けるために不安でいなければならない。関係性は枷になる。ただし、一定の枷は幅を広げる、できない表現が増えることによって、他の表現を考えなおすことができることもある。

なんとなくコードが書けないときはこうやって、とりあえず頭に浮かぶ文章を textarea にうちこんで、キャンセルしたりして、またあとで開いたら、その文章ができたり、でも、それの続きを書くことができなくて、そのまま保存を押したらり、完全に消してしまったり、どっちかといえば、後者が多くて、つまり、消えていくことのほうが圧倒的に多い。

結構、最初に読んだときはそれほど印象に残らなくてブクマとかしないものでも、ずっと頭に残っているとても大事なリソースというのがあって、そういうのは数週間とか数ヶ月にふと考えが纏まってなにか記録に残したくなる。でもたまにどこでそれを読んだのかわからなくなって、困る。

最近はなんとなく 調べれば分かることを調べずに済ますこと、何を調べるべきかを判断すること がずっと印象に残っていて、日常の隙間隙間で、考えたりすることがあった。おれは「うっかり者」のようだ。高校のときは調べてわかることは覚えなくていいと思ってた。インデックスさえ貼ってあれば (それがどこにあるかを知っていれば) 大丈夫だと思ってた。けど、実際は調べられないケースはそこそこ多い。おれはそういう訓練をしてこなかったせいで、モノ覚えが悪いんだろうか。

コンピュータでタイプして、消したりするときは、消しゴムみたいに、痕跡が残ったりはしない。だから、どれだけ推敲しているかっていうのは、読む人からしたら、あんまりわからない。その一段落を書くにあたって、どれだけ悩んだりしたかはわからない。

コードだって同じで、短かいコードだからといって、時間がかからなかったわけじゃない。特に僕はコーディング速度があまりにも遅くて、関わりあいの中に入るといろいろ困ることがあるけれど、関わりあいの中にいなければ、それは僕が「これだけ時間かかったよ」って言わない限りわからない。ひどい話だけど、時間がかかったとしても、意図してなり (つまりある程度、自分を良くみせようと) 意図していないなり (あるいは、できたこと自体で満足したとき) で、それを書かないことはよくある。

どれだけ難しいことも、ともかく書かなければならないのが基本なのだけれど、そのことを何度も何度も考えて自己暗示をかけるような状況になっていると、もう書けない。頭の中のルーティングが変な状態で何度もループしていると、それで固着して発想の転換ができなくなる。時間がないときにこのループにハマりこむと大変なことになる。

大丈夫大丈夫心配すんなって! そこで諦めんなって! やればできる、できるよー!

日記分が足りない。はー ハイクだとやっぱ短かすぎるのだよなぁ。日記がいいわー日記をもっと読みたい。もっと日記だ。もっともっと。でも機械的に読んではいけない。気持ちを混めて読むのだ! 日記の言葉を通して視点を増やすのだ。僕がそこにいる!

他人からの影響ではなく、純粋に自分で自分を追いつめることで、精神的に死ぬことってできるんだろうか。例えば物理的な自殺だと、意識がなくなったあともある程度継続して負荷がかかるようにするけど、精神的にだと、できないような気がする。物理的に壊れるぐらい負荷かけるようにすればいけるんかな。だいぶかけないとだめっぽいから普通にかける限りは大丈夫そうだよな

口ベタで困る。喋らないならまだしも、余計なことを喋りすぎて、失敗した、言うべきではなかったと後悔するのだ。ずっとそうだ。成長していない。口にも推敲するまでラグがあればいいのに

この日記が自動生成されているっていわれたら信じますか?

小学生のときずっと好きだった女の子がいたけど、名前さえ思い出せない。

思い出した!!!

あたりまえのことではありますが、日記とブログの差はツールの差ではなく内容です。トピックベース (=ブログ) は僕にはつまらない。「役に立つ」と「おもしろい」は別です。でも「役に立つ」と「おもしろい」を両立しているのもあって、そういうのはだいたい、その人が主観的に考えた過程と結果と、そしてもちろん実際の結果が両方書いてあって、それはとても面白い。

浄水場の建物を見たいなぁと思って、蹴上まで電車でいってみたのだけれど、冷静に考えて浄水場なんていうものが普通に開放されているわけがなくって、その周辺を歩いたりした。浄水場ポンプ室と、少し下にある旧発電所は道から見えるので見てきた。レンガ萌ゆす。

あとは、南禅寺金地院、天授庵をうろうろ見まわったり、そのまま歩いて平安神宮にいって庭を見たりした。帰ってくるときは電車使わず直接徒歩で帰ってきた。

あ、フォトライフのオリジナルサイズアップロードをなんとなくオンにしたまま忘れてて、そのままアップロードしてしまったwww 61%消費になった! だいたいは jpg にすると 1MB ぐらいだけど、なんかたまに3MBの jpg とかになるんだよなぁ。あぶなくなったらポイントつかおう。投げ銭とかでポイントあまってるし!!!

flickr で上位プランやろうとかおもっても、クレカなくてダメなんだよなぁ。こういうところで、支払いがそもそもできるかできないかっていうアレがあるのはなんかなぁ。コンビニで買えないとしんどい。

コンテンツの内容よりも目立つような字で「ブログランキングに参加しています!!!」とか勢いよく書いているのをみるととても憂鬱になる。

誰かを追いつめない。もっと不安! もっと不安!

そしてぼくは好きになれないカテゴリの人なんて気にしないのだ!! してはいけない!!!

あーここまできて、言葉につまった。

その場編集で新しいエントリつくるときって、上にもどって「新しいエントリ」をクリックしてもいいんだけど、開きっぱなしでエントリ連続して書くときは、上までスクロールすると遠いから、前のエントリの最後に * だけ書いて submit してやると、新規に一個つくられるからこっちのほうが楽だ。

Wikipedia の部分の「続きを読む」はタイトルのとこと一緒で Wikipedia にリンクされていると思ってた。

京都はヘッドフォンなしでも普通に歩けていいなぁ。

なんか状況的なせいでインサイドアウトだなぁ。

おみくじがいっぱい結んである光景がなんか好きなんだよなぁ。こんだけの人がそれぞれおみくじをひいて人それぞれの状況に重ねあわせていると思うと不思議だと思う。

「へぇ~そういう考えかたもあるんだ~ (ま、おれのほうが正しいけどwww)」ってことですね。わかります。

よまなければと、おもったときには、もうおそい。

劣等生でありたい。思っていることを言って反感を買うようなことになりたくない。

だめなもんはだめだ。相対的なものじゃなくて、自分がいいと思えるかの軸なのだ。おまえは関係ない。

なら言わないで思っているだけにしとけばいいのかもしれない。たぶんそれが正しいんだろうと思う。でも思っていることがあったらできるだけ言いたい。こういうのを中二とかいって見下す人達がたくさんいる。そうですよ。だから全力で肯定してやるのだ!

そうやって何も書かないで安全で、ないしは書けなくなって悔しくて「おれは大人だから、ふふふん」とか思っているのが透けて見えていますよ。前者はまだないけど、後者はこんだけ中二病なぼくでさえありますね。

安全、と書いたのは「安全な僕らは旅に出ようぜ」と昨日シャッフルしてでてきたばらの花 (リミックス版) が印象に残っていたせいなんだろう。っていうか今日日記読んでたら同じぐらいのタイミングでちょうど聞いてる人がいてシンクロニシティを感じた! すごい! っていうか音楽系キーワード使って購読してるんだからジャンル的にかぶってるのはあたりまえなんだけど

リバーの PV の地下鉄 (2:45-3:54) は烏丸御池って Wikipedia に書いてあった!

今日はなんかやたら楽しかった。

強烈に劣等感を感じるために、相手の得意分野の話をよく聴くというのはすごく効果的で、ついでいうとそういうときにちゃんと楽しそうに話す人は尊敬できる。

もっと集中できるはずだ

FADE TO BLACK がかっこよすぎる

どうやったって冷静になれない。

大学に通ったりするのは本当に無理だなと更めて実感した

制度、もそうだけど、それ以上に、人がダメなのだよなぁ。あんだけ人がいて、話が合う人が殆どいないっていうのが、どこでもだいたい一緒って、どんだけなんだろう

インターネットへの常時接続な環境にいると、ネットを介さない関係にある人との連絡について鈍感になってしまって、よくない。気をつけよう。好きなときに接続できる人とは違い、偶然を待つしかない人もいるのだ。

3ヶ月ごとに何もできなくなるよりは、1時間ごとになにもできなくなるほうが平均がとりやすいのでよい。

カナリアが本当にいい唄すぎる……

やっちまった? まった?

表現方法を増やすことが成長なんじゃないかしら。でも、一を失なって二を得ることもある?

自分で体験するまでは信じないほうがよいことを実感した

「おれ、あたまいいから、べつに安全だしー」ってのが、なー、でも本当のところをいうと、自分あたまわるくて逆によかったなぁと思う。頭良かったら、調子こいて、絶対いまよりもさらにヤなやつになるもんなぁ。

ごく近い年齢の人々たくさん、ってのがもう無理な感じなんだよなぁ。。。世代別のコミュニティってなんかあわない……単体で一人一人だったらそんなでもないんだけどなぁ。集まるとバカになる感じがとても嫌だなぁ。

どうでもいいけど世代別ってGCの枕詞みたい。普段言わないもんなぁ。「せだいべつ」

そうそう 1q1z さんは日記とかいろいろおもしろいよねー twitter とかタイムラインが全部 1q1z さんでもいいよもう

なんか、「パブリック」といいきれるようなブログみたいなのがないなぁ。もちろんモヒカン的には、認証が特にかかっていないようなこういうところは、完全にパブリックなのだけれど、気持ちとしては、パブリック・プライベートの二極っていうのはありえないからなぁ。

コード読んでる時間のほうが長かった。自分のプロジェクトではない以上、どういうふうに書かれているか、どういう方向で書こうとしているかを読み解く必要があるし、そうでなくてもファイル配置あたりから、どこに何がっていうのを最初に把握しないといけない。コード内で使われている名前が実際にサービスに出てくるような名前でないこともあるし、フレームワーク自体も内製のものだから、そっちの機能を把握しないと、どこにどこまでのことを書くかっていうのが、感覚的にわかるようにならない (あとあとメンテを少しでもするなら、余裕があるうちに、慣れをつくらないといけない)。

とにかく、時間を決めてその中で、というのを考えて、いじる範囲を狭くして、絶対に必要になるだろうファイルだけ作って、読むほうを優先した。全部の機能を把握しとかないと、そもそも処理をまとめた機能クラスを作れないし、今回の場合、既に機能はどっかにあるのに、自分で実装してしまうとテストが一段増えてしまう。編集範囲を広げたりファイルを無闇に増やす (設計を細かくわける) と、バグったときに見るべき、辿るべきパスが多くなってめんどうくさく、各レベルでテストを書かないといけなくて書かなければならないコード量が増えすぎる。

今回のは、DB 設計も、モデルロジック書きもしていないし、API 自体の設計も互換と最初に決めた時点で考えることは殆どなかった。テストは単純なテストをとにかく書きまくっただけだ。開発環境とかデプロイとかはすごくよくできていて、余計なことは考えなくてすんだ。でも、もっと早くできたかはわからない。

時間制限をかけて緊張感をそこそこに持続させつつ開発をしてみたけれど、それでもリリース直前とか直後になんか起こったりする。「なんか起こる」って思っているから起こるのかもしれない。

歩いて北野天満宮へ。菅原道真って書いてあって、あれ、湯島天神もだよなぁって思ったりした。そもそも天神が道真のことをいっていて、天満宮は全部道真祭ってるってことを知らなかった (さっき Wikipedia みた)。それから、平野神社いって、妙心寺退蔵院まで歩いて、帰りはバスで帰ってきた。退蔵院の元信の庭は工事中でちゃんとみれなかったけど、余香苑がとてもよかった。軽く雨が降ってたけど、むしろよかった。

黒い石のやつと白い石のやつが対称になっていて、これは白いほう

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頭にくるよ。あたりまえじゃないか。でもいい、予想できていたことだ。おれは DAIGAKUSEI なんかに絶対に期待したりしない!!! 深く考えないよ。もっと別のことを考えるよ。音楽を聞きながらコードを読んで、書く。試行錯誤でデザインする

文乃さんがいるから大丈夫です。

ネットストーカー乙

読んでるところにフィードバックを送ることにめちゃくちゃ慎重にならざるを得ない。ハイクとか、あるいは技術系のブログ的なところなら、スターをつけたりも簡単にできるけれど、そうじゃない日記、外を強く意識せずにプライベートとパブリックのはざまにあるものは、例え1つのスターでさえ、その後に「見られている」とか意識されてしまって、つまらなくなっていくようなことがある。他人からフィードバックを受けたうえで、それでもまだ見られていると強く意識せずに書けるような人は、いったいどれだけいるだろう。

桔梗ってほんといいよなぁ。まずもって「桔梗」っていう字がいいよなぁ。キキョウって書いてもいいし、声に出してもいいし、花も凛としてて綺麗だし

fotolife を有料オプション有効にした。オリジナルサイズであげまくろう。

気のあう人と一緒 >= 独り >>>>>>>>|超えられない壁|>>>>>>> 誰かと一緒

散歩も、写真も、プログラムも、全部そう

なんか数ヶ月お酒飲まずにいて、お酒の席でも飲まないでいて、未成年なんで的なことを言い続けていると、たまに本当に未成年な気がしてくる。まーぼくは17歳あるいは14歳ですけど

餡の雲の「あ」はアルゴリズムの「あ」!

まずは自分で最低レベルの日記を書くことで、誰かに「こんなクソ日記ならおれでも書けるわwww」と思わせることがとても重要なのだ。でも本当にそんなこと考えながら書いているわけじゃない。僕に崇高な目的があるわけがない! みんな嘘だ。うけるわー

会話するのがめんどうくさい

世界が美しく見えるのはあなたの眼が美しいからでしょう、というのをやるのが客観的な写真で、まぁみてくださいよ、ぼくの世界はこんな感じなんです、っていうのが主観的な写真な気がする。そりゃあ主観的なのが「自分語り乙www」とかゆわれて殺されていくわな

そういえば一昨日にドクターペッパーを初めて飲んだ。

読み飛ばされる! すばらしい!

今日は東福寺だけいってきた。行きも帰りもバス。位置的に微妙に遠くて観光客も少ないんじゃないかなぁって思ったけどそんなことなくて残念だった。

なんか、起きてすぐ、思いついたので、検索して、セルフリブログ

ああ、何か作りたいって思ったとき、すぐにそれを実現できるスキルや環境って、すごくそろえるのが難しい。結構誰かの作ったのを見て「そんなの誰でも作れる」なんて思うこともあるけれど、やっぱり作れないんだよねぇ。「そんなの誰でも作れる」ようなのを作れる人は、すごく上の人だ。「これはすごい」ようなのを作れる人は、雲の上の人だ。

http://lowreal.net/logs/2006/05/06/1

あそっか、昨日は12時ぐらいにもう寝てしまったんだった。将来が不安な夢を見まくって起きたときの吐き気がやばかった。

空前のアルゴリズム & 数学学習ブーム!

おれは努力なんて言葉を絶対つかわないようにしよう。大抵の努力なんて後付けで「あぁこれは努力だった」というものだ。努力するために努力するなんてやつはいない。(いてもおれはしんじない)

何度も書きまくっているけど、苦しくて辛い努力をしました! だから今楽しいです! っていうの、とても嫌いなのだ。そういうこと言わずにただ努力を続けている人もいるのに、環境によってそれが報われないことはあるのだ。でも彼らはうまくいっていないから「努力の結果楽しいです」とは決していえない。そういう環境にいることを変えよとマッチョはいうわけだけれど、どうしようもない状態っていうのはあるんだ。念のためにいっておくと僕はそういう状態になるまえにまず諦めるし、ついでいうと彼らに殺されるかもわからないぐらい僕は努力以上に報われすぎているだろうと思う。

不思議なことだけれど、努力は報われないっていうとてもあたりまえのことについて誠実にならない人がたくさんいる。これはどう考えたって真実なのに、直接的には誰も教えてくれない。少なくとも僕はそうだった。僕が小学校・中学校・高校の洗脳の中で気付けたのは自分で努力をしなかったことと、まわりには割と真面目に努力をする人がいたことによると思う。別に何か大きいことがあったわけじゃなくて、とても些細なことだ。

僕は努力は報われるべきだと思っているし、それは主観的な努力に比例すべきだと思っている。今の社会では、それによって誰かが僻むのかもしれないけれど、確実に努力が報われる社会ならば、僻みもなくなって純粋に日々を努めることができるだろうと思う。でもいまはそんな社会じゃないし、そもそも世界の構造的にそんな状態には未来永劫ならない気がする。

すこしむかしなら、「神樣が見てくれているから、誰も認めてくれなくても」っていうのも通用した。でも今はそういう宗教観はとても薄くなっていて、もっとリアルな、個人同士での承認やモノが求められている。あるいはそのむかしあったツールとしての「神様」の代替が求められている。

誰も見ていなくても誰かが、という視点からしたら、ウェブ日記なんかもそうなのかもしれない。誰かが見ていることのフィードバックのあるなしに関わらず書き続けることで、匿名の読者をツールとしての神様にしているのかもしれない。

どうだっていい。分析なんてどうだっていい。思っただけ。頭がわるいのに余計なこと考えてもしかたがない。

や、ちがくて、文乃さんと結婚したい

日記へのフィードバックってリファラぐらいが丁度いいのかもしれないよなぁ。スターでもまだちょっと能動的すぎる。

文乃さんって年下らしいよって、文乃さんヲタじゃない人に指摘されて、まじで!っておもった。ちゃんと読んでねぇなwww

年下っていうのは物語上の相対的な年齢っていみで

ちがくて、ぼくは単純に、あれそれに関しては、誰だからというより誰でも無理って感じですね

笑われたけど冷静に考えて笑い事じゃなくて、でも考えれば考えるほど笑うしかなくてどうしよもないなー。べつにいいんだよ!!! どうせ何やってたってキモヲタ扱いされるからなぁ、それならまだ、喜ばれる可能性にかけて、スターをつけたいものだと思う。

情報収集ツールじゃなくて日記読むツールです。

いいキーワードみつけると、かなり効率よくおもしろい人を発見できるからなぁ

文乃さんのどこがいいかっていわれてもよくわからないなぁ。なんだろうね。別になんだっていい気がする。いうなら凛とした優しさではないかしら

「僕、リア充なんかに負けない!」っていうタイトルにしようかと思ったけど、デザインからやりなおさないといけない気がしてやめた。

あれはおれが他のとこで感じたことと一緒なんだろうなぁ。もともと持っているものが違うのだけれど

おれの中の基準では同年代新卒がクソに思えたら、って感じかなぁ。この基準の上でなら戦えるなぁ

日記は独りで読むに限る。

ホッテントリたかだか一つのせいで表現が制限されたりする。なにもいうなってことか。

続かないくせに、っておもったろ!!!

あーーーーーーーーーーーーーーーーーーー もう、ほんと書けないなぁ。さっきから書いては消してばっかりだ。タイミングが悪い


ちょうどいいです


もーほんとなーリア充うざいなー

あれ、Ctrl+RET で保存が発動しなくなった……

なんかどうでもよくなってきた。風呂はいって寝るか。

ひだまりスケッチも見てないし、女生徒でも読もうと思ったけど、読むと必ず泣くから読めないし、日記読むような気持ちになれないし (だってフィードリーダーで読むってことはほかのどうでもいいのまで読むことになる) どうしろっていうんだ。

下書き機能はいままで書き捨てられてきた文章をとりあえず保持して安心するためにいいのかもしれない (バックアップで下書きを保存してたから必要ないと思ってた)

ぼくにとってのフィードの「価値」は、どんだけ日記としておもしろいかどうかだけにきまっている。他はなんとなくで読んでるだけだ。ブログとか総じてゴミでなんの価値もない。ブログのどこに創造性があるっていうんだろう。しかもなぁなんかブログ書いてるやつは日記をゴミだと思ってるから相容れないよなぁ。

「かくことがない」とかいてからこれだけ書けたのだから、もっと書けるように思う

もっとつまんないこと書いていこう。

別にいいのだ。僕が得たものはもっと別の次元にあって、それはもう終わっている。

おれが遅いのはよくわかった

エンジニアリングに責任をもつということ [あとで書かない]

お、一文以下だとつまらなさがちょうどいい気がする。

生まれながらにしてー 存在が認められている人はー いいなー

ぼくのリア充の定義は「無闇に安心している」です。

こんばんはー どっなったっですー だっしもっのはー なんですかぁ?

cho45 の 45 は 死後 という意味らしいから (だれがいったんだっけ?)、ぼくはもう既に死んでいることになる。あーこれが死後の世界かー 別に楽しくないなー

ひだまりスケッチ……

文乃さんキーワードをつくろうとおもったのだけれど、そもそも八車文乃がなくてメロスは激怒したので作った。これ消されるの? 消すの? ねぇ消すの? 消すの?

いいよべつに、読むのやめたらいいじゃん

どこにいってもひだまりスケッチでどうしよもない。おれの観測範囲の問題だ!! (lang:otsune)

常識的に考えて本当に結婚したい相手の名前をタイトルに入れたりはしない

優しくなれればいい。もっと

あいや、文乃さんと結婚するのが本当ではないという意味ではないけれど、ぼくは別に完全に観念論を支持しているわけではなくて、平均的なひとたちのように、それなりに理想をもち、それなりに現実をもっているにすぎないのです。

星の付け場もない……

IRC とかへの反応も全部日記でやったらいい気がしてきた。

作ったキーワードの「参考にならない」が増えているだけで、それがどこからみても確かに参考にならないものだとしても、それだけで凹まざるを得ないのだ。つまりキーワードをつくればつくるほど、そしてそのページを開けば開くほどに、凹んでいくのだ (あれが増えていないことなんてあるのだろうか?)

いいこと考えたよ!! あの投票の部分を UserCSS で消せばいいんだ。

@namespace url(http://www.w3.org/1999/xhtml);
@-moz-document domain("d.hatena.ne.jp") {
#hatena-diary-keyword ul.list-circle li:last-child {
    display: none;
}
}

「いやー…… ちょっとあいつは、これこれこういう問題がー……」ってかんじでしょうかね。ぼくはそりゃ問題だらけでしょうが、問題が可視化されてないよりはマシではないでしょうかね。問題がないのがいちばんにきまってんだろ。あ、そう。

あらあら、親不孝といえば僕のことですね。

なんだろうなー 帰ってきたのに帰ってきた実感がないなー

メールアドレス公開するとき、おれは全部生でそのまま書いてるなぁ。届いたスパムは自動フィルタまかせ

本、折角なら価値が確実にあるものを買いたいので、アルゴリズムイントロダクション 1, 2 とビューティフルコードを買うことにした。

KAREN はなんか自然な感じでいいのでアートが苦手でも聴いてみたらいいと思うなー

MacBook で現像した写真がのきなみ暗いほうの階調がぶっとんでて笑える。ひどすぎる

直接は関係ないけれども、一つ親切にきっかけを作ってもらえたおかげで、学ぶ意欲がでてきたのがよかったなー というかおれは直接言及が超絶に苦手すぎる。なんていえばいいんだろうなぁ。

ちょうど一年ぐらいまえ? 何も「コードの塊」としてのアウトプットがないのに、関係性の中で言及されたりして、とてもびくびくしていた。アウトプットがないのに過剰に言及されると叩かれるのが常であるので、「で、あいつは結局なにやってんの?」と言われるまえになんかやる必要があった。ここにも、なんというか、他人の中で言及される自分と、実際の自分にも乖離があった。学校に通っている自分と、ネットを介した関係にある自分とのそれとを考えたら全く問題にならないぐらいだけど、とても綱渡りな感じがした。

満足して感性を失うな

:w300

始まったときは一ヶ月はずいぶん長いなぁと思っていたけれど、終わってみればあっというまだった (だいたい終わってみれば、というのはそういうものだけれど)。後半は特に時間の流れがはやかった。割とほったらかしなインターンシップが多い中、プログラムが組まれていてスタッフさんによるサポートがよく入るのは、負荷がかかって大変なのではないかと思いつつ、めちゃくちゃ親切だなぁと思った *1。解ってないことを訊いたり、直接できないことの代行を頼んだりも嫌な顔ひとつせず対応してくれていてびっくりした *2

前半で今まで避けまくってたアルゴリズムの課題とかやってやばくて危機感を抱いたのだけど、今回は運がよく後半でアルゴリズムイントロダクション輪講#1がまさにはてなオフィスで行なわれていて、本を持ってないのに横で聴いてて空気読まずに質問しまくったりした。いいきっかけになった。

後半は、ほんとにずっと開発していた。余計な不安を感じずに開発に専念できる感じがよかった。基本的に朝ミーティングしたらあとはもうずっと開発で、集中できる。どうでもいい話だけれど、電話があまり鳴らないっていうのが、電話が苦手な自分にはかなりよかった。


はてなグループと、スター・id コールによる連絡がすごくやりやすい。読んだらスターつけて、みたいなことをするのだけれど、連絡とかを書いてスターがつくととても安心できる。

インターン生のほうも、いろいろ方向が違う人が多くておもしろかった。院生の人で普段はばりばり研究してるみたいな人が割と多いのでかなりこわかった。意識が高い人ばかりで、訊けば聴くほど知らない話がでてきて勉強になる。

あと一番最後にインターンの結果評価シートみたいなのをもらえるので、客観的にみられたとき、何が足りないかがみえてよかった。期間が決まっているし、余計な不安も徹底的に取り除かれているので、こういった環境で全力だしてみると、どれぐらいパフォーマンスを発揮できるかの上限を見極めることができると思った。

貴重な体験だった。はてなの皆さん本当にありがとうございました。

新横浜のほうがたぶん時間的に近いんだけど、気持ち的に遠い。たぶん乗り換えと人の量のせいだなぁ。小田原だと人が減る方向だから嫌な気分にならなくて近い。