句読点の変わりに顔文字を使う人もいる。高校のときの知り合いが blog をつけているということなので、一度見たことがあるけど、ソレだった。それ以来見ていない。

顔文字で伝えようとしたことを、言葉で伝えようとしたほうがいいと思う……細かいニュアンス・言葉遣い。もっと気にかけるべきだ……自分で言葉でニュアンスを伝えようとしないから、相手の言葉のニュアンスも読めなくなるんじゃないかな、って時々思う。でも結局こんなのどうでもよくなる。 (私にとって) 残念ながら。

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  3. 顔文字症

歩きタバコしてるやつは無条件で殴っていい法律にすればいいと思う。少し幸せな人が増える。

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  3. タバコ

フローチャート描くとき、代入演算子に を使う意図がよくわからない……手書きでも (= にくらべて) 書きにくいし、読みにくい。そして = とか って書いたら減点らしい。よくわからん。

あとフローチャートが嫌いだ。ひし形書くより if ~ else 書いたほうが早い。読みやすい。

あとしゃべり方とか、考えたかが一通り嫌いだ。なんとなくそこで、今まで尊敬可能な先生っていただろうかって考えたら、一人ぐらいしかいない。そんなもんなのか。

関係ないけれど、中学の体育教師 (兼・3年担任) は最悪だった。あのブルドックは早く保健所にひきとってもらったほうがいいと思う。前にも書いたね。

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  3. アルゴリズム的思考法

あははは。それについて反論するのは無理だ! なぜなら間違っていないから!

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  3. 反論

きっと、おそらく、他人がいうのをいくつか聞くとすれば、他人もまた自分のように人生のほとんどに対してうまくいってないはずで、うんざりし、疲れているはずだけれど、外に出て周りを観察するかぎり、そのように見えない。なぜなんだろう。うまく隠して、心底うんざりさせられる他人と長々と話していられるシステムをどうやって構築したんだろうか。

高校に入った当初、俺は高校選びが大きな間違いで、ほとんどの悪いことはここからきていると思っていた。でも入学後しばらくたって、いろいろ考えてみると、それがそもそもの原因ではないような気がしてきた。例えば、高校選びに失敗するような人間になるように、どこかで道を間違えたはずだと思ったり、よくよく考えれば俺は小学生のときいぢめられていたなぁとか思い出したり。確かに高校を選び間違えたのは大きな間違いだけど、その間違いをプラスに転換させる発想もあったはずだ。そういう発想ができないようになってしまったのには別の原因がある。ただ、今どこで間違ったのか分かっても意味がない。いずれにせよ俺にはヒーローが現れない。俺は俺の力で現状を打開する必要がある。しかしながら、それは俺のキャパシティを大幅に超えている。

母親が俺に対してだいぶうんざりしているのは、よくわかる。ただ、今の俺はちょうどいい大きさの穴にはまったボールでしかない……どうでもいいけど驚いたのは、母親の子供に対する義務と、俺が親に抱く義務がだいたい同じような考えだったことだ。考え方が遺伝してる。ほんとどうでもいい。少なくとも俺は両親が死ぬまで(できるだけ親に負担をかけずに)生きる必要がある……難しい。

いやになるのは自分自身だけでいいんだ。他人に対していやにならない世界になればいいのに。もうこの世界に生まれた以上そういう世界に移ることは無理なのかな。

結局俺は今なにもしたくない。なにもしたくない。祈りを聞いてくれる神様はいない。

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  3. 脳内回路

最初プログラムで自動生成された画像(よくあるグラフとか)を見たとき結構驚いた。今ではなんとも思わないけど、その時はたぶん画像をデータとして見ていなかったんだろうなぁ。そしてその後 PHP + GD でグラフかいてみたときもちょっと驚いた。もっと難しい処理をいっぱい書くんだろうなぁとか思ってたからかな。どうでもいい。

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