今日はまずは枚岡神社へ。神社自体はそんなに広くない。本殿は遠くからしか見れなかった。人が思ったより多く (一宮だからそりゃそうなのかも)、梅林が近くにあって、賑わっていた。裏の山 (枚岡山) の展望台まで山登りして、大阪方面を眺めた。

2駅ほど離れたところに石切剣箭神社というのがあったのでついでに行ってみた。お百度参りが有名らしく、人がいっぱい拝殿の前をぐるぐる巡ってた。ここの商店街はかなり混沌としていて、大阪っぽい雰囲気がした。微妙にこわかった。

京都だと確か、西院春日神社にはお百度参りのための印の石が置いてあった気がする。

Nintendo 3DS を買った。マリカーが出たらどうせ買うことになるだろうという気がしたのでさっさと買ってしまおうという感じ。なので本体しか買ってない。

3D を 3D として認識するのに、慣れがいるようで、平行法の立体視のときと同じようなコツがちょっと (平行法よりは圧倒的に簡単だけど) いる。逆に 3DS で立体視に慣れた状態でステレオ写真見ると、平行法がすぐできる……

日曜日、午前中がいつのまにか終わっていて、あわてて梅を見ようと北野天満宮へ。昨年は梅園の中に入らなかったので、今回は入ってみた。思ったよりも広い範囲が公開されていたし、お茶とお菓子もついているので、お得な感じだった。

梅の花の匂いは年々好きになっているような感じがした。

あと今までなんとも思わなかった「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」っていう菅原道真の有名な歌がよくわからないけれど今日は刺さった。

帰宅するとそうでもない

あー無駄だったのだな、とふと思うときがあって、つまりあの、嫌で嫌で仕方ないことをしていたことというのが、ある程度報われるときがくるのではないかと、今でも思い続けている中で、そんなわけないのね、というときがあって、そうするとまあ翻って、嫌なことするのは本当に何にもならない、無駄なことだなと、全然、当たり前のことにまた気付くことになるわけです。

なんか、やはり、そういうことに気付かねばならないということは、嫌なこともやらなくてはいけない教みたいなのに、知らないうちに入信させられていて、価値観を強要されているのだなと思う。こういう、人生で全く無駄にしからない文化的教義を発見しては、みな破棄していきたい。

山登りって、子供のときすごい嫌いだったはずなのに、今は割と好きだ。目標がはっきりしているし、目標に辿りつくまでの方法もはっきりしている。あとは単に方法にそって事 (足) を進めれば、確実に目標に達成できる。とにかく、簡単だ。

コード書くこと、そのこと自体は別に好きではなくて (書くこと自体が好きだったら、コードを短くするためのライブラリとか作らないわけです)、コードを書いて何かしら納得いく目標が達成されるまでがセットで「コードを書いて楽しい」という気持ちなのですよね、たぶん。「わかりにくいコードがわかりやすく綺麗になった」とか「あれが簡単に実現できるようになった」とか……

まぁできるよね、ってのを、単にコードに写していっても面白くない。あーすればもっと上手くいくなっていうのをちゃんと組込めないといけない。

さきが想像できれば、必要なものが自動的に見えてくるけど、そういうことではないのかな。そういうことではないのかもしれない。もっと別の部分で負のモチベーションが、強烈に嫌な気持ちになる何かがあるのかもしれない。

よくよく考えてみると、作ったものに対してうける負のもろもろ (批判とか・理解されないこととか) と、正のもろもろ (褒められるとか、技術的やらプロダクト的に納得がいくとか) を比べたとき、ちゃんと正のほうに向いてないと、そりゃその差分が負のモチベーションになっているなと思った。

自分は、普通の人の正の評価を殆ど気にしてない一方で、負の評価はめちゃくちゃ気にする非対称な感情の持ち方があるので、普通の人向けに何かすると、やる気のコストパフォーマンスが物凄く悪いんだなと思った。このコストパフォーマンスの悪さは、かなりしっくりくるモチベーションの説明になってるように感じる。

つまり、コストパフォーマンスの悪さを解消して、正のモチベーションをひきだすためには

  • ニッチで高度なものを作る
    • ニッチ向け (小)
    • 荒削りで良いがアイデアを詰め込んで見所があるもの
  • 批判されようがない完璧なものを作る
    • 普通向け (大)
    • ボロを出せないのでシンプルにせざるを得ない

の2択になりそう。当然後者のほうが難しい。後者をやるとしたら、「何年もやっている得意分野で」「何年も使っている枯れた技術を使い」「単機能である」ことが必要で、これらの要素がないと、到底完璧なものは作れないし、よって、少しでも出てくる負の評価のほうが圧倒的に正の評価を上回るので、手をつけることができない。

やる気は資本で、やる気を投入することは投資であって、回収できないといけない。最終的に資本であるやる気が投資した分より多く返ってくることが見込めなければ、それはしてはいけない (ギャンブル)。

他人をバカにする態度は (相手がどんなにバカに思えても) 絶対に伝わるし、「理解できないだろうからやめよう」っていうのは、すごくいびつな形で相手に伝わることになる。

定時すぎるとそうでもない

またろくでもないことが書けなくなってるし、ろくなことがない。

そのようにして、アホ同士で逃げ道を失くしてきた結果がこのザマ

冷笑的態度とってるの嫌だ

朝っぱらからイライラする

久しぶりに見た夢をちょっと覚えている。

近くの漢方処方の内科の先生のいる病院にいく、先生は虚ろな目をして診察をしたあと、漢方2種と、ふりかけを5種ぐらい処方する。自分は「ちゃんと飯食えってことですね」と納得する

場面が変わって、寺みたいなところにいる。宗教家と話す。

場面が変わって、水陸両用の車 (といっても水に入るときは車全体がひっくりかえる) に乗る。雨で増水した川の支流を登っていくが、本流に合流するところを見ると、濁流でおそろしいことになっているので、ひきかえす。

頭のいいやつは冷笑的で、誰かをバカにすることはあっても救うことはない。

ちょっと納得することがあった。

やりたいことの重心部分には、あたりまえのように、他人が創作性を発揮して承認欲求を満たせる場をつくりたいというのがずっと流れているので、そうじゃないものをつくる発想がそもそも沸いてこないのであった。どんなときも当然そういうものを作るのだろうというのが根底にあったにも関わらず、違うことを考えようとしているので、そりゃうまくいくかよという感じだ。

つまり、自分の想定ユーザ像の中には、創造性やら、向上心やらがない (承認済みで安定してる) 人が一切入っていないのだった。

世の中、自分が考えてるより幸せなやつが多いらしい。そうじゃないならストレスを買いにいくことなんてしないだろう。キノの旅というラノベに、働かなくてよくなった国の話があったことを思い出した。働かなくてよくなったのに、ストレスを買いに働きにいくという話だ。そのときは未来的な話だと思って読んだけど、今考えみると、未来の話じゃなくて現在の話だった。

「こんなお料理、ちっともおいしくございません。なんにもないので、私の窮余の一策なんですよ」と、私は、ありのまま事実を、言ったつもりなのに、今井田さん御夫婦は、窮余の一策とは、うまいことをおっしゃる、と手を拍たんばかりに笑い興じるのである。私は、口惜しくて、お箸とお茶碗ほおり出して、大声あげて泣こうかしらと思った。

太宰治 女生徒

有能感味わいたい (これは自分の中から沸いてくるものであって、他人との関係性の中にはない)

私たちは、決して刹那主義ではないけれども、あんまり遠くの山を指さして、あそこまで行けば見はらしがいい、と、それは、きっとその通りで、みじんも嘘のないことは、わかっているのだけれど、現在こんな烈しい腹痛を起しているのに、その腹痛に対しては、見て見ぬふりをして、ただ、さあさあ、もう少しのがまんだ、あの山の山頂まで行けば、しめたものだ、とただ、そのことばかり教えている。

太宰治 女生徒

先日は写真撮るときに、不穏な感じにならないようにレンズ選んだり撮りかた変えたり現像パラメータを変えたりしたけど、普段全くそういうの撮らないので、こんな感じが限界です。

本人によらない情報の制限というのは全く良くないし、やだなあと思うのだけれど、自力での情報処理が追い付いてないときは、どうすればいいのかなあ。

たぶんこれ子供が風邪ひいたときの感情なんだろうな (僕は子供いないので本当にそうかは知りませんが)

社会的な不安がはびこると、能天気に振る舞うことを期待されるロールをアサインされて、慣れないギャップに苦しむので、さっさとなんとかなると個人的にも嬉しいです。

そういや、平常時アサインされて一番困るのは優等生ロールですけど、これほんとタチ悪くて、あらゆる行動のコストがあがる上に、逃げ出す以外に解除する方法がない。

ひたすら攻撃に耐える一日であった

特定のことにロックがかかって外せない感じになった。こうなると、大きな環境の変化が必要になってくる。他に外しかたを知らない。

それぐらい我慢しろというなら絶対に逃げるつもりでいる。我慢して好転したことなんて一度もないからだ。

休み中良かったことを書くと

  • 杏子の花が咲いていて綺麗だった。桜に似た可愛い花 (ガクが反ってるかで判断するらしい…)
  • 梅が満開なので深呼吸するとあの独特の甘い香がして非常に落ち着く気持ちになれた
  • 新しいヘッドフォンを買った
  • 新しいカバンを買った (前のが壊れたからだけど…)

まどか☆マギカで好きなのがこの二人でございます。

さやかは非常に俗っぽくかつ単純で現世にもよくいるタイプというか他人とは思えない感じで好きです。完全にあれ、社会システムに飲み込まれていく普通の人の立場なので、見てるとしんどいし、同族嫌悪的な気持ちになるんですが、なんとか、最初の純真なままでいて欲しいと思ってしまいます。特にあの、自分が守っているものは守る価値があるものだろうか(いや、ない)、から始まる発狂までの道は見てらんないので、録画繰替えし見るときは飛ばしてしまう…… さやかについてはいろいろ長々と書けるけど余白が足りない。

ほむらちゃんは例によって強い意志とたった一人救うという目的を持っているところと、それに加え、今のところの物語中、最も成長が描かれているので好きです。

さやかがほむらちゃんにもっと優しいとホントいいんですけどね……

2007年9月22日に見た夢にでてきた女の子、まだまだリアリティを保ってる……

地域性や、学校や、リアルな繋りというの、インターネットでようやくそれらを取っ払って、マトモな他者を探せるようになったのに、昨今全く逆行していて残念限りない。このまますすめば、結局、中学・高校・大学と居場所を失う人達は、世界の広さと可能性を簡単に知る方法をも失う。

どんな人間でも昔のことをは忘れていってしまう。学生のときに強烈な疎外感を味わったとしても、時間が解決して、あるいは世間に認められると、そんな気持ちは失われるのだろう。

地域性や、学校や、そういった物理的な繋りをバインドさせるサービスはみんな潰れろ

インターネットによって、不特定多数と繋りが持てるようになることで、小さなコミュニティにおけるちっぽけな疎外感を、正しくちっぽけだと認識し、まともな人間と思える人とも出会えるんだ、って確かな希望を持てて欲しい。

全く今の状況は最悪だ。

コードを書いてるとそいつらの顔がいちいち浮かんできておれをバカにするからだ。おれやおれのコードをひたすらコケにしてぐちゃぐちゃに踏み潰し、あげくドヤ顔でしたり止めを多様して正しそうなことを書き、一切の想像力を持たないし、それを恥じたりもしない。

それがまだ少年少女ならマシだが、実際のところそういうことを偉そうに書くのは意識が高い大学生か、歳がいって安定したおっさんや、暇で暇でしかたがないおばさんである (要は世の中に認められて安定しきった人ら)。こういった人らは(おれは高校生以降は外部から性格に変化を加えることができないと思っているので)もうこの先良くなる見込みが一切ない。単に人をバカにして生きていくだけだ。おれは見つかり次第に殺される標的であり、何をするにしてもそれらを恐れながら生きていくしかない。

↑ こういうことをグダグダ書くとまた、自称情強みたいなクソなやつが「いいもの見付けた」とばかりにごちゃごちゃ言ってくる。

ささいでも嫌な言葉をかけられたらその時のそいつのドヤ顔とともにそのイメージが強烈に記憶される。ことあるごとに思い出される。

おれが申し分けなく思うのは上の年代の人達や組織ではなく、おれと似たような思いを持った下の世代に対してですよ。おれがこうなっていることで、おれのような道の歩みかたをすると残念なことにしかならないことをそのまま示すことになるし、それは人柱としても希望を与えないし全く恥ずかしいからです。

最低でも自分の役に立つものを作れば自分で慰めることもできるが、バカにされるためだけに何かを作れるというのはどんなに勇気があることだろう。おれにはそんなもんないしいらない。おれをバカにしてきたやつらを幸せにする気なんて微塵もない。

これらが自分で何もしたくないことの言い訳だとしたら、おれはなぜ自分のために些細なコードを書いてリハビリのようなことをしているのか?

前にも書いたけど、強烈な幸せを感じるのは強いモチベーション(これはいいから早く作って出したいという気持ち)でアウトプットの辛さ(バカにされる想像やら何やらいろいろ)を抑えつけれているときで、結果として作ったものが誰かにうけいれられなくても、強いモチベーションがある限りは改善の余地があるのだから、その状態にいかにして持っていくかが大きな鍵になってる。

自分のためになって、エッジ向けのことをやればいいはず。そのために小さなことを積み上げてモチベーションを回復させていかないといけないけど、入れたそばから抜かれていく。とにかくまず小さなモチベーションを回復させないと次にいかない。

今時ソーシャルとか言ってるのは紛うこと無きアホ (「ソーシャル」がバズワードになって営業に使われてることからも明らかだし、というかSNSが流行って何年経った?) だし、次のことを考えないといけない。そんで、次のこともほぼ答えが見つかっている状態で推移してて、あとはどうやってそれを実現するかどうかで、ソーシャルやってた人は既にそこに注力して頭を捻ってる (前のなんかのカンファレンスでさえおおっぴらにそういう話がされていた) のに、一歩づつすすめるとでも思うだろうか。

スタートアップを今作るならどこに切り込むだろうっていつも考えてる。

そういやベーシックインカムが遠ざかったので心底凹んでます。生きてるうちに実現される可能性がない。

何しても茶番扱いだ。リソース分散は嫌だけどクソ日記は他へ移そう

こんなんやっても何の意味もない。淡々としてるしかない。

BIあれば何もかも好き勝手できるのに…… コミュニケーションをとりたくないから一律支給の他に適切な方法がない。

ちょっと他に集中できることに集中しないとダメだな

禁酒・禁コーヒーに続き、禁糖をしようと思います。非常に難易度が高いのでたぶんすぐ挫折すると思いますが…… (砂糖を含む甘いものの制限で、しょっぱいのは砂糖が入ってても可) というか家にヨーグルトが1パック (砂糖入れないと食べれない) があるので、リセットは既定です。無理なら諦めます……