人間的な AI (別に考えていなくとも、考えているように見えればよい) を積んだ人型のアンドロイドがあるとすれば、生身の人間なんていらない。
アンドロイド+
想像力について
想像力はただあればいいのではなくて、制御できなくてはいけない。書くとあたりまえだね。でも制御するのは (少なくとも私には) 難しいことなのです。想像力のスイッチを消した後、必要になったときそのスイッチを入れられるか、入れられないかもしれない、と想像してスイッチを切れない。そういうもののようです。
地下室で死んだふりしようよ
BURGER NUDS はホントに聞きまくってるけど飽きない。不思議だ。実に不思議。kageokuri 以降は気分によるけど、自己暗示の日以前の CD は完全に全部ハズせない。なんでここまで好きなのはよくわからない。Good Dog Happy Men (現在出ている CD の作詞・作曲者はバーガーと同一) は嫌いじゃないけど、こんなに好きってわけでもない。何がいいんだろう。あるいは他のアーティストに何が足りないんだろう。
発作的に聞きたくなる曲っていくつかあるけれど、バーガーにそういうのが最も多い。エコー・ミナソコ・鋼鉄の朝・自己暗示の日・カナリア・ANALYZE・MARCH・AM 4:00・独り言・UNKNOWN。他のアーティストだと、くるりのばらの花とか、スピッツのホタル・夜を駆けるとか、ART-SCHOOL の MISS WORLD とか……
こいつらの共通性を探す。なんだろう?
とにかく、新鮮さをとりいれたい。いくつか聞いてみたいバンドがあるけど、ノーマネー。試聴できたらなぁ……
心無い?
ネトゲーとかやっていると多いけど、例えばレベルがあがったときとかの「おめ~」と「あり~」とか、ああいうのが実は私は嫌いなんです。レベルがあがるのは仕方ないですよね、そりゃやってれば上がるものなので……で「おめ~」とか言われるわけです。おめでとうとか言われたら、ありがとうと返すのが半ば義務 (礼儀) な気がするのでいうわけです。なんかこれがだめなんです。
実際「おめ~」なんて言ってて、本当におめでとうなんて思うことはごく稀になってしまってるわけです。おめでとうの言葉の価値が、どうでもいい場面で使われることでなんか落ちる気がするのです。でもこういうのはなんていうか、本質ではなくて、もっと別の視点で嫌いな気もします。つまるとこ何で嫌いなのかよくわかりません。
挨拶と同じで、呪文なのはわかるんです。でもこの呪文がだめなようです。
日本語の
Musical Baton
Hatena::Diary::Code-404 2005-06-18 p1 のシンヤさんから回ってきちゃったみたいです。IRC で哀さんがボタンだかバトンだか言うまで(いっても)なんだかわかりませんでした!
- Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
- 16.5 GB. ビットレートとかで変わるよね。~/music の容量そのまんまなので、歌詞とか、動画の分も入ってる。
- Song playing right now (今聞いている曲)
- trick or treat / Good Dog Happy Men
- The last CD I bought (最後に買った CD)
- 4人のゴブリン大いに踊る / Good Dog Happy Men
- Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある 5 曲)
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- ミナソコ / BURGER NUDS
- 赤いワンピースの女の子ですよね。チラリズムですよね。
- エコー / BURGER NUDS
- ブレーキの音のエコーですよね。エロゲイズムですよね。
- NEGATIVE / ART-SCHOOL
- 生き急いだ少女ですよね。メランコリズムですよね。
- 天体観測 / BUMP OF CHICKEN
- 宛名のない手紙ですよね。パラレリズムですよね。
- 転校生 / NUMBER GIRL
- 都会の天井ですよね。センチメンタリズムですよね。
- Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す 5 名)
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狭いとこにわたしますよっと。人数には拘らない。だってチェーンだもん。
ねむい
授業で寝ていたわけです。さされたわけです。当然おきますよね。そして俺は起きて返事をしようとしました。しかし声がでないのです。何度か試しましたが声が出ないのです。そして先生は「~くん。寝てるのー」とか言うのです。そこで、俺は今の自分の状態に気づきました。まだ俺はおきていなかったのです。頭を机に伏せたまま、起きたつもりで、網膜は仮想の教室を映していたのです。声なんてでるわけがありません。
そして今度こそ起きて、声をだそうとしましたが、先生はもう次の人を指していました。俺の机の上には開かれていない教科書がありました。仕方ないのでまた寝ました。
授業が終わったので起きました。身を起こして、腕がしびれていました。そしてふと机の上を見ると、開いてある教科書があるのです。確かにさっき起きたときは開いてなかったし、俺はいじっていないし、その上で寝ていたので誰かがいじれるしろものではないです。つまり、さっき起きたというのも夢なのです。正直このとき、何が夢なのかわからなくて混乱しました。