2006年 04月 27日

嫌な気分

なんかすごく嫌な気分なんだよね。だから、なにが嫌なんだろうって思って、書き出してみようとするんだけど、うまく書き出せない。

確かに嫌なこととはっきり言えることはいくつかあるんだけど、そんなに大したことじゃない。大したことじゃないってわかっている以上、これらが完全な原因じゃない。そのはずなんだけど、そのほかの嫌なことが思いつかない。いや、なんだろう、思いついてるのかな。


関係ないけど、例えばニートは、そこにニートが必要だから存在してる。ある人が「ニートはクズだ」というのも、そういう人もまた、必要だから。要る人が要る人であるために、要らない人だと思われる人が要る。

何を言っても間違いだし、何を言っても間違ってない。誰も間違ってない。でも、みんな間違ってる。

2006年 04月 24日

気持ち悪いことを正確に

日記に、日記として、どこまで記録するか、みたいな。

なんでブログじゃないかって、それは、ブログだと啓蒙しないといけないから。でも、啓蒙するほどのものを持っていないから、ブログというものを書けない。

曖昧な正確さみたいなのをちゃんとやりたい。どこまでを曖昧にしておくかを正確にしておきたい。


なにが楽しいことなんだろう、ってここ数日疑問が続いてる。すなわちなんも面白く感じない。プログラム書くってのは、それ自身がそこそこ楽しいんだけど、その程度で、CSS を書くっていうのは、前も書いたけどそれ自体はそんなに楽しくなくて、その結果の先が楽しいだけだ。

と、いろいろ考えた結果、やっぱ、楽しいことには可愛い女の子 (外見がとかではなく) が関わってないとだめだなって結論がついた。だってさ、可愛い女の子に認められたら、嬉しいし楽しいじゃないか。だけれど、それじゃあやっぱ一生楽しいことができないなって気付いて、あーそっか確かに一生楽しいことなんて無理だなって、思った。なんていうか、これからそういう女の子 (と限定する意味はないのだけれど) と出会ったりとかっていうは無理というか、面倒くさくてすごく嫌だから、もう無理なんです。

だって、また最初から、何もないところから、いちいち相手の輪郭を掴みなおさないといけないし、相手に自分の輪郭を教えないといけない。これってすごく面倒くさい。果てしなく面倒くさい。これって報われない。輪郭ってすごく曖昧だし、流動的だから、毎回やりなさないといけない。それだけの時間がいる。でも実際に使える時間は、もっと全然少ない。

例えば日記 (ブログに非ず) を書いて公開している人ならまだマシなんだ。その人が書く周りの事情とか事象とかから、ある程度輪郭が逆算できるから、少なくともこっちからの気負いが減らせる。その逆算結果が間違っていたとしても、とりあえず大きな不安要素は減らせる。だからなんていうか、みんなが日記を書いてくれればいいのにって思う。


少なくとも、貴様は全く持って使えないやつだ、と分かりきったことを何度も何度も繰り返す人とは、できるだけ関わりたくないんだ。

君はいらない人だ、と言って自分の位置を確保しようとする人を、心から軽蔑する。


ちなみに、長門さんの眼鏡はいらない派です。あとハルヒに限っては制服ではなく私服のほうが好きです。何のはなしだ。

2006年 04月 22日

世界の輪郭

デザインの輪郭を読み終わって、なんどか読み返して思ったこと。

高校のときにちゃんと自分の世界観を構築しようと思って (日記に書いたはずだけど、tDiary のころの日記みたいだ) から、結構時間が過ぎた。この世界の構築作業と、デザインの輪郭の話がなんとなく重なって面白い。世界観を考えるとき球形にひかれた境界を想像するんだけど、それの境界の決め方もそうなんだなぁとかなんとか。でも、他人とシェアするものじゃない。

しかしでも、まだ大部分が穴があいている球だから、その辺ちゃんとハッキリさせないと、現在位置を自覚せんと、ちょっとこれじゃ曖昧すぎるから自分の中では明確にしたい。

侘び・寂び

あーそうか。

いいと思えるものを作る人、あるいは作品として好きなもの、って、侘び寂びが関係してるのか。

いつか終わることを考えられるもの、朽ちる過程を見ているもの、とかそういうことか。負けることの重要性ってのもここに含まれているのかもしれない。


人間ごっこを抜きにしても、客観視は絶対に必要だなぁ。でもなんていうか、主観 vs 客観っていう感じの客観視じゃなくて、とここで辞書で「客観」「主観」をひいてみると、そもそも主観 vs 客観なわけじゃないんだなぁ、そうそう、メタ主観か、なんでもいいけど、とりあえずメタメタ


分かってみれば簡単で、世の中には「楽しく生きたい」と思う人ばかりじゃないってことで、例えばかたっぱしから恐ろしい議論をふっかっけたりする人とは、そもそも求める先のものが違うから、一緒に生きていけないし、前提が違うから、話にならない、っていうすごく当たり前のことに、今さっき気付いた。

最近どうも、ある種の人たちは、ほかのある種の人たちを、人間だと思っていないんじゃないかってなんとなく感じていて、今考えてみれば、それぞれがそもそも根底で違うから、人間だと思えないというだけなのかもしれない、みたいなところについた。いやよくわかんないんだけど、不毛なんだなって思った。不毛なのが悪いわけじゃないけど、この不毛は本当に不毛ですありがとうございました。


だから、あるもので満足しているのが一番なんだなぁ。前もってわかることはない。

太陽がもっと高く

積み

あー涼宮ハルヒの1から3まで (全部 (+1) 借りた。) を読み直したけど、確かに1巻で描写があるなぁ (225ページ) 最初読んだときは、まだ切り替わってなかったから印象に残らなかったんだ。

内容をすんごい忘れていたけど、1巻で既にツンデレというか、ツンシュールというか、そういうアレを見せてるんだなぁ。

191ページに SQL

どうでもいいけど、長門さんの台詞を殆ど読み飛ばしていることに気付いた。

2006年 04月 15日

人間ごっこ リアル メタ生活 透明の日々

なかなかうまく人間ごっこができない。

人間ごっこについて考え始めてから、Syrup16g の一部についての解釈が少し変わった。ので、人間ごっこに関係するあたりを引用してみる。

全てを喜びに変えろ

君は死んだほうがいい 外の世界はどんな風

人間ごっこを自覚しろ、という風に解釈するようになった。

頭はハピネス いつもハピネス 多分ね 一生 俺はハピネス 不幸もハピネスだろう

「ハピネス」はまさに人間ごっこ


例えばシロップ以外でも 現在位置の自覚をせんと だとか、「愚か過ぎた」と神様ごっこしよう だとか、ART-SCHOOL の木下氏が日記でいう「客観視」だとか、結構ある。

客観的な自分の位置と、それを見て楽しむことができること、が重要だった。


透明の日々って、少し前までは、特に学生生活のことを指しているんだと思っていたけど、実際は別にそうとも限らないことに気付いた。確かに学校内だと特に透明の日々が強調されやすいんだけど、逆にその程度だった。

透明の日々といえば、やはり「鋼鉄の朝 (BURGER NUDS)」がメインだけど、他にもでてくる。日々はにぎやかな孤独。syrup16g における やっているのは誰かの代わり。ユメミルクスリとかいうエロゲーでは透明の日々というのがそのままでてきた気がする。


極めて簡単なことをいろいろ考え直す必要がある。

2006年 04月 03日

ポジティブシンキング in my head

春のこの時期は特にやたらテンションが高く、いわゆる春厨 (いつもの厨度がさらに増量です) になるわけなのですが、うんそれはどうでもいいんだ。

今のところ、ポジティブシンキングできそうな思考法っていうと、まぁとりあえずなるように任せてみてだめだったら死ねばいい、という思考法で、何がいいたいかっていうと、別に「死ぬ気で何かをする」っていうのはすなわち「必死になる」とは違うんだな、と最近ようやく直感的に理解できたってだけで、何もかもに対して気付くのが遅い俺はあと数年で社会に出れるのか (そもそもそろそろバイトをしないといけないし) 不安なんだけど、出てみて無理だったら死ねばいいやっていう形で、ポジティブに生きるわけなんです。簡単には死ねないから、割といい方法なんじゃないかなって最近思ってる気分。

一応臨戦状態です 好きなようにやるだけです

ただ、前記したとおり無駄にテンションが高い時期に考えたことはいろいろ危険なので左手がキーを打つ動きに耐えられなくて吊りそう。

だからといって

そうでもしないとダメなんだろうけど、でもやっぱりそれでもやめたほうがいいことがあるかもしれない。もっとよく考えろ。もっとよく考えろ。


考えてみると、自信なんていらなくて、自信満々なのってすごく苦手なので、もういいかなと思った。なんか、そういう風になりたくないから、根本的に自信を失くして生きていたい。お塩先生並になるともうなんか笑うしかないんだけど、こう、話してて滲みでてくる程度のそういうのって、すごく気持ち悪いなぁって。なんで大したことやってないのに自信満々なんだろうって、すごく疑問に思う。完全に一致する文字列をタイプしても、それを誰が打ったかによって文字列に現れる言葉は変わるのに

2006年 03月 31日

さっそく矢のようにやる気が失せてくね 「あっそう」って言われて 君にきっと会えるね

でも結局、真面目な話が嫌いとかいう話を書くあたり、頭が悪くて性格が悪い。

現在位置を自覚をせんとー結果は容易に予想できるー

こう、<p><q title="hoge">huga</q></p> とか書くと頭痛い。

言葉で細かく説明されても、直感的にわかりはしない。わかるっていうのは結局、過去の自分の経験に照らし合わせて、うまくピースがハマることだから、曖昧さが多く、誰にでも適用できるような説明がいいと思う。勘違いでもいい。でも全てがそうであるべき、とは言わない。法とかは仕方ないしね。

人間とは無理だけど、コンピュータとは分かり合える。なぜかといえば、コンピュータは意見を変えないからで、こちら側が歩み寄るしかないから、かな。それに、変な期待がない。やりたいことをやれればいい、という諦めがあるから、完全に道具として「扱う」ことができる。いやもちろん今のところコンピュータはただの道具なんだけどさ。ソフトウェア

世界はめちゃくちゃ広い。凄い人はいくらでもいる。でも、ずっと楽しんでいられる場所があるほど、世界は広くない。

2006年 03月 12日

自信はどこからやってくる?

例えば就職するときには (別にバイトでもなんでもいいけれど) 自分を売り込む必要がある。自分がこういう能力をもっていて、こういうことができることを、自信を持って言わなければいけない。相手に自分を認めさせる必要がある。

でも、その能力があるとかっていう自覚・自信をどうやってつければいいんだろう。自分で自分を認めて自信をつける場合、よくある自信過剰パターンに陥っている場合が殆ど。だから、他人に認めてもらう必要があるのだけれど、他人に認めてもらうには売り込む必要がある。売り込むには自信がいる。無限ループ。

しかも、自信っていうのは時間がたつにつれて薄れていく。もっと自分より若い人達が現れてすごいことをやるし、あるいは世界が広がってもっとすごい先輩を発見することになる。

で、そういう感じで、まぁいいやって思えてくると就職というかバイトさえできなくなる。人前というか面接だと平気で嘘をつけるので、その嘘をあとでどうやって回収するかを想像してどうにもこうにもいかなくなる。嘘じゃなくなるまで腕を磨くとか、そういう方向になるけど、結局上には上がいる以上嘘は嘘のままになる。

例えば Ruby が書けるっていったらあたりまえだけど Ruby が書けないとだめだ。でもどのレベルから Ruby が書けるっていえるのかが全くわからない。人によって違うだろうし。例えばだから、Ruby に限らない。プログラミングができるっていうのはどのレベルからなのか、ウェブデザインっていうのは何を指しているのか。相手に聞けよ、というのは解決にならない。相手に聞く段階には既に自信が必要だし、嘘をつかないといけない情況になっている。

中には嘘をあとから本当にすればいいという人もいる。でもそれは自分で撒いた嘘に追われる形になる。強制的に嘘によって何かをやらされることになる。そういうのはだめだ。何かをやらされているなんて感じるのはだめだ。もっと能動的に動かないといけない。でもまたそこで必要なのが自信だ。人前で能動的に動くには自信が必要になる。無限ループ。

はいどうしよもない。ただ、どうしよもないからといって諦めてもいい問題じゃないのが鬱陶しい。誰もが働かないといけないから、自分もその例外じゃないのだ。