2006年 03月 11日

いんたーねっと、コミュニケーション refusal desire

かさはもっています。ふくはぬれていません。

拙い言葉で理解しあった気分になれるのがインターネット。あいまいでいい。程度の違いでしかないのだから、今なんとなくいい感じなら、それでいい。

家にいながら、てきとーにコミュニケーションがとれる。面倒くさい話に巻き込まれないようにすれば、巻き込まれなくてすむ。いつの間にか巻き込まれているなかで、どうでもいいことに発言を求められるのは面倒くさい。

2006年 02月 24日

理路整然とした

もっと理路整然と文章書けるようにならないといけないなぁってよく思う。頭悪いんだ。こう、理解できる限界線ってのがイメージとして見えていて、そこらへんを漂う思考っていうのは、もう少しもう少しって思えても全然まとまらない。数学とかやってるとその線が明確に見えてきてすごく嫌な感じ。あの理解できないっていう気持ち悪さはなんともいえない。

落ち着きが足りない、と言われる。

何か伝えようとする努力が足りないんだろうか。どうも書くだけ書いて、これで理解されないならいいやって思うことが多いように感じる。

だからレポートとかってすごく苦手なのですよ。あとで読み返したくないレポートができあがる。思い出したくない何かができあがる。気持ち悪い何かができあがる。

日記だからってのはよくないな。

2006年 02月 20日

何を書いていいか

前にも何度か書いて、その度にどうしようもないという結論はでるものの、どうも何を書いていいか何を書いてはいけないかがよくわからない。所謂「常識的な判断」ってのは結局人によって違うから、ある程度参照するにしても、自分の常識と誰かの常識は絶対に一致することがないのだから、厳密な判断基準にはならないし、厳密な判断基準なんて存在しない。だから、誰かに文句をつけられることは、公開文書を書いている以上どうしようもない。とはいえそれだから何を書いてもいいかっていったら当たり前のようにそうではないわけで、その「常識的な判断」の範囲がやっぱりわかっていないといけないのだなぁって。

じゃあどうやってその範囲を見極めるかって言っても上手いこと簡単に見極めることができるなら、こんなセクションなんぞ書かないよなぁ。一対一の場合は何度か相手をキレさせることが必要だけど、不特定多数だとしたらそもそもその方法は通用しないし、むしろ相手をキレさせる気なんてしたくない。ってここまで書いて気付いたけれども、結局言いたいことなんて言わないのが一番いいわけか。なるほど。うんうん。気付くのが遅い。

しかしそれでも、たまに書く何かが誰の気に触れたり、作った何かを批評家気取りの誰かに罵られる可能性は常にあるし、これからもそれを続けるなら、いつか必ずあるといってもいい。今はまだ明確に敵意を持って直接言われたことはないけれど、今だって多少誰かが何かを思っているだろう。だから、それを受ける覚悟と、それを受け流せるスキルが必要なのだけれど、足りていない。どうやってそのスキルをあげるか。

ねむいねむい。

2006年 02月 19日

数式がわからない。

概念的な説明と動くプログラムソースが欲しい。数式読めない。

2006年 01月 29日

目覚めた さとう の手の中には、時のたまごがあった。

最近なぜかクロノクロス関係の画像とか音楽とかネタをよく見る感じがする。

クロノクロスというかクロノシリーズは傑作だと思うよ。まぁ滅多にコンシューマ RPG をやらない俺が傑作とかいっても説得力のかけらもないのだけれど。

ネタバレ。ちなみに最後にクロノクロスやったのは高校一年のときなので結構うろ覚え。特に今でも印象に残っているところをメモる。

クロノトリガーはいいとして、なぜかクロノクロスはあまり積極的に評価されていない。気がする。

少しダークで、全編を通して静かに進行するストーリーは複雑なのだけれど、完全にわからないとしても、かなり練ってあって面白い。トリガーの伏線がそれなりに生きているしね。(生きているからこそ、トリガーでやっていたことが、全て無駄だったとされるところが嫌に感じるかもしれない) まぁクロノ達が救った未来 (その場合はサラが救われないだろう) も存在しているはずだけど、この作品には一切描かれてない。クロノ達は死んでいる。

俺個人としてはトリガーよりも全然クロスのほうが好きだ。BGM もいいし、ストーリーに過剰な派手さがないもの好き。

時を喰らうもの (ラスボス) を倒す方法が各エレメントの組み合わせによる星の音・メロディ (普通に倒す限り、永遠に真のエンディングが見れない) っていうのがすごく素敵だと思った。クロノポリスだか星の塔で既にエレメントと音の関連性が伏線としてでてくるのもいい。力・破壊のみでラスボスを倒しクリアとする所謂勇者モノ (内藤モノ) に違和感を感じているから、こういうのはすごく嬉しいわけなんです。

メインヒロインであるキッドはサラ・キッド・ジール。これはクロノトリガーの古代の王女の娘で、ラヴォスの暴走の罪の意識から (だっけ?)、自分を無に帰そうとした (キッドを先頭にしてクロノポリスの凍てつく炎のイベントを見ると、その衝動がキッドにも垣間見れる) 彼女は凍てついた炎と出会い、ルッカのところにキッドとして転生した。ただし本来のサラは無への衝動からか時を喰らうものにとりこまれる。クロノクロスにおける全ての事態はこのサラの救済のためにある。この、ただ一人の人間の救済のためにの計画ってのが好きな要素の一つ。世界中の全ての人を利用 (名称を忘れたけど「セーブポイント」がその役割を果たしている) して、ただサラだけを救済する。(結果的にクロノクロスのメロディは全てをまるく収めることになるけど)

救済の計画は主人公が考えたものじゃないっていうのもいい。主人公はただ単に巻き込まれただけ。

あとは神の庭・死海・クロノポリスあたりがすごく好き。死海は時間が固着してるんだけど、ミゲルを倒した後に時空に吸い込まれる全てがなんかいい。

といっても未だに完全に理解しているわけじゃなかったりする。セルジュが調停者になったり、ワズキがヤマネコになったりするのも賢者の計画だったのかよくわからない。嵐によるシステムの暴走は想定外だっただろうか。想定外だとしたら賢者はどうやってサラを救うつもりだったんだろう。想定内だとしたら、なんでシステムを暴走させる必要があったんだろう。

そういえば「時の卵」っていう二週目以降で自動的に手に入るアイテムが好きだ。世界観的にも二周目以降を許容しているし、このアイテムの存在でそれを確定事項にできるのがいい。実際にはいつでもラスボスと戦えるようになるアイテムだけど。

しかし全てを矛盾せずに説明するのは世界観的に不可能に近いような気がする。タイムパラドックスばっかりだ。前にどっかで書いたように時間移動もただのパラレルワールド間の移動とすれば説明できそうだけど……それだとクロノトリガーはホントにバカな茶番にしかならない。トリガーは時間移動しまくるから……

どうでもいいけど俺はラズリー (水の妖精) が結構好きなキャラだったんです。先天属性緑で全体回復魔法使えるし、打たれ弱いのが好き。ラスボスでも無駄にラズリー採用してた。でもね、あるキャラクターを仲間にするにはラズリーを捨てないといけないっていう鬼設定なんです。ついでにそっちのルートだと毒にやられたキッドも助けないことになるのでさらにアレです。ひどいですよ。結局ラズリー見殺しルートはやらないで他人のセーブデータ使ったんだけど(謎

話がそれるけど、メロディーフラッグ - BUMP OF CHICKEN を聴くとクロノシリーズを思い出すってのは 響く鐘の音の様な あのメロディーはなんだっけ の響く鐘で、マールディアの鐘を想像するのとか、そこで涙をこぼしても 誰も気付かない 何も変わらない の「そこ」を時の狭間とか思ったりする (泣いているのはサラ) とか、全てが形を 変えて 消えても で死海の消滅を想像したりとか、そういうところなんですよ。で、クロノシリーズが好きだからメロディーフラッグも好きだっていう、そういう流れ。クロノトリガーをやりながら、ラヂオでメロディーフラッグを聴いたってのも大きいだろうなぁ(わらい

2006年 01月 15日

宇宙から くるのさ ヴぃヴぃっど! 極彩色☆ ♪

Zopeジャンキー日記 :群集がいつも賢いとは限らない 「Wisdom of Crowds」の成立条件 を見ていて、向井秀徳 (NUMBER GIRL, ZAZEN BOYS のフロントマン) の自分が自分であることに疑問を持とう を思い出した。

今言ったことが、自分の考えた意見なのか、はたまた他人の意見なのかをよく考える必要がある。ただ、おもいっきり突き詰めて考えると、誰も自分の考えた意見など持っていない。成長過程で環境 (人間を含めた自然) からの影響をうけ、自分を構築するため、実際には自分が自分だと思っている部分でさえ、誰かに作られたものだから。もちろん、こういうことを言い出すと切りがないのだけれど、俺は正直、全ては最初に決まっていたような (正確にいえば、全ての事項に原因があるのだから、突き詰めて考えれば世界が生まれたその瞬間に元凶があり、誰も次の一瞬を変えることはできず、ただ確率的に世界が進んでいる。こうマルコフ連鎖のイメージ) 感じを持っている。個人が「俺は未来を変えるんだ」と考えているのは別にいいのだけれど、そうやって考えることも、彼の成長過程で、何かの影響をうけ (原因があり)、なるべくしてなった結果 (過程) だろう。俺が今こうやって書いているのも、どこかで間違ったとか、そういうことではなく、なるべくしてなったことで、誰にも責任はない。

誰もが、人間ごっこをやらされて、誰でもない何かに踊らされている。

とかいう話はまぁ建設的ではないわけで、とりあえずある程度希望的な話をするとすれば、っていう出だしで書こうと思ったのだけれど、思いつかないのでやっぱいいや。

2006年 01月 09日

自分がやりたい事を自分がやりたいからやる、というスタンス

別のとこにちょこっと書いたけど、ちゃんと (?) 書き直す。

義務として、仕事として音楽をやるのでなく、自分がやりたい事を自分がやりたいからやる、というスタンスを持ちつづける事、そして音楽と自分との関係を健全に保ちつづける事、というのは実は非常に難しい事で、その為にはやはり、他人の手を借りずに自分達の手で、自分達でお金を出して、インディペンデントな活動を続けるという手法しかない。そう思っています。

引用元は既にアクセス不能なので、スレにコピペされたやつ をさらにコピペ。Internet Archive で見れるはずだけど重すぎる。どうでもいいけど typo 多いよ news。

別に音楽に限ったことではなくて (s/音楽/something/) ね。自分の好きなことで金を稼ぐってのがなんか本当に気持ち悪くて、というか、好きなものが、義務感によって嫌いになるっていうのが一番嫌なわけで、特に、好きなものが少ない人間なんかは、一つの好きなものを失うと、アレになっちゃうので困る。そうなると、別の方面から収入を得る必要があったりするのだけれど、別の方面から収入を得ようとしても、何もできることがなくて、何かできるようになるために時間を使い、本来やりたかったことができなくなってしまう、という矛盾というかジレンマがあるわけです。

好きなことをやって暮らすのが罪のような社会 (そして大多数の人はそもそもそんなことできない) で、誰もが嫌な気分で、よりよく生きたいがために死について考えたりする。矛盾してる。どう考えてもおかしい。

おかしいならどうにかして直さないといけないのだろうけど、解決策がほとんど思いつかない。(自分が) 諦めて、全てを終わりにするぐらい。ただし、この選択肢も矛盾しているので結局はうまくいかない。

ちなみに丸山氏は GDHM のメンバーではなく (GDHM は残った二人とその友人たちのバンド) 、現在知るところでは音楽活動をしていない。理系大学院とかなんとか。

2005年 12月 23日

MÄRCHEN

まーちぇんまーちぇん、ってのうみそのなかのぼくがいうんです。

2005年 11月 21日

knabino de lavmaŝino

洗濯機ってエスで lavmaŝin/o なんだってさ。洗うが lav/i ですよ。ラヴィ! やっぱこう、洗濯機パワーをひしひしと感じる。

2005年 11月 13日

日記・日記

ふと気がつくと一昨日やったことなんて微塵も覚えていないのだけれど、こうやって日記を書いていると一応「何か」をやっていたことはわかる。不思議なことだ。

tDiary を使って日記をつけはじめたのが 2003-08-20 らしい。それより前も PHP で書かれたクソスクリプトを用いて書いていた。手元には一切データが残っていないので、Web Archive で調べてみると 2003-02-04 から独り言とかいう名前で書いていた。クソみたいな HTML ソースだなぁ。でも2年前の日記はクソみたいな HTML より吐き気を催す危険物。どうでもいいけど NULL::something っていう名前は 2003-02 - 2003-04 の間についたらしい。へぇ。

だんだん一日に書く文章量が増えてる。なんでだろう。余計なことくっつけすぎなのかな。

それにしてもその日記を書いたのが2年間前とはとても思えない。もっと前に思える。それっぽいウェブサイトを構築できるようにはなったけれど、それ以外のことはなにもできていない。しかもそのウェブサイトを構築できるというのも趣味の域を出ていない。

俺はプログラム (とりわけスクリプト) の話をよくするけど、本当のところ殆どプログラムなんて書けない。頭が普通についていけない。多くの場合、俺の書くスクリプトは他人の考えたアルゴリズムをいくつか組み合わせたにすぎない。レゴを組み立てるようなもんだ。考える必要のあるパズルではなくて、積み木。それに俺が思いつくアイデアは既に実装されているのでアルゴリズムを新たに考える必要性があまりない。

願わくば、イメージをそのままウェブサイトのデザインにしたり、文章にしたりしたい。今のところ手が勝手に何かを作るのを見てイメージを逆算している感じでしかない。数うちゃ当たる、みたいな。この方法は趣味ではいいけど、作りたいイメージをすぐに作れるわけじゃない (手が作ってくれるのを待つしかない) から責任があるときにこの方法は使えない。

それにしても責任という言葉はあまりに重いと思う。義務と言い換えてもいい。少し前によく書いていた「頑張れ」も、義務を追加する言葉になりえる。素直に受け取れといわれても、それはチャーハンに混ぜられた嫌いな食べ物みたいなものだから、どうしようもない。

日記の話からだいぶズレたけど、結局俺が言いたいのは、日記を書くのがそれなりに楽しいことだっていうこと。