2006年 06月 05日

誠実さが報われない世界

だいたい、ドラマとか小説なんかで「誠実」な人間が主役で頑張っているっていうのは、すごく共感するもんだ。でも現実は違う、誠実な人はうまく腐りきった「普通」に溶け込めず、周りはそれを悪意をもって笑う。(まぁ本当に完全に誠実な人なんて現実で見たことないけどね。)

この二つ何が違うってたぶん距離なんだ。ドラマとか小説っていうのはすごく遠くて傍観者としてそこに自分を重ねられる。でも現実として、そういう人が目の前にいても、自分はそれに向かい合っているいわば出演者で、しかも「脇役」になってしまう。だからその人に自分を重ねられないし、むしろ無意識に嫉妬したりして悪意を向ける。(実際はその時点で「脇役」にもなることができない存在であることを分からないことが多い)

普通の人は他人が共感できるような見かけの誠実さと、本音の悪意を同時に持っていて、使い分けている (それが悪いわけじゃない。程度の問題なんだ)。誰かがいなくなっていきなり饒舌になって悪意を出し始める人、そういう人たち。それが普通だから、そうしないとうまく生きていけない。でもたぶんその見かけの誠実さの中で何か感じてそういうモノガタリに共感するんだろうけど。

その上で、よくわからないことがいくつかある。なんでドラマとか小説なんかで、そういう誠実さが報われるストーリーが多いのか。つまりおそらく「望まれている世界」がそういうものにも関わらず、なぜ現実はそうじゃないのか。モノガタリのヒーローはできるだけ全ての人を救おうとするのに、なんで現実では誰かを蹴落としてヒーローになろうとするのか。

ずっと昔からこういう (こういう?) 悪意ドリブンなシステムがこの世界で動いているからには、おそらくそうなるのが自然だった、ということなのだろうけど、その自然さってどっからくるんだろうって思う。どっかで変えられなかったんだろうか。これから変わっていくだろうか。何千年たっても変わらない気がする。むしろ今より悪意に満ちるんじゃないかとか漠然と思う。


というか、モノガタリでも未だに「俺が一番になる」とか「屈辱を晴らす」みたいな悪意ドリブンでネガティブな動機なのも腐るほどあるから、あーというか、そういうののほうが多いのかもしれない。っていうが多いのかな。多いからこんなシステムなのかな。いや逆だけど

2006年 05月 29日

説明する

分かりやすいけど間違った説明 (概要はつかめるかもしれない) でわかった気になるのと、正確だけど冗長な説明 (分かりにくいかもしれない) はどっちがいいんだろう。


A: 正確だが冗長ではなく分かりやすいのがいい。

2006年 05月 22日

前提の違いが面倒くさい

話すとき、いろんなことを前提にして話すけど、前提が違うともう面倒くさい。

普通の人たちに「じゃあ私はウェブデザイナーになるわ!」って言ってもどこが笑いどころ以前に意味がもうわからないだろう。

もちろんそれに限らない。他にも Web2.0 とか、ツンデレとか、わたなべさんとか、ドギャーンとか、そういう既に頭に最優先で浮かんでくることが殆ど通じない相手っていうのはすごく話をし難い。

逆の場合もある。俺に対して雑誌とか、流行のドラマ・俳優・アイドルの話をされても殆どわからない。こういうのはすごく居心地が悪い。


あるいは前提がそもそもいまいちわからない場合もよくある。何に反応をするか、どこまでのネタが可とされるかっていうのを一人ひとり確認しなければならない。俺が時々よくわからない発言をするのは、そういう確認の意図が少しある。

例えばネットワークゲームのギルドなんかだと、誰がどういう「前提」を持っているか、殆どわからない。

RO のときのギルドは少人数から始まり、長い期間をかけて人が増えていったので (ついでに俺自身が「時期」の中にいたのもある) だいたいどういう人がどういう前提をもっているかっていうのを、キャラ名・サブキャラ名も含めて覚えている。こういう場合は特に問題がない。

でも今の mabinogi のギルドは初期~中期の数名ぐらいしか前提を確認していない (しかもちゃんとじゃない)。というかできない。ろくにログインしてないのもあるし、人数が多いのもある。後になるともう誰が誰のサブキャラかもわからない (いちいちフレリストで確認してる)。

こういうところで発言するのは難しい。普通の「雑談」がしにくいのだ。ネットワークゲームにおいては、ゲーム内容についての話があるから、見かけ上の発言数は多いのだけれど、普通のコミュニケーションは殆どないといってもいい。スキルがどうとか、狩場がどうとかという業務的な話になる。十分だと思うかもしれない。でも十分とは思えない。空っぽで誰と話しているかわからないのは気持ち悪い。誰かがそこにいる感じがしないのは気持ち悪い。

2006年 05月 20日

頭の中にいる批判中毒者

何か考えたりするとき、何か書いたりするとき、いつも (いまも) 頭の中の批判中毒者と戦っている。(戦っている、だってよ、そんな大したことじゃないだろう)

批判中毒者はとにかく否定することを考えている (そんなことはないお前がいい方向になるようにしているんだ)。どんな些細なことでも、つつけるならつつく (勝手な想像で語らないでもらいたい)。時には悪いことじゃないことを悪いように言い直して否定する (悪いことじゃないことなんて自分では思っているんだな)。とにかく俺が言うことは全部否定しないと気がすまないのだ (まぁ実際君は全てにおいて間違っている)。最終的には個人的な攻撃であったりもする (こいつ独り言激しいwwwテラワロスwww)。

頭の中にいる批判中毒者は一人じゃない (おいちょっときてみろよ)。たくさんいる (なになに)。それら全てがいろんな視点からとにかく否定する (うわ頭悪い。ついでにどうせオタクだぜ。あぁどうせモテないな。友達もいないわよ。そもそも生理的に苦手wwww)。


でもこいつらは結局、俺の想像上の、頭の中にいるだけのものだ。実際にはもっと否定が多い。思いつく限りの否定を並べても、現実の匿名よりは全然少ない。

想像できる限りの気持ち悪さよりももっと気持ち悪い人たちがいる。

2006年 05月 15日

syrup16g にしても BURGER NUDS にしても

やっぱり凝縮されているわけで、共通部分を見つけていくと、どうすればいいのかっていうのが見えるのかもしれない。

Syrup16g の「汚れたいだけ」についていろいろ考えていたのだけれど、なんとなく BURGER NUDS の「指輪」が思い浮かんだ。

「ちょっと……人間ってちょっといい人になりたいとかね、自分がよく生きたいっていうのがあるじゃないですか。そんでやっぱ負けるのは嫌だし、できれば閉じこもってたいけど、でもそんで自分を壊していっちゃうようだったらもう汚れていったりとか、傷つけたりとか傷つけられたりとかしてるほうがまだいいんじゃないかっていう気持ちはあるんですよね」

っていう部分を読んでいて、それが指輪に繋がった感じ。「指輪」で描かれる表面的にも良くあろうとしている状態から、まぁ表ぐらいは汚れてしまっても (錆びてしまっても) いいだろうっていう変化が coup d'Etat においてはアルバム全体として出ているんだなっていう、そういう感じ。


関係ないけど、遺伝子レベルで組み込まれたなんちゃらって誰かもいっていたような気がする。ACIDMAN だっけかな。

同じような人たち。追いかけるもの

もっとよく考えたいのだけれど、なんか時間があんまりないのでもうてきとーに思いつく限り書いておくことにしよう。それが本来の日記ってもんだ。頭に浮かんだらすぐに書けばいい。

少し前に OOエンジニアの輪! ~ 第 20 回 高林 哲 さんの巻 ~ を読んでいて、すごくひっかかったというか、うわーって思ったのがあってそれが以下の部分。

なんだかいわゆる「業界人」っぽい文体、内容、主義、主張なんですよね。考え方が妙に爺くさくて、似通っていることががあって、なんだか皆均一化されちゃってるなと感じることがままありますね。これはどういうことかというと、高校生が書いてる日記と、 40 歳近い人の日記も区別つかないんですよね。あまりにも似通ってて。

なんか妙にここが気になって気持ち悪くてしかたがない。本当にそう思うから。

いろいろ読んでて、特にもうフィードリーダーとかで読んでると「この人って誰だっけ」とか結構思う。さっきも似たようなのを読んだな、とか。でもって仕方ないからサイトに飛んでみるんだけど、CSS も似てたりして、もうわけがわからない。実は全部同一人物が書いているんだろうか……とか思ったりする。怖い。

だからなのかなんなのか、そういう人たちの主張って全然こっちに入ってこなくて、なんていうんだろう、説得力がないっていうか、読んではいるけど頭に入らない。数の水増しみたいな。そんな感じがする。

ちょっとまえに書いたあなたがストリクターになるべきでない10の理由の二番目に「文章の書き方がソレっぽくなるから」って書いたのは実はこれのことを言っていて (人によって捕らえかたが違うだろうから、もし別の意味でとったのであれば、それも別に間違っているわけではないです)、いやストリクターに多いってわけじゃないと思うんだけど、どっかの誰かが非ストリクトなことを言ったときとかのそういう人たち (自分も含めて) の動きっていうのがみんな同じで、すごく気持ち悪くて、なんともいえない。


じゃあ自分はどうなのか (どうありたいのか) っていうのはすごく難しいのだけど、どっちかといえば、そういう同じような感じになりたくない。でもみんな同じようになったほうが楽だなっていうのも思う。だからどっちでもない中途半端な感じに今のところしておきたいし、どっちにしてもなりたくてなれるものじゃなくて、いつの間にかなっていて、それはそれでいいのかもしれないと思う。なんなんだ。Not at all

まぁいいか

2006年 05月 14日

最近・二面性

やっぱ二面性が重要だよなぁ。むしろそこから生まれるジレンマとか、そういうの好きだなぁ。ファンタジーとして、だけれど。

究極的には 死にたいようで死ねない 生きたいなんて思えない なんだけど、もっと近いところでもそういうのって沢山あって、まぁ例えばツンデレなんかもそうなんだけど、「嫌いたいようで嫌えない 好きだなんて思えない」ぐらいの状態がちょうどいいとか思うわけで、そういう状態がでてくる女の子っていいなぁって思った。ファンタジーとして。

最近のだともののけ姫みてて思った。「人間なんてきらいだ」ってモロに顔を埋めていうシーンのサンがなんとも可愛くて素晴らしかった。意味不明じゃないよ。意味不明じゃないよ。きもい。


ようはジレンマって切なさを誘発させるからいいんだろうな。いや逆かな。よくわからない。

2006年 05月 09日

すごいなぁと思えるような人は

すごく視野が広い。そして集中力がある。

レッテルに拘ったりしないし、変な色眼鏡を付けず、いいものをいいものと言ってる。すごいよなぁ。誰でもできることじゃないんだ全然。

透明な日々は本当に悪いのか

Humans on Rails

透明な日々って本当に悪いんだろうか。レールが敷かれて次にいく場所がわかっていることは本当に悪いんだろうか。

色が付くって、レッテルが貼られることなのかもしれない。言い換えると少し疑問になる。でもそれが正しいとは確実にいえない。あんまりピンとこない。

一番良くないのは、レールが終わることじゃなくて、レールが途切れてもガタガタと砂利道を走らないといけないことだと思う。新しいレールを敷くのは難しい。既存のレールは錆びていても機能はする。


レッテルを貼られるのが一番良くない。他人からでも自分からでも。だから、なんらかの組織に所属するのは、できる限り、避けないと。自分が作ったものとか、全体が見渡せるぐらいの大きさ (で、それがちゃんと信用できるなら) ならいいけど、それができないとだめだ。俺は普通に普通でありたい。


今日は寝れる講義が無いから、早く寝ないと

2006年 05月 03日

結局のところ

自分が損しなくても、他人が得をするのは許せない、ってのが、大多数の意見のようです。あはは、わかるきがする。


とかいうと、他人が得をしたら相対的に自分が損するじゃないか、とか言われるのかな。

いや、誰が、とかではなくて、俺の脳内の否定しまくりたいよぅぅぅぅ的な仮想人物の話です


ロジック中毒者に耳を貸すな!

ってばっちゃが言ってた。


ちゃんとやんなきゃ 素敵な未来がどこかへ 逃げちまうのかなぁ

続きを書きなさい (20点)


まじめな子っていいよねぇ。まじめっていうか、誠実な子よねぇ。だめよねぇ。むりよねぇ。ルールが似てる人探さないとだけど、探しようがないよね。ルールを RDF で記述する語彙とか、ルールを記述できる SNS があったら流行るかもしれない。前者はまず流行らない。

共通のルールを持ってないと、話にならないから。でも、役割ってのもあるんだよなぁ。役割。相手がどの役割であるべきが、あってほしいかをちゃんとわかってないといけない。役割部分を抜いた、もう一個下の層が共通ルールになってないとなぁ。