一週間がめちゃくちゃ長い。やりたくないことをたくさんやらないと次の週にいかない。

一週間がめちゃくちゃ短い。やりたいことをたくさんやろうとすると次の週になってる。


可能なら、定期的なこと (学校とか) をすべてリセットしたい。

やりたくないことって、本当に、内容に関係なく、やらないといけないことが全てやりたくないことだった。せっかく内容は楽しいはずのことなのにさ、やらなきゃいけなくなったとたん、全部そういうのがなくなって、嫌な気分になるわけだ。

よくこういうのをみんな耐えているよなぁ。すごい不思議なんだよね。何でやらないといけないことを笑ってやってられるのか。責任とかの類のプレッシャーばっかりで、楽しさのゲージがそれを超えない。なにが楽しいのかよくわからない。

例えば学校の課題とかをやっていても、「やらないと単位を落とす」っていう脅しばっかり感じて、何かを学んでいる気が全くしない。何かしら役に立っているんだろうけど、全く感じない。何も変わった気がしない。ただたんに、「どうにか今回も乗り切ったか」っていうのがあるだけで、その課題が終わった直後から「ああ、次の課題がまた出るんだな」って思う。これ、どこに楽しさを見出すスペースがあるんだろう?

学校に限らないで、定期的に何かやらないといけないことって、全部このループにはまっている。一過性なら、乗り切ればそれで終わりだからまだ畳み掛けるような気持ち悪さはないけど、それだって本当は嫌なことだ。


何してるとき楽しいのか分からない。幸せだなぁって感じる瞬間を想像することはできるけど、心から楽しいなぁって思う瞬間ってちゃんと想像できない。幼稚園のときとか、なんで楽しかったんだろう。

工作するのが好きで、そういうのしてるときは楽しかったと思うんだけど、今やろうとしても、違うんだよなぁ。歳相応のクオリティを出せなくて嫌になる。その行為自体は面白くなくなってしまった。結果が全てだもんなぁ。誰も過程なんて見やしない。

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  3. 一週間が長く短い

何がやりたいのかと聞かれれば、「何もやらなくていい」ってことをしたいんだけど、やっぱりそれはダメみたいなんだよね。憲法にも勤労の義務って書いてあるしね。

結局大学なんて就職のための踏み台にすぎないんだけど、心から就職したくない (今よりもやりたくないことに対して責任を求められるなんて本当に悪夢だ) とか思うし、そこで、大学をやめるって言ったとき、じゃあどうするの?って聞かれて答える言葉を持っていない。

何でこんな世界にいるのかなぁ。


そしてやっぱり、何かとケチをつけたがる人に囲まれて、何かと全てを否定されながら、なにもしたくないのに、無駄に生きていくんだなぁ。死にたくないのになぁ。


それで、喧嘩売るのが楽しみな人に、喧嘩売られて、とことんニヤつかれて、それを我慢するわけだけど、そういう悪意でドロドロしてる社会に、自分から突っ込んでいくっていうのを、ほんと、尊敬する。でもそういう人が今度は、喧嘩を売る人になって、ドロドロとしていくっていうのが、嫌すぎる。

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  3. じゃあ何がやりたいのか

話すとき、いろんなことを前提にして話すけど、前提が違うともう面倒くさい。

普通の人たちに「じゃあ私はウェブデザイナーになるわ!」って言ってもどこが笑いどころ以前に意味がもうわからないだろう。

もちろんそれに限らない。他にも Web2.0 とか、ツンデレとか、わたなべさんとか、ドギャーンとか、そういう既に頭に最優先で浮かんでくることが殆ど通じない相手っていうのはすごく話をし難い。

逆の場合もある。俺に対して雑誌とか、流行のドラマ・俳優・アイドルの話をされても殆どわからない。こういうのはすごく居心地が悪い。


あるいは前提がそもそもいまいちわからない場合もよくある。何に反応をするか、どこまでのネタが可とされるかっていうのを一人ひとり確認しなければならない。俺が時々よくわからない発言をするのは、そういう確認の意図が少しある。

例えばネットワークゲームのギルドなんかだと、誰がどういう「前提」を持っているか、殆どわからない。

RO のときのギルドは少人数から始まり、長い期間をかけて人が増えていったので (ついでに俺自身が「時期」の中にいたのもある) だいたいどういう人がどういう前提をもっているかっていうのを、キャラ名・サブキャラ名も含めて覚えている。こういう場合は特に問題がない。

でも今の mabinogi のギルドは初期~中期の数名ぐらいしか前提を確認していない (しかもちゃんとじゃない)。というかできない。ろくにログインしてないのもあるし、人数が多いのもある。後になるともう誰が誰のサブキャラかもわからない (いちいちフレリストで確認してる)。

こういうところで発言するのは難しい。普通の「雑談」がしにくいのだ。ネットワークゲームにおいては、ゲーム内容についての話があるから、見かけ上の発言数は多いのだけれど、普通のコミュニケーションは殆どないといってもいい。スキルがどうとか、狩場がどうとかという業務的な話になる。十分だと思うかもしれない。でも十分とは思えない。空っぽで誰と話しているかわからないのは気持ち悪い。誰かがそこにいる感じがしないのは気持ち悪い。

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  3. 前提の違いが面倒くさい

微かな匂いが好きだ。例えば花をよく見ようとして気付く匂いや、すれ違う女性の髪からただようシャンプーの匂いとか、雨の直前・直後のしめった空気の匂いとか。

だから俺はタバコを吸えない。そりゃ好奇心で吸いたくなることもあるのだけど、やっぱこういうのを感じられなくなるのはダメだ。ダメすぎる。

別にタバコに限らない。感性を削る行為はすべてくだらないことだ。やっちゃいけない。特に俺の感性にはゆとりがないから、これ以上減らすわけにはいかない。


ちなみに俺の身内は喫煙者のほうが多く、友達は非喫煙者のほうが多い。そして歩きタバコは上のとは別の次元で嫌いだ。

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読んでて、この作者って女の人っぽいなぁって思うことが多々あって、そういうのって結構あっていたりすると思うんだけど、なんでだろうって話をした。

とりあえず出た答えは女性の場合人間の生活が細かく描かれてる?みたいなことだった。特に女の子の描き方が違うみたい。


それはどうでもいいんだけど、本を読むとき何を楽しみにして読むかがなんか違う (人によって、本によって)。読解を楽しみにしているのか、その物語の展開そのものが楽しいのか。そういうもんなのか。

特に展開を楽しみにしている人は、読解向けの本を読むと退屈だったり作者の意図が掴めなかったり (掴もうとしてない) するんだけど、逆に読解を楽しみにしてる人が展開オンリーな本を読むと軽薄だったり感じる。

どちらにしても本は面白ければいいんだけど、読み手で展開しか読まないって人はあんまり好きじゃない。それって小説読んでるってことにならない気がするから。


愛と勇気があれば大丈夫とか本気で思ってる人ってちょっと不気味だ。

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ソバとラーメンとタマゴとチンゲンサイとかすかなバナナ

Piro さんちでやった。最終的に7人。ねむい

次は雄大さんち


そういえば CSS NiTE のポストカード大のイラストを哀さんからもらった。次の次あたりの CSS Nite には行こうと思う。

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何か考えたりするとき、何か書いたりするとき、いつも (いまも) 頭の中の批判中毒者と戦っている。(戦っている、だってよ、そんな大したことじゃないだろう)

批判中毒者はとにかく否定することを考えている (そんなことはないお前がいい方向になるようにしているんだ)。どんな些細なことでも、つつけるならつつく (勝手な想像で語らないでもらいたい)。時には悪いことじゃないことを悪いように言い直して否定する (悪いことじゃないことなんて自分では思っているんだな)。とにかく俺が言うことは全部否定しないと気がすまないのだ (まぁ実際君は全てにおいて間違っている)。最終的には個人的な攻撃であったりもする (こいつ独り言激しいwwwテラワロスwww)。

頭の中にいる批判中毒者は一人じゃない (おいちょっときてみろよ)。たくさんいる (なになに)。それら全てがいろんな視点からとにかく否定する (うわ頭悪い。ついでにどうせオタクだぜ。あぁどうせモテないな。友達もいないわよ。そもそも生理的に苦手wwww)。


でもこいつらは結局、俺の想像上の、頭の中にいるだけのものだ。実際にはもっと否定が多い。思いつく限りの否定を並べても、現実の匿名よりは全然少ない。

想像できる限りの気持ち悪さよりももっと気持ち悪い人たちがいる。

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遊びまくって死にたい。でも遊べない。遊んでいると、やるべきことをしろよって言われるからね。(誰に?なんて愚問さ)

みんな憑かれてる。疲れてる。お金が要らない新しい世界に、いきたいなぁ。

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  3. せめて死ぬまでは遊ぼうよ

そういえば先週とらドラ2! を読んだ。

これの著者って女性なのだろうか。田村君もそうだけど、少しズレた位置を微妙についてくるよなぁ。

手乗りタイガーのキャラが誰かとかぶるんだけど、誰だろう。お姫様的な位置にいるよなぁ。

帰る場所がそれぞれ確保されていて、なんかなぁ。そういうのって憧れるけど、やっぱり非現実的すぎる。


友達の妹が小説を読んでいた俺の姿を見て「クラスの腐女子と同じ臭いがする」とか言っていたらしい。なんとなくその言いたいことがわからないでもないかもしれない。自分でもキモいからできるだけ独りで読もう。


時々現実的か非現実的かでうまく意見が合わないんだけど、それって別にその設定が現実でありえるかじゃなくて、その心情・心境・感情とかなんでもいいけどそういうのの要求応答・動きが現実的かどうかなんだよね。設定なんて大した問題じゃない。

剣と魔法のファンタジーでも現実的な作品はある。現代のただの学園モノでも非現実なのはある (むしろそのほうが多い) ライトノベルは本当に非現実的なのが多い。それってすごくエンターテイメントだからいいんだけど、心には残らないかな。でもうまくカモフラージュしてるのもあるから面白い (ネタっぽく書かれるから、反論したら負けっていう雰囲気っていうのと似てる)。


彼女は思っている 現実的SUGILL 風景はいらない 風景は見えない 彼女は願っている 漫画の恋をしていたい 気分の中で生きていたい

気分の中で生きていたい

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もちろん今日だって講義はあるんだけど、どっちも課題がでないし、そんなにキツイ講義じゃないのでなんかもう休みな感じがする。

それはある意味嬉しいのだけれど、週末の休みに入ることはすなわち、もうすぐ来週が来るっていうことに繋がるので、またすぐに一週間が始まるのか、っていう気分になって凹む。なぁ時間をくれよ。


俺がいまやりたいことは、「あぁ、今日は暇だなぁ。何もやることがないなぁ。何かやることないかなぁ」っていうことを考えながらぼーっとすることであって、またすぐ明日が来ると思いながら、課題とか、今すぐやりたいことに追われることじゃない。


うまくいえないんだけど、小学校高学年から中学卒業前後まで俺の中の「考える」時間は止まっていたような気がする。本当はそのとき考えるべきだったことを先延ばしにしてしまい、高校三年間でそれらをこなした。そして大学に入ってから高校三年間で考えるべきだったことをやっている。例えばしっかりした世界観・価値観の形成だったり、スキルの習得だったりする。

一方で、遅れている俺に対して環境は待ってくれない。先が見える限り、俺は大学生活中で考えるべきことを考えずに外に出ることになる。しかも大学生活で追われる中でよく考えもできずに、だんだん先延ばしにされるいくつかのことは、完成しないし、環境のせいでうまく構築ができない。

だいたい環境のほうは、既にそういうことを行い、完了していると見なして何らかの要求をしてくるから、そういう部分の足りない部分がどんどん積み重なって保留になっていく。保留になっている限り、それをこなすことをとにかく優先しないといけないけど、基礎ができていない情況では、たまる一方で基礎をやっている暇がない。

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  3. 金曜日になると休みに入ったと錯覚する。

コンテキストについて学んだよ。今回もとぴあさんくらむさんに親切に教えてもらったよ。

Perl ではコンテキストっていうのがあって、意識していないとハマるらしい (というかハマった)。サブルーチンを呼ぶところだけを見ても、そのサブルーチンが何を返すかがわからない。

$ perlsh
main[1]$ @arr = localtime;
56
21
1
18
4
106
4
137
0
main[2]$ $scr = localtime;
Thu May 18 01:22:02 2006

最初、なんでただの配列がスカラ変換のときに、タイムオブジェクト?のように見なされて時刻文字列になるんだ?って思ったんだけど、これは localtime がコンテキストによって挙動を変えた (!) 結果らしい。localtime っていう部分だけを見ても、localtime が何を返すかはわからない。


そのコンテキストとやらには、大きくわけてリストコンテキスト・スカラコンテキスト・void コンテキストがあるようだ。

sub context {
if (defined wantarray) { # void context では undef
if (wantarray) { # list context では true
print "List Context!\n";
} else {
print "Scalar Context!\n";
}
} else {
print "void Context!\n";
}
return;
}
@arr = context;
$scr = context;
context;
__END__
List Context!
Scalar Context!
void Context!

という感じで、サブルーチン内で wantarray を呼ぶことによりコンテキストの分岐ができる。wantarray っていう名前はおかしい (配列とリストは区別がある) みたいだけど、歴史的事情がきっとあるんだろう? perldoc でも wantlist であるべきだった的なことが書いてある。

たぶんコンテキストの理解は Perl では必須だろうけど、こういうのって他の言語だとあんまり見ないよね、っていう感じだった。


他今日知ったこと

  • use vars は obsolete。変わりに our
  • 擬似ハッシュには触るな (obsolete)
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  3. 今日のぺるる コンテキスト

学校だけじゃなくて、しばらくじっとしていたい。

余計なことを言う人とかから離れたい。

あー本当にいやだ。課題をやりたくない。なんでこう暗に脅された感じがするんだろう。すごい嫌だ。もうやめたい。

思うにあれは誠実じゃない。誠実なふりをして実はかなりてきとーだ。嫌だ。それを気付けるんだろうか。無理だろうなぁ。自分では誠実だと、思っているんだ。

起きていても朝がくる。早寝早起きなんてできるわけないだろう。

時間足りないときはどうすればいいんだろう。時間が足りないと連鎖的に何もできなくなる。

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  3. 学校いきたくねぇ

ちゃんとサイトにきて見て欲しいとかいう目的で要約しか提供しないっていうのもたまにあるみたいだけれど、要約しか提供されていないなら、よっぽどのことがない限り要約しか読まない。

全文提供されてるとなんとなく全部眺める。

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  3. 要約フィード

やっぱり凝縮されているわけで、共通部分を見つけていくと、どうすればいいのかっていうのが見えるのかもしれない。

Syrup16g の「汚れたいだけ」についていろいろ考えていたのだけれど、なんとなく BURGER NUDS の「指輪」が思い浮かんだ。

「ちょっと……人間ってちょっといい人になりたいとかね、自分がよく生きたいっていうのがあるじゃないですか。そんでやっぱ負けるのは嫌だし、できれば閉じこもってたいけど、でもそんで自分を壊していっちゃうようだったらもう汚れていったりとか、傷つけたりとか傷つけられたりとかしてるほうがまだいいんじゃないかっていう気持ちはあるんですよね」

っていう部分を読んでいて、それが指輪に繋がった感じ。「指輪」で描かれる表面的にも良くあろうとしている状態から、まぁ表ぐらいは汚れてしまっても (錆びてしまっても) いいだろうっていう変化が coup d'Etat においてはアルバム全体として出ているんだなっていう、そういう感じ。


関係ないけど、遺伝子レベルで組み込まれたなんちゃらって誰かもいっていたような気がする。ACIDMAN だっけかな。

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  3. syrup16g にしても BURGER NUDS にしても

もっとよく考えたいのだけれど、なんか時間があんまりないのでもうてきとーに思いつく限り書いておくことにしよう。それが本来の日記ってもんだ。頭に浮かんだらすぐに書けばいい。

少し前に OOエンジニアの輪! ~ 第 20 回 高林 哲 さんの巻 ~ を読んでいて、すごくひっかかったというか、うわーって思ったのがあってそれが以下の部分。

なんだかいわゆる「業界人」っぽい文体、内容、主義、主張なんですよね。考え方が妙に爺くさくて、似通っていることががあって、なんだか皆均一化されちゃってるなと感じることがままありますね。これはどういうことかというと、高校生が書いてる日記と、 40 歳近い人の日記も区別つかないんですよね。あまりにも似通ってて。

なんか妙にここが気になって気持ち悪くてしかたがない。本当にそう思うから。

いろいろ読んでて、特にもうフィードリーダーとかで読んでると「この人って誰だっけ」とか結構思う。さっきも似たようなのを読んだな、とか。でもって仕方ないからサイトに飛んでみるんだけど、CSS も似てたりして、もうわけがわからない。実は全部同一人物が書いているんだろうか……とか思ったりする。怖い。

だからなのかなんなのか、そういう人たちの主張って全然こっちに入ってこなくて、なんていうんだろう、説得力がないっていうか、読んではいるけど頭に入らない。数の水増しみたいな。そんな感じがする。

ちょっとまえに書いたあなたがストリクターになるべきでない10の理由の二番目に「文章の書き方がソレっぽくなるから」って書いたのは実はこれのことを言っていて (人によって捕らえかたが違うだろうから、もし別の意味でとったのであれば、それも別に間違っているわけではないです)、いやストリクターに多いってわけじゃないと思うんだけど、どっかの誰かが非ストリクトなことを言ったときとかのそういう人たち (自分も含めて) の動きっていうのがみんな同じで、すごく気持ち悪くて、なんともいえない。


じゃあ自分はどうなのか (どうありたいのか) っていうのはすごく難しいのだけど、どっちかといえば、そういう同じような感じになりたくない。でもみんな同じようになったほうが楽だなっていうのも思う。だからどっちでもない中途半端な感じに今のところしておきたいし、どっちにしてもなりたくてなれるものじゃなくて、いつの間にかなっていて、それはそれでいいのかもしれないと思う。なんなんだ。Not at all

まぁいいか

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  3. 同じような人たち。追いかけるもの

やっぱ二面性が重要だよなぁ。むしろそこから生まれるジレンマとか、そういうの好きだなぁ。ファンタジーとして、だけれど。

究極的には 死にたいようで死ねない 生きたいなんて思えない なんだけど、もっと近いところでもそういうのって沢山あって、まぁ例えばツンデレなんかもそうなんだけど、「嫌いたいようで嫌えない 好きだなんて思えない」ぐらいの状態がちょうどいいとか思うわけで、そういう状態がでてくる女の子っていいなぁって思った。ファンタジーとして。

最近のだともののけ姫みてて思った。「人間なんてきらいだ」ってモロに顔を埋めていうシーンのサンがなんとも可愛くて素晴らしかった。意味不明じゃないよ。意味不明じゃないよ。きもい。


ようはジレンマって切なさを誘発させるからいいんだろうな。いや逆かな。よくわからない。

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#hxxk@ircnet に新しく入った。


IRC は良いです。メッセンジャーとかだと、1:1とか、話そうとするたびにセッションを張るという行為が必要になるので話しかけづらいのですが、IRC は常駐という形でぼーっと眺めていられるのでよいです。かなりやる気がないときでも、情報が入ってくるのでよいのです。

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