土曜日は完全休養日にしようと思いどこにもでかけなかった。が、家にいるとコードを書いてしまい、徹夜してしまった。意味がない……

日曜日はおかげで13時ぐらいに目が醒めた。植物園にいって春の花の展示会みたいなのを見て、あとはいつも通り上賀茂・今宮神社にいった。

途中、ヘッドフォンが断線してしまったので、新しいのをビックカメラまで買いにいった。

PHILIPS ヘッドホン SHP2700 - Philips(フィリップス)

Philips(フィリップス)

3.0 / 5.0

なんとなく PHILIPS のヘッドフォンを買うことは行く前に決めてて (普段家で使っているのが気にいっているので)、試聴できればいいと思いビックカメラにいったのだけれど、PHILIPS のヘッドフォンの試聴は一切できないようで、大量に audio-technica のヘッドフォンばかり並んでいた。audio-technica の開放の安いやつにしようかとも思ったのだけれど、試聴してみても (もともと audio-technica のヘッドフォンは高音がキツくて好きじゃない) 微妙だったので、仕方なく多少博打になるのは承知にうえ、上記の SHP2700 を買った。今アマゾン見たらだいぶ安くて吹く。ビックカメラほんと高いな。もうビックカメラでは買わない。

ヘッドフォン自体はとても良くて、装着感もいいし、音も好みなので、ガッカリしない感じでよかった。PHILIPS はかなりコストパフォーマンス高くていいなぁ。

神様はじめました 1 (花とゆめCOMICS) - 鈴木ジュリエッタ

鈴木ジュリエッタ

3.0 / 5.0

おすすめされたので読んでみた。とりあえず1巻だけ買ったけど面白かったので5巻まで買った。こういう、嫌らしいキャラクターがいないストーリーは好きです。主人公の女の子が基本的にダメな感じで、たまにとても可愛いのも好きです。

神様はじめました 2 (花とゆめCOMICS) - 鈴木ジュリエッタ

鈴木ジュリエッタ

3.0 / 5.0


神様はじめました 3 (花とゆめCOMICS) - 鈴木ジュリエッタ

鈴木ジュリエッタ

3.0 / 5.0


神様はじめました 4 (花とゆめCOMICS) - 鈴木ジュリエッタ

鈴木ジュリエッタ

3.0 / 5.0


神様はじめました 5 (花とゆめCOMICS) - 鈴木ジュリエッタ

鈴木ジュリエッタ

3.0 / 5.0

Linuxカーネル2.6解読室 - 高橋浩和

高橋浩和

3.0 / 5.0

輪講するということで、参加を意気込んで購入した。ウェブである程度ダウンロードできるとの話だったけれども、ちょっとアレなのでちゃんと買うことにした。

  • 鐸比古鐸比賣神社
  • 大原

いまいちろくな写真にならない……

龍安寺 → 平野神社 → 北野天満宮

35mm をつけて出掛けたけれど、途中から 100mm に変えた。

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京都府立植物園 → 上賀茂神社 → 天龍寺 → 松尾大社 → 月読神社

上賀茂いってから嵐山にいくというルートは初めてだったけど以外と普通にいけることがわかった。

女生徒再読メモ

自分のぶんを、はっきり知ってあきらめたときに、はじめて、平静な新しい自分が生れて来るのかも知れない、と嬉しく思った。

何か世の中から聞こう聞こうと懸命に耳をすましていても、やっぱり、何かあたりさわりのない教訓を繰り返して、まあ、まあと、なだめるばかりで、私たち、いつまでも、恥ずかしいスッポカシをくっているのだ。

100mm IS Macro、めちゃくちゃいいレンズで、使っていて楽しいけれど、出てくるのはあんまりおもしろくない感じがする。10m ぐらい離れたところに被写体を置くのは、すごく面白い。花は花で、明確な被写体だから、撮ってるときは楽しいけれど、趣旨に反する感じがする。浮ついている。


この日記の今のタイトルは「一寸先は餡の雲、先は文乃さんストーリー ─子供みたいな事、しないのよ─」ですが、その文乃さんがでてくる「果てしなく青い、この空の下で…。」に出てくる穂村神社のモデルになった神社に行ってきた。この作品のモデルは、大抵奈良の山奥にあるので、車とかがないといけない感じですが、この神社は唯一1時間30分程度でいけるところにあるので、前々から行きたいと思っていたのでした。

この作品、そもそもが良い作品であるにも関わらず、完全版 (フルボイス化したもの) に至っては、文乃さんのCVがかわしまりのさんなので、何もかもが完全版でございます。完全版以前に文乃さん自体が好きであったうえに、かわしまりのさんも好きであったので、このキャスティングは本当にびっくりしたものでした。続編のアトリの空と真鍮の月も良かったし、本当に素晴しいと思います。

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  2. 文乃

JR柏原駅 → 鐸比古鐸比賣神社 → 八王子神社 → 恩智神社 → 岩窟弁天岩戸神社 → 式内天照大神高座神社 → JR八尾駅

鐸比古鐸比賣神社以外は予定になかったけれど、Googleマップで神社を探してみたらいくつかあったので行ってみた。恩智神社は立派な神社だった。狛兎というのが印象に残った。岩窟弁天岩戸神社と式内天照大神高座神社はほぼ隣接している (というか岩窟弁天岩戸神社が摂社なのかな。よくわからなかった)。天照大神高座神社は磐座が主体の神社だった (かなり分りにくい位置に本殿っぽいものがあった)。

天照大神高座神社・岩戸神社 によると一応別々の神社のようだ。

Wikipedia の狛犬の項を読んでいて「なお、京都市内の神社には狛犬が居ないところがほとんどである。」と書いてあって、そうだっけ?と思った。狛犬を気にしたことがあんまりないけど、結構あるような気がする。

SIGMA 単焦点魚眼レンズ 15mm F2.8 EX DG DIAGONAL FISHEYE キヤノン用 対角線魚眼 フルサイズ対応 476403 - シグマ(Sigma)

シグマ(Sigma)

3.0 / 5.0

買いました。24mm 28mm とかをすっとばして 15mm FISHEYE かよという感じではありますが、広角ズーム 17-35mm を持っているし、単焦点広角は 35mm F2.0 があるし、もうちょい考えられる範囲を広げておいてもいいかと思い 15mm FISHEYE でございます。FISHEYE は普通の広角と違って、良しとする基準が違うのでものすごく歪曲した画像になります。

案の定という感じですが、とても使うのが難しいです。普通写真を撮るときは「切り取る」感じになるものですが、一方こいつは人間の動視野 (約200度) をほぼカバー (対角180度) するので、ぼーっとつったって風景を見たときの範囲が全部映ってしまい、余計なものが入りすぎます。背景全て写ることを考えたうえで、被写体と歪曲をどこにだすかと考えないといけなくて、想像力が足りない僕にはだいぶ大変な感じです。

広角は被写体にどんどん近付いていくのが基本だと思うので、FISHEYE でもそういう感じで撮ったりしましたが、構図を決めるときに歪曲の関係で画面内に被写体を「置けない」場所がでてきて大変な感じです。被写体は画面中央に残しつつ、背景をうまく決めるために動くという感じでやるのがいいのかなぁと思って何枚か撮ったり、あとはやっぱり一点透視になる構図で普通に撮るのは絵になるような気がしたので数枚撮ったりしました。

狙って FISHEYE を使えるようになるまで、ちょいちょい積極的に使おうと思います。脳内ズームで 100, 50, 35, 17, 15 あたりができるようになったらズームレンズを買おうと思いました。

前日まで伊勢神宮に行く気であったけれど、当日起きてみると、3時間も電車に乗る気力がなかった。無理して行くものでもないのでとりあえずそれはいいのだけれど、あまりにも晴れでもったいなくて、いろいろ検討して日吉大社に行くことにした。

日吉大社は延暦寺の近く (というか守護神社) なので、強い神仏習合色があるのかと思ったけれど、そんなにそれを感じるものはなかった。合掌鳥居と、入母屋系の社殿 (日吉造(ひえづくり)) ぐらい。屋根は檜皮葺きだし、古くて彩飾が少なく、落ちついていて良かった。

八王子山にも登ったので結構疲れた。

東本宮 (左は樹下宮本殿、中央は東本宮拝殿、右は樹下宮拝殿)

日吉造、東本宮本殿裏

日吉造、東本宮本殿横

東本宮奥にある流造りの社殿 (大物忌神社)

樹下宮本殿の狛犬

日吉造は横に長いので、迫力があって、男らしい感じがした。一方で屋根の曲線が優雅なので、優しい感じもした。


境外に日吉東照宮というところがあり、そこにも行った。日光東照宮にさきがけて造られたものらしい。こちらは明治になるまで延暦寺の管理下だったようだ。屋根が銅瓦葺きで、色がたくさんついてる。昇殿させてもらえるので中も見たけど、中も仏教色が強い感じだった。期待していたよりも、静かでいい神社だった。写真はない。


そのあと近江神宮に行って帰ってきた。近江神宮はかなり新しい神社 (70年前) で楼門が派手だった。あと思ったよりデカかった。昭和にこんなものを造ることができたってことに驚いた(太平洋戦争の前であるとしても)。

土曜日に小石を靴に入れたまま歩いてしまったがために、左足の裏が激しく痛くてなかなか歩くのが大変だった。正直伊勢神宮には行かなくて良かった。

最近モノの正面というのものを意識することが多い。FISHEYE は特に、正面に立たないと歪むので、その傾向が強いけれども、そうでなくても、モノの正面に立って、まっすぐちゃんと見ることは、意識的にやらなければ思いのほか難しい。

todo

  • ゆうちょにお金いれる
  • インフラ費を払う

全く知らない土地を歩くのは不思議で、決して知らない風景について懐しさを覚えるのもそのうちであるけれども、それよりは、人がそこに住んでいて、おそらく自分とは違う生活の方法をとっていることを思うと、もはや想像できる範囲を超えてしまう不思議さになる。

そしてその土地がそんなに都会でないとなると、ごく小さいころは田舎に住んでいたことを思い出し、そこから動かずに今の年齢まで育っていたらどう生活していただろうと考えてしまう。

marble の旋律の行方、桜夢見月というCDがタワレコ新宿限定品になっていて残念すぎる…… 次実家帰ったときにいってみるかな

何を言っても無駄であるから、何も言わないのであって、どうでもいいわけではない。ジュウロクだかジュウハチだか過ぎた人間には、もはや外から直接的に何かを言っても無駄なのだ。だからそういう人に僕は反応を一切期待しないし、既にある何らかの明確に形になっているもの以外、意図的に考えないように最大の努力を払っている。裏をかえせば、自分がそうであるというだけで、あるときにふと大抵の人が本人の思惑や欲求のためだけに他人に何かをいっているのということが腑に落ちて、それからは一切他人の言うようなことを話半分で聞くようになったというだけだ。

観察するまでもなく、大抵の場合、ある人が自分を見下しているかどうかなんてのは、喋りかたでわかるものだし、喋らずとも言葉を使っている限りは、そう時間もかからずに分かるものだ。観察するまでもなく、というより、他人を見下すように生きている人のほうが多いのだから、とりあえずそのように考えておけばまず間違えたりはしない。

やろうとしていたことができなかった

やろうとしていたことができなかった

今までちゃんと言葉にして意識はしてなかったのをちゃんと言葉にして意識するようにしよう。変数束縛

人間vs自然みたいな構図の考え方がやはりものすごく嫌いだ。人間は自然の中に含まれているし、人間だって意志を持ってるつもりで、殆ど自動的、すなわち自然だ。そんなくせして、人間自身が人間を特別視しているというおこがましさに苛立ちを覚える。

身近に自然の美しさなんてものはあるのだけれども (都会でも)、そういったものを見ないふりをしているのは、個性を求める没個性にイラ立つ感覚と全く同じだった。

星の肖像というか、そういう自然を写すものは、大変日常的なことに溢れて存在している。僕の中で「自然に」というのは「自動的に」みたいなのとほぼ互換であると同時に「自動的に」のほうが具体的な言葉なので、もっと自然に生きよ、というのは、もっと自動的に生きよということだと感じている。(自然に生きよ、というのが良いか悪いかはともかく、というよりも「自然に生きよ」というフレーズに対して、そもそもどう生きようがそうだろうと思うので、懐疑的だけれども)

五感を研ぎすます必要がただあるだけだ。

そういえば、最初に伏見稲荷に行ったとき「なんで修学旅行でここに来ないんだ!」って思った。なんだか良くわからない衝撃をうけた。

それから何度か足を運んでいるけれども、毎回違う気持ちになる。山登って降りてくるか、途中でひきかえすか、別の道を行くか、とかいろいろあるので、おもしろい。