演奏してみた、がランクインしてて見てしまった。あーほんとクロノクロスは神作品すぎる……

外をみまわして宇宙の全体を見ることはできないけれど、内をのぞけば、そこにはまさに宇宙の全てがある。

まじで導入されたらいいのになぁ…… 食いつなぐために、発展を阻害する人がいなくなれば、もっと急速に文化が発展していくと思う。最低限生活ができていないと、悩むことさえできない。

現状では、生きているだけで価値がある、とかいう主張は全くなんの慰めにもならない。どうにかして、ないものを無理矢理あると解釈して、ある意味で他人を、自分を騙しながら生きていく必要がある。そうしたくなくても。

でもこれ、道徳が崩れすぎてから導入すると失敗する。現状導入したとしたら、ちゃんと、バランスが保てるんだろうか。今はまだ保てると思うけれど、あと数世代後では手遅れなんじゃないだろうか。

なんかおれ、ことごとくタイミングわるいな

ちょっとちがうんだと思うな。世の中には予想に反して、幸せになりたくない人ってのがいて (なりたいなりたくないの二元論じゃなくて、どっちに天秤がかたむいているかってだけだけど)、そういう人が他の足をひっぱって、向う側へと連れていく。だから、みんな幸せになりたいんだろ、って前提で世の中全体を良くしようとしてもまずうまくいかないと思う。個別にじっくり回復させないとだめだ。ゆっくりじっくりと、回復していくスキームが必要だ。

  • まだ目的地まで半分以上あるのに、寝過した!と思って席をたってしまうこと。
  • その後もう一度座ってから眠ると寝過すこと。

生の言葉で表現できないときこそ

帰ってくるとき桜がすごい勢いでちっていて、なんかの映画みたいだった。ここ数日は桜の狂気な感じについて考えてた。なんか綺麗だけど、「わぁ綺麗」って感じじゃなくて、もっと心に直接、ナマで綺麗な訴えかけをしてくる感じがする。

まじでいい曲すぎるっっっ

MP3 プレイヤー欲しいけど、まだ一応、曲の入れ変えができないとはいえ、動いているのがあるので、買うのは贅沢な気がする。特別欲しいのもないし我慢しよう。お金ないし

病気になってから言え、みたいなマッチョなものを読んで、なんだかなぁ、と思った。すごく最低な臭いがする。

再帰を理解できない人を理解できない人がいるのと同じように、些細なコミュニケーションをうまくできないことに悩む人を理解できない人がいるのも別段変ではないですね。

再帰的な構造ってそこらじゅうにあるのに、どうやって生きてるんだろ、って感じですけど、コミュニケーションってそこらじゅうにあるのに、どうやって生きてるんだろ、と言いたいわけですよね。そうですね。不思議ですが生きていけますね。

自分っていう人間は、どんな撮りかたをしても訴えてくることはない。過去の自分は次の瞬間に死ぬ。これは自分ではない。でも継続してる。(30秒)

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色がつくと奇妙に見える。目ではありえないからなんだろう

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なにもかもどうだってよくなってしまう感じがする。でもどうせ寝て起きると、どうだっていいことに不安にならなければいけない。

がやってきた。単に休日がきただけな気もする。少女Q大好き

なくて七癖といいますので、先に最低七癖は探しておいてからコミュニケーションを始めたいと思うのです。

強烈なインパクトなんてほんといらない

他人撮るとあとでなんくせつけられて金を請求されるから、自分をとる。

おれはキレやすい若者、ですよ。単にそういう状況が嫌で嫌でしかたなくて避けて避けて逃げまくっているから、ここ数年はそこまでいったことがないだけですよ。普段からタンクにごたごたが溜っていくんだよ。きっかけで壊れたりするだけだけど、そこでのきっかけは些細なことでいいんだよ。そういうのが理解できない人は、きっかけだけを見て「なんでそんなことで」って思うだろうね。テレビの報道とか見てると嫌な気分になることが多いよ。

マイリスト溢れたら古いのとかをはてダに書きだせばいいんだ

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部屋が暗いほうが圧倒的に落ち着く。でも目が悪くなる。

なんとなくシャッタースピード30秒にハマってる。30秒はバルブ以外では最長ってだけで、数字自体に意味はない。

ミラーがあがってシャッターがあがってからの静けさと緊張感がすごくおもしろい。特に、自分を被写体にして、カメラのレンズをじっとみてみたりすると、禅な感じがする。

BUMP OF CHICKEN を聴きなおしてる。ハルジオンは緊張感があっていいなぁ。メロディーフラッグは聞きながらクロノトリガーをやってた中学卒業後の春休みがよみがえってきますが、あのへんの記憶ってなんだかひどく曖昧だ。いろいろありすぎた感じがする。

「おいふざけんなよ」という声がきこえる。

ものすごい不安な気持ちになって、すぱっと起きた、みたいなのが数日前にあった。なかなか寝れないのはあっても、起きるのが早くなるのはいままでにない感じだった。今日は普通に起きれなかった。

なにもかも中途半端ですね。

最終的にそれぞれが融合してずばーんってなればいいやって、中学ぐらいから思ってるけど、そこまで時間があるかわからない

すごくいろいろ言いたくなるエントリを読んだけれど、今の自分ではまだ書きくだせない。結果を出さなければならない。表現

なんか、やっぱだめなんだよなー

リア充には本当に興味が持てない……

なんか不安になるエントリだなぁ。そっちいったら負けると思うなー

なんかもっと給与晒しが流行ったらいいのになー

やっぱり、死ぬことになるのかもしれない

釣りエントリってほんと嫌いなんだよなぁ、と書こうとしたけど、僕が嫌いなのは釣りエントリではなくて、ブログ的な、外にしか向けられていない、パフォーマンス的なエントリ全てだった。

新しい学生証がきた。

でかいもの作ろうとして、結局よくわからん、誰も嬉しくないものを作るっていうのは、よくあることだから、最終的にそれに繋るだろう、っていうのを、一つ一つ確実にやっていかないといけない、って思う。

世の中全体の流れを、急激に変えることはできない。そういうだいそれたことは、絶対にできない。やっているようにみえる人は、たまたま流れの中心にいただけで、その人が重要なわけじゃない。時間が解決すること、時間でしか解決しないこと、は多くて、そういう意味で「人生中でこの夢は達成できないかもしれない」っていうのはあるはずだと思う。

それに、完全になにもかもを変えてしまうことは不可能だと思っている。例えば紀元前前の政治の格言なんかが、なんだって今の時代でも重宝されたりするんだろう? とかよく思う。変わらない部分はあって、そこを変えようとしても無駄なだけだ。悪人は個人に相対的なものだから、なくすことはできない。「この人とあわないな」は、どんだけコミュニティを縮小していっても必ず生まれる。

だから、特に変えていけそうな部分をみきわめないといけないし、そのために適切なステップをふんでいく必要があると思う。最初から全てをどうにかしようとは思わない。誰か一人でいい。

手を伸ばそうと思ったときに、すぐに掴めるものがあればいいと思う。インターネットはそれをどうにか可能にすると考えている。でもまだちゃんとスキームになってない。

考えない人が一定量必ず社会にいるように、考え続ける人が一定量必ず社会にいると思う。これはいつも個人の中でも境界がすごく曖昧で、スイッチひとつで、まわりからの衝撃ひとつで、きりかわってしまうと思う。(考えない人のほうが圧倒的に多いけど、生産性では均衡が保たれるような感じがする。)

考えない人の場はあってもいいし、たぶんそれは人がおおいだけ、もりあがるだろうけど、僕は作りたいと思わない。

だめっぽいなーって感じでやると確実にだめになる

[[やまぶき高校入りたい!]]

インターネットの先端部分はよく変わる。アイデアが生まれて消えたり、それに伴うサービスが生まれて消えたりする。技術もそうだ。逆に、そういう変わる部分をいくつか見ていけば、変わらないものを逆算することができる。

僕は主観的な世界しか信じていない。主観的に生きている。でも奥のほうで干渉があると思う。それって、最近気付いたことを考えていくと、まさにこの宇宙そのものであるから、ある意味では主観的な世界も客観的な世界も変わらないものなのかもしれない。

外側を見渡しても宇宙のごく一部がみえるだけ、内側を見れば全てを見渡せる。より近くにあるのは外側のほうだから、直接高速になにかを出すなら、外側から出そうとしたほうがいいけれど、より多くの可能性を考えて、渦をまくみたいになにかにまとめていって、っていうことをするなら、内側をみないといけない。外側は基本的に、刺激であって、それからまとめあげて仕上げるには内側を見ながらの処理だと思う。

ひどい行為だ。言葉を塞ぐ。なにも言えなくする。本当にひどい。反論を許さない。耐えろは最低だ。逃げるんだ。絶対に逃げ続けてやる。

耐えることは心を殺すことだ。言うことをなくし、外部へのアウトプットを制限して、踏み絵に怯えるように生きる。心を殺せば奴隷になる。奴隷つくってどうする気なんだ。そういうアレなのか。最低だな本当に

  • 税務署から国税還付金振込通知
  • 教務課から学費納入確認の返信

4月ってほんとやだなー

考えかたの押し付けが一番嫌なことに感じる。いろんなところを横断して、でもじゃあそれを自分はやってないのかっていうとよくわかんないよなぁ。「押し付けないで」と言うのは押し付けになるから、黙って遠くに行くのが、一番理にかなっているように思う。ひたすら探し続けること、なんかこれ、もっとインターネットを利用して、効率よく行えたらいいのに、なぁ。けっきょくわかんないもんなー


あとそんなだから、メールとかでの、プッシュされた感情表現がとても嫌に感じるのかもしれない。そういうのは、ただ、そこにあればいいと思うんだよなぁ……

外向きの諦めの早さと、内向きの諦めの早さは違うなぁ。外向きにはすぐ諦めて、あとは全部内側の問題にする。外に出してみるのは、そこで批判なりうけたとしても、内でそれをまだやりたいと思えるか、っていう判断の一つにすぎなくて、あんまり重要じゃない。そんなあんまり外側に意味とかを求めていないので、自分っていう機械が、自動的に、真剣になれるようなものをやっていければいいなぁ。

あとなんか、帰りに電車でずっと、どうやって書こうかって悩んでる文章があるけど、本当に全く書けないなぁ……他人にプッシュする文章って書けないなぁ。プルしてもらう文章はなんとか書けるけど、プッシュするのはすごく気持ち悪いんだよなぁ。相手はポジティブな評価しか基本的に受けつけないわけだし (というより、そうじゃないのを書くにはもっとエネルギーが必要で、そこまでしてどうにかしたいとは今、思えない。もっと簡単な方法を保険にしているからだけど)、全くもって賛同できなかったりするのが含まれているとどうしようもなく何も書けない。

なんていうか、あんまり環境を変えることを難しいと思わない。休学してなんかどうでもよくなった感じだ。どんなことになったって死んだら全てが終わるし、でも死ぬよりもっとリスクが少ない方法があるから、それならもうめまぐるしくいろいろやって、そういうことが全て、自然に生きていけるように、うまくいかないのならば、死んだらいいかって感じだ。そうやって生きてみて、ダメだったやつがいる、うまくいったやつがいる、っていうサンプルになれば、面白い自動的なアートの一つになる感じがする。参考にならないかもしれないですが、これが僕の人生でした、っていって死ねればいいと思う。ダメだったときは、助けてもらった全ての人へのお礼と謝罪を書いて、うまくいったなら、どういう人間が障壁になったらを書いて、そこに至るまでのことは、ずっと書いてきているわけだし、死ぬために更めて書きくだすために生きる必要があるなんてことにもならない。

君がここにいるためには……みたいな論じかたはなんだかあんまり興味をひかない。それならいいです、他の人がそこにいればいいです。別に僕でなくちゃいけないようなことっていうは、本当に全くない。だから僕は僕が満足できるように、僕の定める真剣さと誠実さを元に、徳を養い、もしその過程で他の人と関わる必要があるなら、そのときそのとき、効果を最大にする方法を考えればいいかなと思う。僕は誰かとなにか競争していくのはやめにしたい。

ちょくちょく他人に期待しすぎと言われてグサっとくるので、期待しないようにする。どうやって変えてくのかがむずい。

自己啓発みたいなの、他者から言われるととてもうさんくさくて、信仰を冒されている感じがする。自分は宗教信仰を一切していなくて、できないんだけど、そういう意味じゃなくても、なぜか「考えかた」とか「大切にしているもの」っていう風に表現すると、「そんなの捨てちまえ」とか軽々しく言えてしまう、とても嫌な感じの人達がいるので、おおげさでも、それが内側からの変化でのみ柔軟性を持つなら、信仰と言っといたほうがいいと思った。

成功した人には興味がわかないなぁ。悩んでないか、悩んでるレイヤーがシリアスじゃないんだもんなぁ。

夜中に三脚持って歩いてると怪しまれるし、カメラから結構離れないといけないときはいろいろ不安になるから、なんか解決方法が必要な感じがするけどノーアイデア

僕が誰かに殺されそうになるように、僕も誰かを殺そうとしているのかもしれない。

コミュニケーションって、同期的であればあるほど、物理的に近ければ近いほど強くなる。インパクト、速効性。でもそれは、強ければいいわけじゃないと思う。バランス。

電話、メールは、コミュニケーションの相手を (仕事とかじゃなければ) そこそこ選ぶことができる。IRC は、人と、話題までも、選ぶことができる。でもこういうのはやっぱり、対面の力より弱い。でも、対面は、選ぶことが難しい。

僕は、最終的には、必ず対面のコミュニケーションがあるべきだと思っていて、でも、それは選べるべきだと思う。インターネットとかで、出会って、例えば技術者同士ならば、カンファレンスとか勉強会で対面で話すことができる機会があって、それはある程度枠組みとしてできているけど、もっと広い範囲で、そういうのが適用できたらいいと思う。

例えば、本名をあかさない日記っていうのでも、長く書いていると、積み重ねによる信頼と責任が生まれるから、それを担保にして、会うことへの不信感を減らすことができると思う。というか逆に、僕の場合だと、日記書いてない人とは、不安なので会いたいと思えないことが多い。「本名」っていうのは、そんなに重要じゃなくて、大切なのは、積み重ねだと思うので、ハンドルだったり、URL だったりに、そういう積み重ねがあるなら、別に本名じゃなくていいと思う。

いや実際には、日記じゃなくても、5年ぐらいじわじわと、人となりがわかるようなチャットでも続けていれば、普通に会っても違和感とか、不安感とかは感じない。ネトゲのオフとか、長い付き合いの人とはそんなに驚きがなくて、普通の友達って感じだ。

とにかく、もっと、ネットは、物理的なものの延長なのだから、対面の接触を、安心してできるような方法を、うまく作る必要があると思う。

はてなって主婦多いんだなー デザインがしつこくないからなのかなぁ。なんでなんだろう

なんか咳がとまらない

今日は一眼レフを使えない。コンデジがどっかにあったはずだけど見当らない。ケータイケータイ

3巻読んだ/読んでるけど、ほんといいなぁ。いろんな意味で突き刺さるコマとかあるよなぁ。喫茶店のゆのっちかわゆすぎる。モブキャラが全くハズさず可愛い。

そういえば、ヒロさんだけなんか美術科の学生っぽさがめっちゃ薄いよなぁ。

作る衝動は、プログラム以外では常にマイナスで内側なところからくるなぁ。

が頻出する文章はよろしくない。なにそれっていう

やっぱり、このアルバムが一番すきだなぁ

絶望的な作品の真の効力は、読者がそれを追体験することによって、そのような種類の絶望を乗り越えさせる点にある。

[asin:4101115060]


続きの文

それは免疫ということに似ている。折角のワクチンで本当に病気に罹るというのでは馬鹿げている。

自然と次のアクションを起こす気になるぐらいのものを作りだしたいものだと思う。

小学生か中学生だったときに親に指摘されて辞書ひいたけど、そのときには既にこの用法は載ってて「まちがってないじゃん」って思った記憶がある。僕は全然「全然OK」に違和感を感じないので、なにがおかしいのかわからないし、普通に使ってしまう。

普通に考えたらムリだけどナー どうなんだろう……

早さを求めると美しさはないがしろにされやすい。早さに慣れると美しさを忘れてしまう。そうなったらおわり。早さを制御し、しかし遅いと言われないようにしなければならない。殆ど政治

なんだろう。この曲結構なんども聞いているはずなのに、今日になってやっと、頭にすぱっと入ってきて「いい唄じゃん!」みたいな、ひらめきみたいな感じをうけた。


あと「精一杯送ってた」がどうしても「精一杯のクーデーター」にきこえる。続きが「沈めた自分から祈る様なメーデー」だから、あんま違和感がなくてさっきまで気付かなかった。

なんかちょっと助けてもらいすぎかもなぁ…… ほんとうにありがたい……

fotolife が容量無制限になったんだ。hatena++

[niconico:sm3063884] いいうただなー

fotolife は画像のサイズを設定できるのと、縮小法が汚くないのがいいっぽい。でもオリジナルを保存するっていう用途では別の使ったほうがよさそう。

言語覚えるのは十分に暇じゃないと無理だ。最初のうちは誰の役にも立たないものしか作れないし、そういう期間は結構長い。ある言語の面白さを熟知するには、暇じゃないといけない。

低ビットレートエンコしてノイズ入れて大音量で聴くと気分がとてもいいですね。あとこの曲の PV の後半はなにがなんだかわからないけど腹の底が強く圧縮される感覚があって素敵だと思う。ピロウズまじでかっこいいなぁ。

コーディングルールについて、僕はかなり神経質に考えている。プロジェクト全体の一貫性のなさが一番の悪だと思うからだ。そういうものは全く美しくない。汚いコードが、プログラミングをはじめたときから一貫して嫌いだ。コードだけじゃない。GUI のデザイン、特に昔よくあった、何故かボタンとかに無駄に色をつけて Windows の標準 UI を逸脱するようなものとか、そういうのがめちゃくちゃ嫌いだ。

僕はコーディングルールを定めて (というか書いてたら勝手に定まるものだけど)、書きくだしてる。でもそれはいつも守っているとは限らない。もっといい方法をいつも探している。より強い一貫性を探している。読みやすさと、一貫性が最重要なルールなので、それを守っていればそれより下のルールは変えていける。逆に、他人のコードを編集するときは周りのコードからルールをできるだけつかんで、自分が好まなくてもそっちのルールにあわせる。一貫性がなくなるのが嫌だからだ。

とにかく一番嫌なのは、一貫性がないこと、汚いこと。ルールを他人に決めてもらって、その範囲で「できるならなんでもやっていい」は間違っていると思う。

何のためか、誰のためかを忘れないようにするのが重要だと思う。僕は未来の自分が読みやすいようにコードを書いてるから (すなわちそれは、今の自分よりもスキルがある誰かを想定してる)、そのためのコーディングルールを持ってる。

目的を円滑に遂行するために作ったルールなのだから、ルールを守ることを目的にしてはいけない。ただそれだけだ。ルールを作らなくていいという意味じゃない。

コードを読むときは、読めないコードが出てきたときに、読めないことを恥じ、コードを書くときは、読めないコードを書かないようにし、読めないコードを書いてしまったときにはそれを恥じる。そういうバランスが、御互いに必要っていう、あたりまえのことだ。そこにコストを感じすぎるなら、たぶん一緒にやる相手を間違ってる。

lb もそうだと思うんだけど、流行ってきたから嫌、っていうのはすげー気持ち悪いなー

リーダーを誰かに望んでいる。ヒーローを誰かに望んでいる。でも自分でリーダーやヒーローにはなりたくない。脇役になってちょこっとおいしいところを持っていければいいと思っている。自分だってそうだろう。

時々言葉の影響力を全く計れない。「これはまずい」って直感的に感じることはあるけれど、それが正しいか自信がもてない。非公開の場に何か書くことに慣れるのはまずい。やめよう。

なんかすごくむかつくけど、何を書いたらいいかわからない。無駄だと思う。でもどうにかしたい人達がいる。おれはどうやったんだっけ?

たまに忘れそうになるような生活をしているけど、世の中には圧倒的に嫌な人、合わない人のほうが多くて、これは疑いようのない事実だから、忘れるようなことがあってはいけない…… 近付いてこなければいいのに、って思ったとしても、それは彼らにとっては違う。嫌いだからとかじゃなくて、なんとなくで殺そうとして近付いてくるのだ。

スライドショーのときマウスうごかしてもクリックするまで操作ゲージでないのはいいなー

600px リサイズでアップロードだと一ヶ月 30MB ってまず超えないなぁ。

私たちには、自身の行くべき最善の場所、行きたく思う美しい場所、自身を伸ばして行くべき場所、おぼろげながら判っている。よい生活を持ちたいと思っている。それこそ正しい希望、野心を持っている。頼れるだけの動かない信念をも持ちたいと、あせっている。

たくさんの人たちが集まったとき、どんなに自分は卑屈になることだろう。口に出したくも無いことを、気持と全然はなれたことを、嘘ついてペチャペチャやっている。そのほうが得だ、得だと思うからなのだ。いやなことだと思う。早く道徳が一変するときが来ればよいと思う。そうすると、こんな卑屈さも、また自分のためでなく、人の思惑のために毎日をポタポタ生活することも無くなるだろう。

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