きっと、おそらく、他人がいうのをいくつか聞くとすれば、他人もまた自分のように人生のほとんどに対してうまくいってないはずで、うんざりし、疲れているはずだけれど、外に出て周りを観察するかぎり、そのように見えない。なぜなんだろう。うまく隠して、心底うんざりさせられる他人と長々と話していられるシステムをどうやって構築したんだろうか。
高校に入った当初、俺は高校選びが大きな間違いで、ほとんどの悪いことはここからきていると思っていた。でも入学後しばらくたって、いろいろ考えてみると、それがそもそもの原因ではないような気がしてきた。例えば、高校選びに失敗するような人間になるように、どこかで道を間違えたはずだと思ったり、よくよく考えれば俺は小学生のときいぢめられていたなぁとか思い出したり。確かに高校を選び間違えたのは大きな間違いだけど、その間違いをプラスに転換させる発想もあったはずだ。そういう発想ができないようになってしまったのには別の原因がある。ただ、今どこで間違ったのか分かっても意味がない。いずれにせよ俺にはヒーローが現れない。俺は俺の力で現状を打開する必要がある。しかしながら、それは俺のキャパシティを大幅に超えている。
母親が俺に対してだいぶうんざりしているのは、よくわかる。ただ、今の俺はちょうどいい大きさの穴にはまったボールでしかない……どうでもいいけど驚いたのは、母親の子供に対する義務と、俺が親に抱く義務がだいたい同じような考えだったことだ。考え方が遺伝してる。ほんとどうでもいい。少なくとも俺は両親が死ぬまで(できるだけ親に負担をかけずに)生きる必要がある……難しい。
いやになるのは自分自身だけでいいんだ。他人に対していやにならない世界になればいいのに。もうこの世界に生まれた以上そういう世界に移ることは無理なのかな。
結局俺は今なにもしたくない。なにもしたくない。祈りを聞いてくれる神様はいない。