法律に疑問を抱かない人っていっぱいいるんだなぁ。現状の法律に疑問を持たなければ、良い方向への改善なんてするわけない。法によって罪が作られる国なのだから、罪人がたくさん出る法はおかしい。そこにひずみがある証しなのだから、そのもとを正さず表向きに法律だけ変えてもしかたない。罪人をつかまえまくってもしかたない。

議員は目の前の利益しか考えず、バカな法律を作って、法の信頼度を下げていってしまう。国民が「もう法律は信用できない」といって、法治国家が壊れていくのが一番怖い。今声がでかい古い人たちが勝つならば、考えているより早くそういう自体が起こるかもしれない。そういう人達がみんな死ぬのが先なのか、だめになるのが先なのか。

「おれ……はてなさんのこと……好きだ」
「え…………」

少し前夢で見た好きな娘も、時間が経てば顔や、雰囲気も忘れてしまうものだ。残るのは、明確に文字に起こせる所謂属性のようなものだ。かなしい。

おれは言語によって思考が制限されるとは考えていない。これは高校のときに結論を出してから変わっていない。結論を出したのは改装工事中の小田急成城学園前駅の改札 (当時は片方しか改札がなかった) を入り、階段を降りていく途中だった。

さらに言えば、このことは人間が想像できるもので創造できないものはないというのと繋り、最終的には、人間ごっこに繋る。僕らが生きているのは想像の世界であって、それに感覚がついてきている。感覚は想像によって創造されている。御互いの影響、関係は無意識下で機械的に行なわれる。ある意味ではプログラム済みだ。メモリエラー (突然変異) が起きないかぎり (パリティチェックとエラー訂正がついていたらそれも起きないだろう)、定められたアルゴリズムで伝播がされ、未来へ動いていく。しかしながらその次元での影響は僕らが感じている時間に因っているわけではない。僕らの時間もまた、僕らが想像し、感じとっている要素の一つであり、その無意識下の影響の進みとは違う。

僕らは僕らが想像する「人間像」によって制限されている。所詮ゲームにも関らず、昔に誰かが必死wwwになったせいで、まきこまれ、人間ごっこ (=人間であることを演じること) をせざるを得なくなった。しかも長い時間をかけてそれがあたりまえになり、現代の人々、すなわち僕らは人間ごっこをしていることに気付けず、やめる方法を忘れている。

僕らは今、どちらかと言えば感じている所謂「現実」ないし「物質」をより重要視している。けれどもちろんそれは本来間違いである。僕らが想像した「人間」なるものがそういう世界で生きるゲームをしているだけで、本来そういったものはそのゲームを制限する要素でしかないからだ。ゲームマスターはなんでもできてつまらないから、ある程度制限を設けてその中でゲームをしているわけだ。僕らがストーリーを考え、想像し、設定によって制限するとき、そこには僕らのような存在ができる。同じように、僕らはメタ世界の住人によって作りだされている (この表現は適切ではない、そのメタ世界の住人と僕らは同じ存在だからだ)。

君がこの文章を読むとして、読めるとするなら、この文章を書いて、ここでの「僕ら」を想像したものがどこかにいる。そして君がこの文章を読んだときに想像する「僕ら」がまた生まれ、君はメタ世界の住人として彼らに想像される。僕らは君と同じだが、他人の想像した僕らとは違う。

歌ってみた系とか好きだけどなぁ。ああいうのは嫌いな人ってニコニコで何見てるんだろ。

例えばスウィングガールズは冒頭でうえをやってのけるのですぐ泣ける。
例えば時かけは7:25と56:32あたりで二重にやるのですぐ泣けて最後のほうでも泣ける。

今日も仕事が全くすすまなかった。しんだほうがいい気がする。まだ

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最終話以外殆ど見てないけど、あのセリフは印象に残るなあ。

結局ナチュラルに徹夜してしまった……眠いし寝たいけど眠れない……眠りにつこうとできない。

なんていうんだろう。ここ最近そんな感じだったから、じゃあカーテン締めて暗いままだとずっと眠れないんだろうかと思ってしめっぱにしていたらやっぱ眠れない。

UNIQLO とニトリのちらしが、派手さと落ちついた感じのバランスと、情報量の多さと余白のバランスがなんかよくて、すげーって思った。
たまには折込チラシも見るべきだなぁ。

読んでると、感じるような気持ちが、作家によって違う。あたりまえなのかもしれないけど、結構不思議だ。作品によって、じゃなくて、作家によって違う。

っていうのを見るとなんかムカついて目を反らしてしまう。Ruby は勉強するものじゃない。そうなって欲しくないと思う。

JS とか C とか Java にはそういうの感じない。なんなんだろう。

昨日の夕方2時間寝たいがいずっと PC つかいっぱのせいか、左腕に違和感がある。腱鞘炎フラグ?
とりあえず冷やしてみた。というか寝ようよおれ……

おれはもう終わったことだからいいけど、もし子供ができたらなんとかしないといけない。陸上とかスキーとか飛び箱とかだけにすりゃいいのになぁ。チームプレー入れんなよ。


それにしても「そんなの気の持ちよう」とかいう人間のクズは今すぐ首つって死ねばいいのになぁ……だいたい体育教師もそういやつだから、さらに絶望的な感じになる。

が近い人とはうまがあいやすい。

なんだかやっぱり、漠然とした不安がある。

そうだなぁ……たかがスクリプト言語ちょろっと書けるぐらいじゃプログラミングできるなんて言わないよなぁ。やだなぁ……やっぱり生きていける気が全くしない。でもやっててつまんない言語なんてやりたくないしなぁ。時期がくるのかな。でも時期があわなかったら、やっぱり、就職先なんてないし、どうしたって、おれの頭じゃだめなことがある。

まだホームページ (ウェブサイト的な意味の) を家に比喩する人っているんだなぁ。しかもそういうのを記事にして「これからのウェブは」とか言ってしまえるのはすごい。

ひさしぶりに歌詞見たら短くてうけた。これってなんかどっかの唄だとおもってたけど、ほんとに(謎)スカウトソングなのね。

どこに設定あるのかわかんなくて困る……デザインと記事の設定ってどういう基準で分割されてるんだろう……

二段にしてもカテゴリとか設定していないと、時刻だけになって殺風景だなぁ。上から読んでいくとき時刻が目線に入るのはちょっと思考を妨げる気がする。逆にカテゴリをちゃんと設定しているなら、どのカテゴリに属しているかが楽に目に入るようになってちょうどいい感じ。


一段

  1. カテゴリとタイトル読む (同列になってる)
  2. えっと、これがカテゴリだっけ……と脳内パーサーが走る
  3. 読むかどうか決める
  4. 本文読みはじめる

二段

  1. タイトル読んで内容を想像する
  2. カテゴリで補完する
  3. 読むかどうか決める
  4. 本文読みはじめる

その場編集は便利なんだけど、RET がきかなくて入力するのがめんどうくさい。Shift-RET なら効く。うちだけなんかなぁ。

Fx 再起動したら RET 効くようになった。
セクションタイトルのスタイルを変えてみた。ここの日記は本文みじかいからあんまこういうブログっぽいのは向かないな

  1. トップ
  2. test
  3. カテゴリテスト

趣味で友達と一緒にサッカー、とか一切やったことがない。鬼ごっことか隠れん坊ならある。
外で遊ぶのが嫌いだったわけじゃない。でも日が暮れてからは外では遊べない。

404 Not Found 久しぶりに短い文で破壊力のある表現を見た気がする。

スレの途中でいろいろ書いてあって不安になるけど、結局、スレの最後のほうに書いてある

天然じゃない、アホの子じゃない、カーチャンじゃない

なんというか・・・ちょっと一般の常識とは違うけど決して間違った事はしてなくて
かつ自分の考えをしっかり持ってる賢そうな子というかだな
とにかく違うんだよ。

これだと思う。というか、読みながら「違うちがうんだよ」って日記に書こうとしていた内容がほんとにまるっきりこれと一緒で「おお」って思ってしまった。笑ってしまう。(もちろん途中のを否定してるわけではなくて、スレタイから想像したのが、おれの場合はこうだな、っていうことで)
ほんと、天然でも、のほほんでもない。惑わされずに生きてる日常に生きる子だと思う。

日記でまとめブログに言及したのは初めてな気がする。

そういうのは、記号的に表現できない。例えば「ツンデレ」や「どぢっこ」みたいに、一言でうまくいい表せたりできない。特徴がないから、そういう子たちを描写するには、まわりのものを正確に表現してやる必要がある。「形」を表現するには、形をそのまま作る以外にも、それの「型」を作ってあげることでもできる。形がそのまま作れないなら後者を選択するしかない。型を精密に表現しさえすれば、その型の空洞部分の抜けおちた形が見えてくる。透明人間に砂をかけていくみたいに、表現をまぶしていく。

1st Full Album "the GOLDENBALLCITY"

ネギは完全におくら入りかw GOLDENBALLCITY って感じではないし仕方ないかなぁ。そのうちでるのかなぁ。

Apple star storyS がスタジオ収録になるのかな。楽しみだなぁ。あと Judgement; と黄金の鐘は結構前からあるやつだなぁ。前の公式に歌詞があったやつだ。

駄目人間衝動

よくわからないけれど、駄目人間ってのは、駄目人間に向かおうとしてそうなると思う。とにかく全部駄目にしたい感じだ。もう駄目だって状況がどうしても必要だと思うようになることへ、こいつはもう駄目だと思われるように、本当はゼロへリセットしたいのだろうけど、それはうまくいかない。ゼロにするための努力があると、それができるとゼロへリセットする必要がなくなってしまうからだ。結果的に、誰かと関係を持ってしまった人間というのは、リセットしようとするとマイナス方向にまでいってしまう。そこで一度死に戻るか、本当にこの世界からいなくなる必要がある。

おれは今いまいち現実に生きているという感じがしない。ずっと夢の中にいるような感覚だ。どんどん駄目になっていく感じだ。しかし外に出て散歩をすると、風の匂いや虫の音、そこらの家から聞こえる生活音、肌に感じる空気の冷たさ、地上の明りに照らされる雲に幸せを感じてしまう。彼女なんていらないし、他の楽しいこともなくていいと思えてしまう。完全だ。維持できないが、このまま死んでもいいとさえ、感じられる。けれど生きている。

たぶん今日おれはそういうことからまた引き戻され、沈んでいくだろうけれど、それもまたおれが、ぼくが望んだことなんだろう。どうせまた徹夜をする。眠れないからだ。

集中せよ。なぜおれがやるべきことをできないのか。なぜ自分に甘えているのか。行動できないこと。「行動すればいい」がなぜ通用しないのか。努力すればいい、がなぜ通用しないのか。そういう彼らがどうしてそういうシステムを手に入れることができたのか。

でも大丈夫だ。どんなときだって死んだら全てが終わる。とことん駄目になっても、まだ生きたいと思うならそれでいい。

そうだね。そうだ。

中学のときはまだ、友達っぽい人が今よりいて、自分の書いた文章とかを読まれるのは恥ずかしくて嫌だった。だから書かなかった。でもいつのまにか、そういう「友達」と付き合うことがなくなってから、恥ずかしさをあまり感じなくなった。同時に、誰か特定の人に何かを言うというのがひどく苦手になったので、どこかでそれを書かざるを得なくなった。いまでも「これは恥ずかしいことなんだろうなぁ」っていうのが解ったりはするし、まだ名残で書けないこともあるけど、なんだかどうでもいいことに思えるようになった。これによって相手がひいてしまうなら、別にそれでいいと思うようになった。彼らはぼくと違って急がしいから、ぼくの話を聴く暇はないし、ぼくもわざわざそれをひきとめて相手の時間を使ってまで何かを話そうという気持ちにはならなくなったのだ。会話の殆どはくだらないことだ。めんどうくさい愛想笑いをされるのは嫌だし、こちらだってしたくない。

私って少し異常なのかなって少し思って、ううん、こんなの誰でもあるんだって思いなおす。こんな下らないことにでも、アイデンティティを見出そうとして、馬鹿みたいだなぁって少し自己嫌悪。

私は音楽を聴くのが病的にって言える程好きで、だから、家でも外でもヘッドフォンをして、もう少し時代遅れのプレイヤーから音楽を流してる。私はこうしていないと落ち着かないみたい。一度プレイヤーの電池を切らしちゃって、そのまま出かけたことがあるのだけれど、どうしても不安でしかたなかった。小学生のころ一人で留守番したときのような、そんな不安。もう、あんな気持ちになるのは嫌だなぁ、なんて思いながら、私は今日も学校へいく。

少しだけ歩いて、少しだけ電車に乗って、また少しだけ歩く。そうすると私が通っている学校。教室に入る。誰もいない。一番乗り。少し嬉しい。少し寂しい。自分の席に座って、窓から空をみて、いい天気だなぁって思う。そしたら急に、頭に唄が浮かんで、聞きたいなぁって思いはじめて、まだ途中なのに、曲を変えてしまう。ごめんね前の曲さん。

そうやってぼーっとしてると、みんなが教室に入ってくる。担任の先生が来て、ホームルームをする。私はヘッドフォンをとる。そういえばこの前、ヘッドフォンしたまま眠ってしまって、先生に叩き起こされたなぁ。とか思い出してみたり。少し笑ってしまう。馬鹿だなぁ。

放課後になって、私は部活に入ってないから、家に帰る。別に入りたくないわけじゃなかったんだけど、なんだかタイミングを逃してしまった。だから、放課後は少し詰まらない。家に帰っても、やることなんてない。

セーラー服もそのままで、部屋に横になって、天井を見る。白い天井に、お母さんが作ったかさに包まれて、白熱灯がぶら下がってる。そして、もっとちゃんと笑えれば、男の子も寄ってくるのかなぁ、でも、もとがだめかなぁ、なんて、自分の恋について、考えてみたり。まあ、そんな日もあるのですよ。

そんなこんなで、ご飯を食べて、お風呂に入って、髪を乾かす。私の髪の毛は、自慢じゃないけど綺麗って褒められる。私も綺麗だと思う。って、やっぱり自慢だね。でも、ときどきこの髪を短く切ってしまいたいなぁ、なんて考えてしまう。なんでだろう?

寝る前に、ふとんに仰向けになって、好きな唄を少し聴く。目を閉じて、ヘッドフォンの奥の風景を想像する。そうやって見える風景がすごく好きで、なんだか、また明日も生きていけるかなって思う。そんなこんなで眠くなって、また明日。

明日は、何かいいことがあるかなぁ?

もともと lowreal.net は out of the headphone であった。しかしながらいつ変えたか忘れたけれど out of the washer になっている。ここは into the headphone であり、もう一つは in the headphone だ。分ける意味なんかない。もっとごちゃごちゃいいはずだ。そして一番ここが書くのがめんどうくさくない。自動的に手が動く。

はいはいだめだめ。おれだめだめ。集中しろもっと。

外明るい。すこし赤い。「すこし赤い」という繋がりは、夏祭りと浴衣を着た女の子を想像させる。よくある想像だ。鳥居 π

人間的であることを忘れる。ずっとずっと。もうなんも書くことなんてない。いつも全部書いている。DEL おすといい。おれは恵まれすぎた。たくさん消費した。生み出すことができない。芸術的センスがないことが嫌だ。それはだれだって、本当は持っているはずなのに、たぶんおれだって持っていたはずなのに、ぜんぜんいまはない。どこ消えたんだか。センスがない。高校のときにはじめて気付いた。ずっと感じている。みんな羨ましい。

表面的なことができたってしかたがない。意味がない。誰にも伝わらない。

知らない。ずっと逃げ続けている。いつからだかわからない。こうならない方法があったかわからない。これからどうすればいいかずっとわからない。笑いながらこういう文章を書き続ける。ずっとノスタルジック。たしかに。無限ループたのしい。変わらない。灰羽思い出した。あれは DVD 欲しいよなぁ。

誠死ね。「真に」と「誠に」ってどう違うの。

資源ゴミの日なのでゴミ置き場までひとっぱしりしてきたのだけれど、やはり朝の空気というのは気持ちいい。SC440 のダンボール↑を捨てた。でかい。清々しい朝だ。チョコレートをいくつか食べた。今は漉し餡のもなかを食べている。

ひさしぶりに聴いたらグッっときた。これ、なるほどなぁ。なるほど。

こういう発見があるものが大好きだ。

スルー力について言及してる。さすがイガラス。時代を先どり。

誰か何か言ってるぜ
聞き流す
振りして真に受ける

僕は自分の言葉なんて全く持っていません。全て誰かから借りられた言葉です。

ぼくは戦争をしにいくわけじゃない。これからもずっと、そんなことする気はない。でも、多かれ少なかれ、戦争のようなものを日々続けていくことになるだろうと思う。ぼくの状況はいつもいつも「大したことじゃない」

あまり本を読んでいない。でも本は好きだ。読まないのに本が好きなんておかしい。数えられるぐらいしか本を持っていないし、読んでいない。一番読んだ時期がそもそも高校のときで、大学に入ってから今まではもうぜんぜん読んでない。ラノベと今まで買った本と再読しかしてない。でも再読するたびに本に発見がある。頭が悪いから、一度じゃ絶対に理解できない。再読といっても最初から全部読むわけじゃない。「あのシーンってどこだっけ」と思ったときにそこから読みはじめる。

この大きな掌のような夜が一切の星座を統べながら次第にそのひろがりを閉じ、やがては暁の爽やかな薄明が東の空に星々のまどろみを消し去って行くその時に、

従兄弟の少年とバス停と病院がでてくる話で、冒頭の季節の描写がなんか印象に残ったやつがあったんだけどなんだっけ。短編だったはずなんだけど……

と書いたところで、どうせ持っている本が少ないのだから全部冒頭だけ読んで探せばいいだろと思いさがしたら、いよいよこれになかったら分からないなってところで発見できた。めくらやなぎと眠る女 (蛍・納屋を焼く・その他の短編) だった。内容をぜんぜん覚えてなかったので (女の子が病院にいることは覚えていた) 今読んでみたけど、よくわからなかった。そのうち分かるのかな。一生わからないかもしれない。

おれはこんなこと書くことで何がしたいんだ? 誰かに「あいつってはあんなこと考えてるぅ」とでも思われたいのか。本当におれは気持ち悪い。でもやめることができない。日記により死ぬことを考えられるようになる。おれが死んだときに「あぁこいつ死んだのか」とそのうち誰かが思えばいい。そう思うことで、「いくらか悔いはあるけれど、死んでもいいか」という気持ちになれる。もちろん実際死ねるかどうかは関係ない。たぶん死ねないだろう。でも死んでもいいか、という気持ちになれることが大切だと思う。

これから、ネット世代が死んでいくと、ブログサービスはどうなるんだろう。もちろん運営会社が潰れない限り、リソースはもとの位置に残りつづけ、潰れたとしても、あらゆるところにキャッシュされたリソースが残るだろう。インターネットがなくならない限り。死んだ人のミームがインターネットをさまよい続け、誰かに影響を及ぼす。面白い。

でもインターネットもいつかはなくなる。想像しているより早くなくなるかもしれない。おれが生きている間に失くなるかもしれない。そういうものだ。基盤はみんなが思っているより全然ゆるい。

さらにいつか人類も地球もなくなってしまう。そのとき、そのあとまで、この宇宙ないし世界に、何か残せるだろうか? 何も残せない。形のあるものは残せない。内なる何かをどこかに留めらるかもしれないけれど、今の時代ではそれはないことになっている。どっちでもいいか。

ひさしぶりに髭を剃った。伸びすぎていて電動のやつでは無理なので普通の剃刀 (というのはおかしいか。ホテルとかでもらってきたやつ) で剃った。痛い。若干血がでた。若干若くなった。

キョン主観なのにキョン対してデレているのが描写されていたら「あいつっておれに惚れてるんだぜ」ってキョンが言っているのと同じ意味です。ハルヒは実際にはもうすこしアプローチをかけていますが、キョンが逃げているため、それが描写されず、ちょっとおかしい言動が目立つ変な女が強調されているのです (「いやいやいや、こんな女だぜ。ないないない」みたいに必要以上の表現をしている)。完全に眼がそむけられない事実だけ語られているわけですね。

と考えたけど、作品の文体をよく覚えていないのでちゃんと終始キョン一人称なのか覚えていないのでした。(鶴屋さんのなんちゃらの描写があったからところどころに神視点が入っていたような気もする)

全く有用じゃないエントリ (ただ叩いているだけとか) を効率的にフィルタリングしたいなぁ……

うまく自動化するのは言語解析しないとむりっぽいから、有用じゃないエントリ書いてるのを見たらチェックつけて、人ベースでサービスを横断して拒否できればいいかなぁ。はてなでそういうの書いてる人ははてな以外であんま見ないから、はてな内だけで id ベースのフィルタリングつくったらよさそうだ。

  • ブックマークコメを非表示にする
  • id ふくむパスを全て場合ページ内容を空に
  • LDR で id ふくむエントリをスキップ (ほってんとりとか)

あと、GM_setValue とかだとマシン間で同期するのがめんどいから、どっかに保存しておきたいなぁ。はてブの非表示ユーザを共有すればいいか。

最近は前よりはビジネスについて興味を持てるようになった気がする。どうやって収入を得て、どこから出ていくのかみたいなのがすこし気になるようになった。でもとても気になるという感じではなくて、むずかしい話になるとカットされる。

解説ページをかなり前に一回、結構前に一回読んだんだけど、その二回とも「うーん、よくわからない……」でおわった。ループへの変換とかそういうのが、いまいちよくわかってなかった。

でも読んでから、ときどきそれを思い出して、反芻しているうちに理解できてくる。あぁそうかって思える。わけのわからないものだったけど、「こういうもの」っていうのがだんだん実感できてきて、継続なんかは末尾再帰のループ化にも繋ったりしておもしろい。継続は継続なんだなって思えてくる (ちゃんと理解して使えているかというと、ぜんぜんそんなことはないんんだけど、イメージができてくる)。本とか文書を読んで、そこでちゃんと理解する、っていうのは、頭が良くないとできないんだと思う。

そうなってから更めて Wikipedia とか見てみると納得できる。この確認作業も好きだ。

K271s のケーブルがミニプラグ側で断線ぎりぎり……

商品が見つかりません|サウンドハウス

たけー! 暇なときにミニプラグ側切ってそこらのステレオプラグにはんだ付けしよう。

見えない部分への考えかたがわかってしまいますね。

はてな記法は、例えば

aaaaaaa
bbbbbbb

aaaaaaa

bbbbbbb

は同じ (どっちも段落二つ) なので、どっちで書くかは人によったりたり。

消せないほうがいいなぁ、消せても今回の変更程度がぎりぎりだなぁと思う。まとめて消せるようになったら絶対嫌だなぁ。あくまでミスって一個つけちゃった、に対応できる、がいいと思う……

連打しといてあとでやっぱ消したいってのはなんかなぁ。

「ネタなのかどうか、パッと見よくわからない」というネタが好き

あるいは、逆に「パッと見明かにネタなのに、中身は普通」というのも好き

テレビを日常的に見てああいうのに影響されたりする「友達」を多く持つ方々は、さぞリアル生活が充実しているのだろうなぁ。

「嫌いじゃないけど好きじゃない」
「好きじゃないけど嫌いじゃない」

は違う。


こうすると解りやすい

「嫌いじゃないけど好きじゃない (^^;)」-> リアル
「好きじゃないけど嫌いじゃない (#//)」-> ツンデレ

なんなんだろう。こいつ死ねばいいのになぁ……自分っていう人間とは一生つきあっていかなきゃいけない。やだなぁ……

というまた安易な逃げに走る、という、悪循環

よくわからないのだけれど、昨日、今日と、なんだかめちゃくちゃ眠くてしかたがない。昼からコーヒー飲みまくっているにも関らず、そしてごちゃごちゃとプログラムを書いているにも関わらず、眠い。でも寝ると頭が痛くなる。よくわからない。寝ないと眩暈がする。

「興味を持てるものがありません」とか「うちこめるものがなにもありません」とかと同じで、恥ずかしいと思うなぁ。できるだけオタクでありたいなぁ。オタクっていえるほどまだまだやりきっていないけど、プログラミング言語ヲタでありたい。 (これを自分の口から「そうです」っていうのはかなり勇気のあることだと思う。あらゆる言語をまぁ知っていますよってことだし……)。

一日経ったら削除できなくなる、とか

秋大根は柔らかい/春大根はかたい。春大根は隠し包丁をいれよ

水 -> 大根 -> くしがとおるまで -> しょうゆ/シーチキン -> 15min -> さます

  • やわらかくなるまでは調味料を加えない
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手編みのマフラーというのは、愛情の大きさと継続性をあわせると考えうる限り最強のアイテムなので、安易に使用してはいけない。(別に恋愛に限らず親子愛であれ姉弟愛であれ)

はてなをダサキモということにしておくと、その程度でつかうのをやめるような人を効率的にフィルタリングできるので悪いとはいえない。

今日は両親と一緒に千石原へ。昨日の台風のおかげで雲ひとつない。写真を90枚ほどとった。1Gbytes ぐらい。

なんか、あれだけど、観光地の飯屋で、まずいところほど罪深いところはないと思う。観光地自体がつまんないのは別にいいと思うけど、飯屋がまずいのはほんとにあれだと思う。そういう店はさっさと滅びるべきだ。想像したらわかるだろうけど、例えばデートとかで「おいしいお店だといいね!」とかいってそういう店屋に入って、「おいしくなかったね」っていう、そういういたたまれなさとか、嫌じゃないか。もちろん二人でならそういったある種の困難、みたいなものがあっても乗り超えていけるだろうけど、べつにそれはどうだっていい。とにかく、そういうまずい飯を出す店っていうのは、根本的に想像力 (あるいは味覚) が欠如しているんだと思う。

なんか USB のメモリリーダが Windows@SC440 で認識しない。いいけど Mac は無線でつないでで遅いから鯖に転送するのがたいへんだ……というかそろそろ鯖の容量がきつくなってきたのでどうにかしたいけどうにもできない。

水芭蕉のことを説明している看板に書いてあったんだけど、なんかちょっと暗い部分があるいいかただよなぁと思った。あと引用だけ書くとどっかの小説にでてきそうだなぁ

というかなんかカップルが結構いて微妙に腹立たしい……と思いきやそうでもなく、なんか今日の自分はいつにも増して妄想力が働いていて、ああ彼らにはこんなストーリーがあったんだろうなぁとか、こんなイベントであんなフラグがたって今ここにいるんだなぁとか考えてにやにやしてたまじきもい。

若い女性の一眼はニコン多いなぁ。キムタク効果なのか単に値段なのかはわからないけど……

Photoshop の現像時のごみとり機能が便利だ。パッチツールみたいなやつだけど、自動で似た色のところを選択するっぽい。いまつかってる一眼がゴミはいってるんだけどどこについているかわからない……開放してとっているときはボケて気にならないけど、絞るとおもっきり写るんだよなぁ