探検クエストのおかげて予定よりかなりはやい! カルー森遺跡ダンジョンの1Fをぐるぐるまわってポットスパイダーのあんなところやこんなところを集めつつみたいな感じでどどーん。
メイズ遺跡ダンジョンにギルマスと二人で行ってみたけど、途中で諦めた。もっと人数いないと無理っぽい。複数タゲくるとすぐに死ねる。
探検クエストのおかげて予定よりかなりはやい! カルー森遺跡ダンジョンの1Fをぐるぐるまわってポットスパイダーのあんなところやこんなところを集めつつみたいな感じでどどーん。
メイズ遺跡ダンジョンにギルマスと二人で行ってみたけど、途中で諦めた。もっと人数いないと無理っぽい。複数タゲくるとすぐに死ねる。
なんか流行ってる話に首を突っ込むのは負けな気がする。
フィード読んでて、何も頭に残らない。なんかつまんない。
学校の課題を完璧に保留中。だめなんだ。やる気でないんだ。
もっとバーガーナッズな本とかゲームやりたいなぁ。ぬるいのはぬるいのでいいんだけど、やっぱ一過性で心に残らないよなぁ。ぬるいうえに冷たかったら、傑作なんだけどなぁ。でも具体的にどういうのかっていうのが言えないんだよなぁ。むしろ言えたら自分で作ってしまったほうが早い。
冬眠したい。ゆっくり考えさせてくれないか。
君らしい君、とかいうのは胡散臭くて仕方がない。それも環境によって作られたものじゃないですか。環境が形を作ってる。環境が型なんだから、環境を見ればインスタンスもわかる。
メッセージを送って、ガーって鳴いたら、それアヒルです。
気分悪いときは喋らないようにとか、どうでもいい話は無視できる限り無視するとか、あとなんだろう。思い出してみるとあんまり思い浮かばないなぁ。
周りに音楽の話が合う人が殆どいないんだよね。アートとかシロップはともかく、BURGER NUDS は絶対いいのに。の、絶対って何。少し前まで、妙に合う人がいたけど、最近疎遠になった感じがするし、どうも、悪い気がして連絡とりにくいよなぁ。特別話すこともないわけで、やはり人間、共通の話題というものがなければ会話なんぞできませんよ。当たり前ですが。
そういえば GDHM の新譜を聴いてない。なぜなら、お金が、ないからだ!
ああああああ! たのしいこうこうせいかつを、おくりたかったさ!!
おかっしいなぁ。一日中完全に空いてる日がいっぱいあるのに時間に追われてる感がひしひしとする。
自分が損しなくても、他人が得をするのは許せない、ってのが、大多数の意見のようです。あはは、わかるきがする。
とかいうと、他人が得をしたら相対的に自分が損するじゃないか、とか言われるのかな。
いや、誰が、とかではなくて、俺の脳内の否定しまくりたいよぅぅぅぅ的な仮想人物の話です
ロジック中毒者に耳を貸すな!
ってばっちゃが言ってた。
ちゃんとやんなきゃ 素敵な未来がどこかへ 逃げちまうのかなぁ
続きを書きなさい (20点)
まじめな子っていいよねぇ。まじめっていうか、誠実な子よねぇ。だめよねぇ。むりよねぇ。ルールが似てる人探さないとだけど、探しようがないよね。ルールを RDF で記述する語彙とか、ルールを記述できる SNS があったら流行るかもしれない。前者はまず流行らない。
共通のルールを持ってないと、話にならないから。でも、役割ってのもあるんだよなぁ。役割。相手がどの役割であるべきが、あってほしいかをちゃんとわかってないといけない。役割部分を抜いた、もう一個下の層が共通ルールになってないとなぁ。
BURGER NUDS, GDHM, ART-SCHOOL がなんかかぶるというか、方向が違うのになんか似ているなぁと感じていて、なんでだろう、みたいなのの延長。ああもう眠くて頭回んない。いつも回ってないけど。
ART-SCHOOL の「フリージア」でこの憎しみが 胸に一つ残ればいい それで飛べるから
とか唄われていて、ふーんとか思いつつ、そこに GDHM の「Perfect nervous」 望むのは誰も憎まないで 生きていたいただそれだけだった
がきたから、あぁ、違うんだなって思って、なんとなく上のようなグラフが浮かんだ。
BURGER NUDS と ART-SCHOOL は現実と理想の間で大きくもがいていて、それぞれ違うベクトルでそれを表現していたんだけど、それぞれ変わった。バーガーは解散してしまって、殆どのメンバーは Good Dog Happy Men をはじめたし、アートもベース・ギター脱退とか加入とかがあった。
変わった後はそれぞれがだんだん落ち着いた気がする。Good Dog Happy Men はファンタジー傾向の綺麗さがそのまま綺麗な歌だし、ART-SCHOOL はそのもがいている部分の汚さを忘れないような綺麗な歌になった。(もちろんそんなに単純なわけではないし、まだなごりはあるんだけど)
その点、やっぱシロップとか、バンプとかっていうのは違うんだなぁと改めて感じて、グラフの線はだいぶてきとーだけど、まぁいいや。
なんていうか、GDHM にしても ART-SCHOOL にしても、外向きになったんだなぁって最近の曲を聴いて思った。
たのしくないよー。課題のためにちょっと外出したけど、「課題のため」ってだけですごいやる気がなくなるんだよねぇ。つまんないよ。
たとえばある人たちが、自分で勝手に、楽しくないことを死ぬまでやろうとして、それを努力と称して、自分はこれだけ努力しているんだっていうんだったら、それはそれでいいけれど、それを他人にまでさせるっていうのは、おかしいよなぁ。
楽しくないことをやりたいのかもしれない。自分はそりゃ楽しくないことなんてやりたくないけど、人間ごっこしている自分は、楽しくないことをやりたいのかもしれない。現状が変わらないし、変える気がないみたいだし、環境も、何も。
BURGER NUDS で時々あるのが過去の風景、というか思い出。例えばミナソコは完全な過去の風景だ。
他にも片目は失くした あの日置いてきた
とか、指輪も一応そうだけど、指輪は前に書いたように、常に振り返ってもいい思い出なので、ここで言及するものとは違う。
ここで言及するのは、いつまでも綺麗なままにしておいて、たまに眺める位のほうが自分に力をくれる
思い出について。
こういう思い出っていうのに、人は往々にしてとり憑かれやすい。特に現状が芳しくない人ほど。MARCH はまさにこういう状態になったある人についての描写がある。上にも少し書いたけれど以下の部分がわかりやすい。
目に浮かぶことは全部思い出で 目に写る物は全部汚くて 片目は失くした。あの日置いてきた。
これに対し、boys in blue がある。
過去の思い出の映る蜃気楼・もうそこにはないものを見て、「もう大体終わっちまった」から「まだ何も終わってないさ」までの動きがある。しかしながら、この a boy in blue は思い出にとり憑かれていたりはしない。
日々の残骸がにじむ心の蜃気楼 晴れるまで 晴れるまで いいだろう かざすよ ふり向かないで かけてゆく心
振り返ることで力をもらえる思い出
「非常階段をかけあがる」ってのは、過去の思い出の世界に浸ることの暗喩かな、と思う。あんまりいつも振り返ってばかりいるととり憑かれてしまう思い出なわけだ。だから、「非常」であって、最終手段としての思い出。
わかりそうでわからない。
自分を縛るルール (=正義) を牢獄に喩えて「馬鹿じゃないならば 牢獄の 方を向いて 祈るの止めなよ」と言っているんだろうけど、「空気漏れてる」の意味がよくわからない。あとなんで卑猥なオベリスクがでてくるのか。
最初から解釈が違うんだろうか。
素Dex 128 で以下の装備その他ドーピング
アローリボルバーがまだ D なため、細心 (=慎重) エンチャが効果を完全に発揮しない。
で、今回は不思議な薬が Dex+29 だったため、合計 207。探検クエストをリセットしてレベルアップ。
ナオ薬は使わないつもりだったんだけど露天で見つけたので買ってみた。使わない場合はふたご座 (Dex+10) をもう一つ買って、★5たまねぎ炒め (Dex+12) にするつもりだった。これだと 200 ぴったり。ナオ薬よりふたご座のほうが高いだろうし、これでよかったかな。
だれかしょしんしゃにもわかるようにフィードリーダーのよさをアピールしてください><
うまく説明できないんだよなぁ。「フィード」とかいう謎の横文字がでてきた時点で拒否されたらもうだめじゃん。いやそういう人はいいのか、いやよくないのか、どっちだ。
道具を使って楽をしよう、そのためにとりあえず道具を探してみようっていう人じゃないとだめなんだよなぁ。でもって、使いこなすとなるとさらに一段階上で、道具を隅々まで知っていないと気持ち悪い!とか感じないとだめだよなぁ。感じても使いこなせない人はいるけどさ。例えば俺とかだ。
それで、楽をさせてくれる道具がなかったら作ってしまえってまでいくともうアレなんだけど、そうなったときにいつでもその道具を作るためのスキルっていうのが、欲しい。
ああ、何か作りたいって思ったとき、すぐにそれを実現できるスキルや環境って、すごくそろえるのが難しい。結構誰かの作ったのを見て「そんなの誰でも作れる」なんて思うこともあるけれど、やっぱり作れないんだよねぇ。「そんなの誰でも作れる」ようなのを作れる人は、すごく上の人だ。「これはすごい」ようなのを作れる人は、雲の上の人だ。
やりたいことをやりまくった。でも、本当にやりたいことはやってない。なぜならそういうのはやりたくでもできないことだから!
Most beautiful in the world (Good Dog Happy Men) が予想以上に良くて、聴いているとすごく幸せな気分になる。まぁけっこう、独りで切ないんだけどこれ。
なんていうんだろうか、Most beautiful in the world の雰囲気って、文化祭の準備期間みたいな雰囲気で、なんかすごく楽しくて、でも目標の日が終わったらあっけなく終わってしまうような感じがあって、気持ちいい。
学校が始まっても、GDHM の歌が悲しく聞こえないように願う。
土曜日なので友人と集合した。
常任メンバーのほかに時々参加する友人 (割と一般人。逆に常任メンバーはみんなヲタク) がいるんだけど、今日はそいつの家へどーん。うちは狭いので何人も入れないのです。
まぁ、基本的に IRC で必要な要件はすんでるから話すことがないんだけど、集まればなんか話す的な流れ。というか物理的な貸し借りで集まるんだけどね。んで、まだ誰も20になってないのに枯れた話をしたりとか、ニートとかネオニートとかニート2.0 (嘘) とかの話をしつつ、あとはゲームを見て帰ってきた。パワプロが萌えに走っているっていうのを学習した。いろいろへこんだ。
指摘を受けて修正置換
<meta name="description" content="元BURGER NUDS( バーガー・ナッズ )、Good Dog Happy Menの公式サイト">
この説明はどうなんだ。
PC にそんなに詳しくない友人はみんな Fx になりました。
Fx が拡張を入れないと使えないってのは中級者以上の話で、拡張を入れるのが面倒くさいとか、そういう人は Opera なり Sleipnir などを使えばよろしくて、無理して Fx を勧める意味がない。
でも Fx は拡張を入れないでも IE 代替には十分すぎる。母親に Fx 使うようにしむけたけど問題なく使えてた。
さて、ゴールデンウィーク中にやるべきだったタスクを消費しはじめた。
というか、今日提出の課題どうしよう。やらないとなぁ。やらないとなぁ。
奥歯がぐらぐらする感覚がする。虫歯とかじゃなくて、ね。
potrace で 1bit なやつをベクターデータに変換してみた。bmp -> eps。svg にも変換できる。
この絵はそのあと Illustrator でパスの簡略化とかして補正してあるけど、そのままでも結構いい感じ。っていっても使う機会があんまりないんだけど (そもそもいい感じな絵が描けない)
Fx ってネイティブに SVG 描画できるのはいいんだけど、拡大とか縮小とかってできないのかな? というか、SVG 開くとすごい重くなる。
あれ? 課題やろうとしてたんだけどな。なんか朝がきてる。おかしいな。時計壊れた?
すごく視野が広い。そして集中力がある。
レッテルに拘ったりしないし、変な色眼鏡を付けず、いいものをいいものと言ってる。すごいよなぁ。誰でもできることじゃないんだ全然。
Humans on Rails
透明な日々って本当に悪いんだろうか。レールが敷かれて次にいく場所がわかっていることは本当に悪いんだろうか。
色が付くって、レッテルが貼られることなのかもしれない。言い換えると少し疑問になる。でもそれが正しいとは確実にいえない。あんまりピンとこない。
一番良くないのは、レールが終わることじゃなくて、レールが途切れてもガタガタと砂利道を走らないといけないことだと思う。新しいレールを敷くのは難しい。既存のレールは錆びていても機能はする。
レッテルを貼られるのが一番良くない。他人からでも自分からでも。だから、なんらかの組織に所属するのは、できる限り、避けないと。自分が作ったものとか、全体が見渡せるぐらいの大きさ (で、それがちゃんと信用できるなら) ならいいけど、それができないとだめだ。俺は普通に普通でありたい。
今日は寝れる講義が無いから、早く寝ないと
くせもの。
text/html なドキュメントでは <hr /> と書いても <hr> と表示される。application/xhtml+xml なら問題なし
View Selection Source がパース済みドキュメントを改めてソースとして書き出すからだろうけど、ちょっと混乱する。でもパース済みドキュメントを見せてくれるおかげで、JS で生成した要素とかも見れるから直ってほしいのか直ってほしくないのか微妙。別々の機能として実装してくれればいいんだけど
grep とリファレンスがわからなかった。
ちなみに一通りドキュメントは読んでみて、概念っぽいのはわかっているんだけど、実際の挙動がわからない、という感じ。ようするにだめだめ。とぴあさんに助けてもらいつつちょっとわかってきた。
[{:foo=>:a, :bar=>:b}, {:foo=>:c, :bar=>:d}].find {|i| i[:foo] == :a}[:bar]
っていう Ruby のコードを Perl で書きたい場合。
# 答え (grep { $_->{foo} eq "a"} [{foo=>"a", bar=>"b"}, {foo=>"c", bar=>"d"}])[0]->{bar}; #以下間違い # クロージャのあとにカンマは要らない grep { .. }, [..]; # -> 演算子によって左辺がスカラ文字列に変換されてしまうらしい # この場合 grep でヒットした配列の数の文字列に対してハッシュ操作を # 行おうとするので、エラー (grep { .. } [])->{bar};
リファレンスを実データに戻す文法がわからなかった。
$a = [1, 2, 3]; #=> $a is reference of array @{$a}; #=> で array に戻る # @($a) と書いて構文エラー
それと Hash ref, Array ref から直接アロー演算子使って中身を取り出すときの構文
$a = ["a", "b", "c"]; $a->[1]; #=> "b" $h = {0 => "a", 1 => "b", 2 => "c"}; $h->{1}; #=> "b"
一番なるほど!て思ったのは $_
grep { $_ eq "a" } ("a", "b", "c"); foreach (@{$a}) { print $_; }
$_
ってよく見るけどなんやねんって思ってた。
grep {|$_| ..}
っていう Ruby 風の説明をされてよくわかった。
疑問
foreach (@{$a}) { foreach (@{$b}) { $_; } $_; #=> スコープは? }
あとで実行してみよう。
foreach $i (@{$a}) { foreach $j (@{$b}) { print "$i, $j"; } }
みたいにかけるのかな。my をつけるべき? (つけられる?) っていうか for と foreach は同じなのね
コメントでの指摘で修正
my @a = ("a", "b", "c"); for (@a) { for (@a) { print $_; } print "\n $_\n"; } __END__ abc a abc b abc c
ちゃんとブロックローカル (?) だった。
#hxxk@ircnet に新しく入った。
IRC は良いです。メッセンジャーとかだと、1:1とか、話そうとするたびにセッションを張るという行為が必要になるので話しかけづらいのですが、IRC は常駐という形でぼーっと眺めていられるのでよいです。かなりやる気がないときでも、情報が入ってくるのでよいのです。
くそだるいクエスト終了。アローリボルバーのおかげで今日一回のトライでクリアできた。
やっぱ二面性が重要だよなぁ。むしろそこから生まれるジレンマとか、そういうの好きだなぁ。ファンタジーとして、だけれど。
究極的には 死にたいようで死ねない 生きたいなんて思えない
なんだけど、もっと近いところでもそういうのって沢山あって、まぁ例えばツンデレなんかもそうなんだけど、「嫌いたいようで嫌えない 好きだなんて思えない」ぐらいの状態がちょうどいいとか思うわけで、そういう状態がでてくる女の子っていいなぁって思った。ファンタジーとして。
最近のだともののけ姫みてて思った。「人間なんてきらいだ」ってモロに顔を埋めていうシーンのサンがなんとも可愛くて素晴らしかった。意味不明じゃないよ。意味不明じゃないよ。きもい。
ようはジレンマって切なさを誘発させるからいいんだろうな。いや逆かな。よくわからない。
やっぱり凝縮されているわけで、共通部分を見つけていくと、どうすればいいのかっていうのが見えるのかもしれない。
Syrup16g の「汚れたいだけ」についていろいろ考えていたのだけれど、なんとなく BURGER NUDS の「指輪」が思い浮かんだ。
「ちょっと……人間ってちょっといい人になりたいとかね、自分がよく生きたいっていうのがあるじゃないですか。そんでやっぱ負けるのは嫌だし、できれば閉じこもってたいけど、でもそんで自分を壊していっちゃうようだったらもう汚れていったりとか、傷つけたりとか傷つけられたりとかしてるほうがまだいいんじゃないかっていう気持ちはあるんですよね」
っていう部分を読んでいて、それが指輪に繋がった感じ。「指輪」で描かれる表面的にも良くあろうとしている状態から、まぁ表ぐらいは汚れてしまっても (錆びてしまっても) いいだろうっていう変化が coup d'Etat においてはアルバム全体として出ているんだなっていう、そういう感じ。
関係ないけど、遺伝子レベルで組み込まれたなんちゃらって誰かもいっていたような気がする。ACIDMAN だっけかな。
もっとよく考えたいのだけれど、なんか時間があんまりないのでもうてきとーに思いつく限り書いておくことにしよう。それが本来の日記ってもんだ。頭に浮かんだらすぐに書けばいい。
少し前に OOエンジニアの輪! ~ 第 20 回 高林 哲 さんの巻 ~ を読んでいて、すごくひっかかったというか、うわーって思ったのがあってそれが以下の部分。
なんだかいわゆる「業界人」っぽい文体、内容、主義、主張なんですよね。考え方が妙に爺くさくて、似通っていることががあって、なんだか皆均一化されちゃってるなと感じることがままありますね。これはどういうことかというと、高校生が書いてる日記と、 40 歳近い人の日記も区別つかないんですよね。あまりにも似通ってて。
なんか妙にここが気になって気持ち悪くてしかたがない。本当にそう思うから。
いろいろ読んでて、特にもうフィードリーダーとかで読んでると「この人って誰だっけ」とか結構思う。さっきも似たようなのを読んだな、とか。でもって仕方ないからサイトに飛んでみるんだけど、CSS も似てたりして、もうわけがわからない。実は全部同一人物が書いているんだろうか……とか思ったりする。怖い。
だからなのかなんなのか、そういう人たちの主張って全然こっちに入ってこなくて、なんていうんだろう、説得力がないっていうか、読んではいるけど頭に入らない。数の水増しみたいな。そんな感じがする。
ちょっとまえに書いたあなたがストリクターになるべきでない10の理由の二番目に「文章の書き方がソレっぽくなるから」って書いたのは実はこれのことを言っていて (人によって捕らえかたが違うだろうから、もし別の意味でとったのであれば、それも別に間違っているわけではないです)、いやストリクターに多いってわけじゃないと思うんだけど、どっかの誰かが非ストリクトなことを言ったときとかのそういう人たち (自分も含めて) の動きっていうのがみんな同じで、すごく気持ち悪くて、なんともいえない。
じゃあ自分はどうなのか (どうありたいのか) っていうのはすごく難しいのだけど、どっちかといえば、そういう同じような感じになりたくない。でもみんな同じようになったほうが楽だなっていうのも思う。だからどっちでもない中途半端な感じに今のところしておきたいし、どっちにしてもなりたくてなれるものじゃなくて、いつの間にかなっていて、それはそれでいいのかもしれないと思う。なんなんだ。Not at all
まぁいいか
学校だけじゃなくて、しばらくじっとしていたい。
余計なことを言う人とかから離れたい。
あー本当にいやだ。課題をやりたくない。なんでこう暗に脅された感じがするんだろう。すごい嫌だ。もうやめたい。
思うにあれは誠実じゃない。誠実なふりをして実はかなりてきとーだ。嫌だ。それを気付けるんだろうか。無理だろうなぁ。自分では誠実だと、思っているんだ。
起きていても朝がくる。早寝早起きなんてできるわけないだろう。
時間足りないときはどうすればいいんだろう。時間が足りないと連鎖的に何もできなくなる。
ちゃんとサイトにきて見て欲しいとかいう目的で要約しか提供しないっていうのもたまにあるみたいだけれど、要約しか提供されていないなら、よっぽどのことがない限り要約しか読まない。
全文提供されてるとなんとなく全部眺める。
コンテキストについて学んだよ。今回もとぴあさんとくらむさんに親切に教えてもらったよ。
Perl ではコンテキストっていうのがあって、意識していないとハマるらしい (というかハマった)。サブルーチンを呼ぶところだけを見ても、そのサブルーチンが何を返すかがわからない。
$ perlsh main[1]$ @arr = localtime; 56 21 1 18 4 106 4 137 0 main[2]$ $scr = localtime; Thu May 18 01:22:02 2006
最初、なんでただの配列がスカラ変換のときに、タイムオブジェクト?のように見なされて時刻文字列になるんだ?って思ったんだけど、これは localtime がコンテキストによって挙動を変えた (!) 結果らしい。localtime っていう部分だけを見ても、localtime が何を返すかはわからない。
そのコンテキストとやらには、大きくわけてリストコンテキスト・スカラコンテキスト・void コンテキストがあるようだ。
sub context { if (defined wantarray) { # void context では undef if (wantarray) { # list context では true print "List Context!\n"; } else { print "Scalar Context!\n"; } } else { print "void Context!\n"; } return; } @arr = context; $scr = context; context; __END__ List Context! Scalar Context! void Context!
という感じで、サブルーチン内で wantarray を呼ぶことによりコンテキストの分岐ができる。wantarray っていう名前はおかしい (配列とリストは区別がある) みたいだけど、歴史的事情がきっとあるんだろう? perldoc でも wantlist であるべきだった的なことが書いてある。
たぶんコンテキストの理解は Perl では必須だろうけど、こういうのって他の言語だとあんまり見ないよね、っていう感じだった。
他今日知ったこと
もちろん今日だって講義はあるんだけど、どっちも課題がでないし、そんなにキツイ講義じゃないのでなんかもう休みな感じがする。
それはある意味嬉しいのだけれど、週末の休みに入ることはすなわち、もうすぐ来週が来るっていうことに繋がるので、またすぐに一週間が始まるのか、っていう気分になって凹む。なぁ時間をくれよ。
俺がいまやりたいことは、「あぁ、今日は暇だなぁ。何もやることがないなぁ。何かやることないかなぁ」っていうことを考えながらぼーっとすることであって、またすぐ明日が来ると思いながら、課題とか、今すぐやりたいことに追われることじゃない。
うまくいえないんだけど、小学校高学年から中学卒業前後まで俺の中の「考える」時間は止まっていたような気がする。本当はそのとき考えるべきだったことを先延ばしにしてしまい、高校三年間でそれらをこなした。そして大学に入ってから高校三年間で考えるべきだったことをやっている。例えばしっかりした世界観・価値観の形成だったり、スキルの習得だったりする。
一方で、遅れている俺に対して環境は待ってくれない。先が見える限り、俺は大学生活中で考えるべきことを考えずに外に出ることになる。しかも大学生活で追われる中でよく考えもできずに、だんだん先延ばしにされるいくつかのことは、完成しないし、環境のせいでうまく構築ができない。
だいたい環境のほうは、既にそういうことを行い、完了していると見なして何らかの要求をしてくるから、そういう部分の足りない部分がどんどん積み重なって保留になっていく。保留になっている限り、それをこなすことをとにかく優先しないといけないけど、基礎ができていない情況では、たまる一方で基礎をやっている暇がない。
何か考えたりするとき、何か書いたりするとき、いつも (いまも) 頭の中の批判中毒者と戦っている。(戦っている、だってよ、そんな大したことじゃないだろう)
批判中毒者はとにかく否定することを考えている (そんなことはないお前がいい方向になるようにしているんだ)。どんな些細なことでも、つつけるならつつく (勝手な想像で語らないでもらいたい)。時には悪いことじゃないことを悪いように言い直して否定する (悪いことじゃないことなんて自分では思っているんだな)。とにかく俺が言うことは全部否定しないと気がすまないのだ (まぁ実際君は全てにおいて間違っている)。最終的には個人的な攻撃であったりもする (こいつ独り言激しいwwwテラワロスwww)。
頭の中にいる批判中毒者は一人じゃない (おいちょっときてみろよ)。たくさんいる (なになに)。それら全てがいろんな視点からとにかく否定する (うわ頭悪い。ついでにどうせオタクだぜ。あぁどうせモテないな。友達もいないわよ。そもそも生理的に苦手wwww)。
でもこいつらは結局、俺の想像上の、頭の中にいるだけのものだ。実際にはもっと否定が多い。思いつく限りの否定を並べても、現実の匿名よりは全然少ない。
想像できる限りの気持ち悪さよりももっと気持ち悪い人たちがいる。
遊びまくって死にたい。でも遊べない。遊んでいると、やるべきことをしろよって言われるからね。(誰に?なんて愚問さ)
みんな憑かれてる。疲れてる。お金が要らない新しい世界に、いきたいなぁ。
そういえば先週とらドラ2! を読んだ。
これの著者って女性なのだろうか。田村君もそうだけど、少しズレた位置を微妙についてくるよなぁ。
手乗りタイガーのキャラが誰かとかぶるんだけど、誰だろう。お姫様的な位置にいるよなぁ。
帰る場所がそれぞれ確保されていて、なんかなぁ。そういうのって憧れるけど、やっぱり非現実的すぎる。
友達の妹が小説を読んでいた俺の姿を見て「クラスの腐女子と同じ臭いがする」とか言っていたらしい。なんとなくその言いたいことがわからないでもないかもしれない。自分でもキモいからできるだけ独りで読もう。
時々現実的か非現実的かでうまく意見が合わないんだけど、それって別にその設定が現実でありえるかじゃなくて、その心情・心境・感情とかなんでもいいけどそういうのの要求応答・動きが現実的かどうかなんだよね。設定なんて大した問題じゃない。
剣と魔法のファンタジーでも現実的な作品はある。現代のただの学園モノでも非現実なのはある (むしろそのほうが多い) ライトノベルは本当に非現実的なのが多い。それってすごくエンターテイメントだからいいんだけど、心には残らないかな。でもうまくカモフラージュしてるのもあるから面白い (ネタっぽく書かれるから、反論したら負けっていう雰囲気っていうのと似てる)。
彼女は思っている 現実的SUGILL 風景はいらない 風景は見えない 彼女は願っている 漫画の恋をしていたい 気分の中で生きていたい
気分の中で生きていたい
読んでて、この作者って女の人っぽいなぁって思うことが多々あって、そういうのって結構あっていたりすると思うんだけど、なんでだろうって話をした。
とりあえず出た答えは女性の場合人間の生活が細かく描かれてる?みたいなことだった。特に女の子の描き方が違うみたい。
それはどうでもいいんだけど、本を読むとき何を楽しみにして読むかがなんか違う (人によって、本によって)。読解を楽しみにしているのか、その物語の展開そのものが楽しいのか。そういうもんなのか。
特に展開を楽しみにしている人は、読解向けの本を読むと退屈だったり作者の意図が掴めなかったり (掴もうとしてない) するんだけど、逆に読解を楽しみにしてる人が展開オンリーな本を読むと軽薄だったり感じる。
どちらにしても本は面白ければいいんだけど、読み手で展開しか読まないって人はあんまり好きじゃない。それって小説読んでるってことにならない気がするから。
愛と勇気があれば大丈夫とか本気で思ってる人ってちょっと不気味だ。
Piro さんちでやった。最終的に7人。ねむい
次は雄大さんち
そういえば CSS NiTE のポストカード大のイラストを哀さんからもらった。次の次あたりの CSS Nite には行こうと思う。
話すとき、いろんなことを前提にして話すけど、前提が違うともう面倒くさい。
普通の人たちに「じゃあ私はウェブデザイナーになるわ!」って言ってもどこが笑いどころ以前に意味がもうわからないだろう。
もちろんそれに限らない。他にも Web2.0 とか、ツンデレとか、わたなべさんとか、ドギャーンとか、そういう既に頭に最優先で浮かんでくることが殆ど通じない相手っていうのはすごく話をし難い。
逆の場合もある。俺に対して雑誌とか、流行のドラマ・俳優・アイドルの話をされても殆どわからない。こういうのはすごく居心地が悪い。
あるいは前提がそもそもいまいちわからない場合もよくある。何に反応をするか、どこまでのネタが可とされるかっていうのを一人ひとり確認しなければならない。俺が時々よくわからない発言をするのは、そういう確認の意図が少しある。
例えばネットワークゲームのギルドなんかだと、誰がどういう「前提」を持っているか、殆どわからない。
RO のときのギルドは少人数から始まり、長い期間をかけて人が増えていったので (ついでに俺自身が「時期」の中にいたのもある) だいたいどういう人がどういう前提をもっているかっていうのを、キャラ名・サブキャラ名も含めて覚えている。こういう場合は特に問題がない。
でも今の mabinogi のギルドは初期~中期の数名ぐらいしか前提を確認していない (しかもちゃんとじゃない)。というかできない。ろくにログインしてないのもあるし、人数が多いのもある。後になるともう誰が誰のサブキャラかもわからない (いちいちフレリストで確認してる)。
こういうところで発言するのは難しい。普通の「雑談」がしにくいのだ。ネットワークゲームにおいては、ゲーム内容についての話があるから、見かけ上の発言数は多いのだけれど、普通のコミュニケーションは殆どないといってもいい。スキルがどうとか、狩場がどうとかという業務的な話になる。十分だと思うかもしれない。でも十分とは思えない。空っぽで誰と話しているかわからないのは気持ち悪い。誰かがそこにいる感じがしないのは気持ち悪い。
微かな匂いが好きだ。例えば花をよく見ようとして気付く匂いや、すれ違う女性の髪からただようシャンプーの匂いとか、雨の直前・直後のしめった空気の匂いとか。
だから俺はタバコを吸えない。そりゃ好奇心で吸いたくなることもあるのだけど、やっぱこういうのを感じられなくなるのはダメだ。ダメすぎる。
別にタバコに限らない。感性を削る行為はすべてくだらないことだ。やっちゃいけない。特に俺の感性にはゆとりがないから、これ以上減らすわけにはいかない。
ちなみに俺の身内は喫煙者のほうが多く、友達は非喫煙者のほうが多い。そして歩きタバコは上のとは別の次元で嫌いだ。
一週間がめちゃくちゃ長い。やりたくないことをたくさんやらないと次の週にいかない。
一週間がめちゃくちゃ短い。やりたいことをたくさんやろうとすると次の週になってる。
可能なら、定期的なこと (学校とか) をすべてリセットしたい。
やりたくないことって、本当に、内容に関係なく、やらないといけないことが全てやりたくないことだった。せっかく内容は楽しいはずのことなのにさ、やらなきゃいけなくなったとたん、全部そういうのがなくなって、嫌な気分になるわけだ。
よくこういうのをみんな耐えているよなぁ。すごい不思議なんだよね。何でやらないといけないことを笑ってやってられるのか。責任とかの類のプレッシャーばっかりで、楽しさのゲージがそれを超えない。なにが楽しいのかよくわからない。
例えば学校の課題とかをやっていても、「やらないと単位を落とす」っていう脅しばっかり感じて、何かを学んでいる気が全くしない。何かしら役に立っているんだろうけど、全く感じない。何も変わった気がしない。ただたんに、「どうにか今回も乗り切ったか」っていうのがあるだけで、その課題が終わった直後から「ああ、次の課題がまた出るんだな」って思う。これ、どこに楽しさを見出すスペースがあるんだろう?
学校に限らないで、定期的に何かやらないといけないことって、全部このループにはまっている。一過性なら、乗り切ればそれで終わりだからまだ畳み掛けるような気持ち悪さはないけど、それだって本当は嫌なことだ。
何してるとき楽しいのか分からない。幸せだなぁって感じる瞬間を想像することはできるけど、心から楽しいなぁって思う瞬間ってちゃんと想像できない。幼稚園のときとか、なんで楽しかったんだろう。
工作するのが好きで、そういうのしてるときは楽しかったと思うんだけど、今やろうとしても、違うんだよなぁ。歳相応のクオリティを出せなくて嫌になる。その行為自体は面白くなくなってしまった。結果が全てだもんなぁ。誰も過程なんて見やしない。
何がやりたいのかと聞かれれば、「何もやらなくていい」ってことをしたいんだけど、やっぱりそれはダメみたいなんだよね。憲法にも勤労の義務って書いてあるしね。
結局大学なんて就職のための踏み台にすぎないんだけど、心から就職したくない (今よりもやりたくないことに対して責任を求められるなんて本当に悪夢だ) とか思うし、そこで、大学をやめるって言ったとき、じゃあどうするの?って聞かれて答える言葉を持っていない。
何でこんな世界にいるのかなぁ。
そしてやっぱり、何かとケチをつけたがる人に囲まれて、何かと全てを否定されながら、なにもしたくないのに、無駄に生きていくんだなぁ。死にたくないのになぁ。
それで、喧嘩売るのが楽しみな人に、喧嘩売られて、とことんニヤつかれて、それを我慢するわけだけど、そういう悪意でドロドロしてる社会に、自分から突っ込んでいくっていうのを、ほんと、尊敬する。でもそういう人が今度は、喧嘩を売る人になって、ドロドロとしていくっていうのが、嫌すぎる。
今日の講義でポインタの説明があって、その中で先生がポインタを理解するまでこんなに苦労した!みたいな話を聞いた。
それを聞いたときから、自分はいつポインタっていう概念を理解したんだろうって考えているんだけど、どうも分からない。
C/C++ とかを殆ど書いたことがなかったので、実際にポインタに触れる機会は今までなかったといってもいいと思う。でもいつの間にかどういうものかっていうことは理解していて、なんか不思議な感じがする。
いろいろ過程を辿ってみたんだけど、もしかしたら Ruby 触り始めてからかもしれないなぁと思った。Ruby の破壊的メソッドの理解の過程で、「変数」に対する考え方が変わった (箱という理解から、名前・ラベルという理解へ) とき、ポインタを理解したのかもしれない。メソッドに渡される引数が参照で渡される云々の理解かな。あとは拡張ライブラリの作り方とかでかなぁ。やっぱり正確なところはわからない。
で、先生の場合「ずっとわかんなかったんだけど、ある日起きたら理解していた」とか言っていて、ねー……あるあるwwとか思った。ポインタとかに限らず、なんか寝て起きたら視点が変わってて、あーなんだ、もっと簡単じゃーんみたいな。あれって結構感動的というか、好きなんだけど滅多にない。
時々すごく集中してプログラムを書くことがあって (滅多にない)、そういうときはもうずっと頭の中にある完成形まで突っ走ろうとする (寝ない) んだけど、アルゴリズムとか苦手だからちょっと難しくなるとすぐ躓く。それでもう諦めて、いいやーって寝て、起きるとなぜか思いついてコードが書けるっていう不思議現象。面白い。
魔王 より。メインのほうを答えます。サブは前のときとあんまり変わっていません (ただしマシン自体は ノートからSC430 になり、xfce ではなく Gnome になってる。って全然違う気がしてきた)。
まっさらだと寂しいので作業中っぽい感じにしてあります。見えてない部分のデスクトップはなんもないです。
学校のグループワークで一緒の人のデスクトップがアイコンで矢印を作っていてかっこいいと思った。
こういう日記を付け始めた時、他の人のようにうまく長い文章が全然かけなくてすごくアレだったんだけど、最近は無駄に長いばっかりのを書いてるなぁ。そしてやっぱり長いだけでうまく書けない。
思ったことをできるだけ書くことができるようになったかな。ちゃんと、理路整然とした文章を書けるようにならないと……ってことを前にも書いたなぁ。
っていうか、学校のほうのブログ (笑) にも書いている (課題関係・先生のブログへの反応とか) わけで、思いついたこと書きまくるととまらねーとまらねーって感じ。それに加えて未だに書きたくても書けないことが沢山ある。
逆に、何も書くことがないときって、何も考えていないんだなぁと分かる。
人によって「(笑)」の受け取り方が違うのが面白いので、少し多めに使ってみるよ!
そういえば否定するのをよく忘れるんだけど、このサイトはブログサイトじゃないよ! 日記だよ! ブロガーじゃないよ!!
ちょっと前に流行っていたみたいで、NULL::colors とうまく連携できないかなぁと思っていたんだけどうまくいかなかった (なんなんだ)
で、もうちょっと小さい NULL::colors が欲しいなぁ、とそれとは別に思っていたので NULL::colors*del.icio.us を作った。canvas 版のやつなので Fx のみ。
使い方はフィーリングってことにして、これだけだと del.icio.us に投稿済みの色を読み込むのが面倒くさいので、del-the-color-scheme.user.js という GreaseMonkey を作った。save this の横に NULL::colors へのリンクを出す。
気分的には「del.icio.us でいい配色みっけたー -> でも一部が気に入らん -> これ開いて書き換える -> send でブックマーク」と使いたい。が、しかし、はてブがメインなので割りとどうでもいい。
del.icio.us の color: って面白いんだけど、色の値とかがコピペしにくいとか、微妙に使いにくい。
GRAPEVINE の光についてを聞いていると BURGER NUDS の逆光と神様ごっこが思い浮かぶ。
分かりやすいけど間違った説明 (概要はつかめるかもしれない) でわかった気になるのと、正確だけど冗長な説明 (分かりにくいかもしれない) はどっちがいいんだろう。
A: 正確だが冗長ではなく分かりやすいのがいい。
諦め悪いのはよくない。
いまいちやっていることがよくわからない。全部やりたくない。でもやってる。
真面目な話は本当につまらない。このバカをちょっと見てみろ 俺は楽しけりゃいいんだ
頭のいい人たちの話にはまじでついていけない。そしてロジック中毒者の、とにかく理由を求める「普通さ」が気持ち悪くて仕方ない。
ACIDMAN の「今、透明か」がすごくいい。綺麗だなぁ。でもこれ最近の曲じゃないんだよなぁ。やっぱ結構勘違いしていたみたいだ。
置いて来た白 身についた黒 それを包みこむ青 太陽はふと目を閉じた
なんか、頭の中で映像がチカチカ高速にきり変わっていって、世界の終わりの少し前の光の中にいる感じだ。
とかいう料理のレシピをデザインする課題なんだ。
母親に何かいいレシピはないかと尋ねたら「私が作るのは簡単なものだけだよ」と言われて、なるほどって思った。複雑なことを理解しようとするんじゃなくて、根本的に単純にしてしまっているようだ。
そして課題が進まない。眠い。すげぇ眠い。